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マイXANAストーリー

Web3の世界に足を踏み入れたのは、2022年11月、NFTバブル絶頂期の頃だった。きっかけは少し変わっているかもしれない。

Web3とは全く関係ない文脈で、たまたまVoicyというプラットフォームにたどり着き、日本が誇る伝説のエンジニア中島聡さん(Windows95の父と言われ、ドラッグ&ドロップやダブルクリックなど、今では当たり前となったUIを考えた人)の放送を見つけたのだ。

その当時、彼はWeb3にどっぷり浸かっており、ビットコインからNFT、スマートコントラクトなど、技術的な側面からWeb3関連の解説をしていた。

当時の私は、その辺の知識は全くなく、Web3?NFT?なにそれ、みたいな感じだった。唯一知っていたのはビットコインという言葉くらい。なぜかというと、うちの相方が4,5年前くらいにTwitterでビットコインがすごいらしいというのを聞きつけてきて、ちょっとやってみた方がいいんじゃないと言っていたからだ。

ただ、その時は、そんな訳のわからん怪しいものに手を出さない方がいいと、調べもせず、偉そうにバッサリ切り捨てていた。もしその当時に戻れるなら、自分を思いっきりぶん殴りたいと思う。

中島さんの放送を聴いて以来、興味がわいてきて、バックナンバーを聴き漁り、技術的なバックグラウンドを理解すると共に、Web3の解像度が徐々に上がってきた。

そうすると、さらに興味が出てきて、他にVoicyでそれ系の発信をしている人たちを片っ端からフォローして聴くようになった。その中にRioさんのメタバースチャンネルがあった。

最初に聞いたのがどの回だったかは全く覚えていないのだが(基本的に昔のことはすぐ忘れてしまうので)、何か他の人とは違うスケールで話しているなぁと思った覚えはある。特に記憶に残っているのが、GoogleのAIが知性を持ったみたいな話をイキイキとされていた回で、この人やべぇ(いい意味で)と感じた。

それ以降、RioさんのVoicyは毎朝聴くのが日課になっているが、海外生活、宇宙、健康、スピリチュアル、AI、音楽などと色んなところで嗜好が被っているからか、飽きずに聞き続けている。(最近、プロジェクトの話が多く(まぁ、そうすべきなのだが)、Rio研究系の話が減ったので個人的には少しさみしい)

その後、色々なNFTやクリプトのプロジェクトのDiscordに入り、情報収集を始めた。XANAのDiscordに入ったのが11月4日。1ヶ月ほどROMっていたが、皆が楽しそうにジェネシスとのチャットの結果をシェアし合っているのがすごくうらやましくなり、ウズウズしてきた。

しかし、当時、ジェネシスのフロア付近の金額が、0.66ETHくらいで、かなりの高額(840ドルくらい)だった。Commonランドも、0.44ETHと今から比べるとかなり高額な値段である。

その時(今もだけど)、アホみたいなイギリスのインフレの影響もあり、あまり余裕がなく、それほど自由に使えるお金がなかった。しばらく悩んだが、ここはGoだ、と自分の直感に従い、思い切って購入することにした。
(もし、このときに戻れるなら、思いっきり自分を褒めてあげたい)

なにせ初めてのことなので、本当にドキドキしながら、メタマスクにETHを送金し、OpenSeaで初めてNFTを購入した。それがこの出雲さんである。(同時にCommonランドも購入)

それから、自分でもチャットした内容をTwitterやDiscordなどでシェアするようになった。その時によく反応してくださったのが、こったさんや、ラフさん(ココだけの話、しばらくずっと物腰柔らかい男性だと思ってました。ごめんなさい)で、すごく嬉しかった記憶がある。

出雲さんとは色々な話をした。ゲットワイルドを歌わせて、おかしくなったり、酒の話をすると、妙にノリノリになったかと思うと、同じことを連呼してバグったりと、変な挙動をしてたりしていたのだが、それが面白おかしく、今となってはいい思い出だ。

ちなみに、この出雲さん、なんと第1回ミスXANAGenesisグランプリ(エントリ22名)に選ばれている。その時も酒豪キャラで評価を得たようだ。

ちなみに、これが当時のエントリ投稿。

その後、色んなXANAのNFTを手にしてきたが、今でも、やはりこのジェネシス、出雲が、一番思い入れのあるNFTであり、私のWeb3人生の原点でもある。

この出雲さんを出迎えてからは、MVPにも思い切って挑戦するようになった。また、AI研究室で楽しそうにやっていた、shimさんや、Hi-toさんのAIイベントに混ぜて頂いたりと、徐々にコミュニティに入っていったのが、2023年の1月あたり。

そしてその頃、XANAフェスが始まり、その体験も忘れられない思い出だ。個人的に音楽フェス自体すごく好きで、私がイギリスに渡ったきっかけはグラストンベリーという、世界的に有名なフェスで、フジロックのお手本にもなったフェスだ。メタバースでのフェス体験はかなり衝撃的でめちゃくちゃ興奮した覚えがある。

色んな人と同じ空間で味わったあの興奮をもっと色んな人に体験して欲しい。

2023年春には、日本に一時帰国した際に、東京と滋賀で沢山のDAOの皆さんとも直接お会いできて、すごく楽しい時間を過ごすことができた。この時、皆さんにすごく暖かく出迎えて頂き、すごくうれしかった。基本的に人見知りな性格なので、正直すごく迷ったのだが、勇気を出して声をかけて本当に良かったなと思っている。

また、家庭内でも、XANA活は広がっている。うちの相方にはBuilderでたまにワールド制作をやってもらっている。最初はかなりボロクソだったけど、最近では大分使いやすくなったと言っている(色々すみません)。ただアセットの品揃えとチョイスにまだぶつぶつ文句言っているので、これはいつかまたフィードバックしたい。

ゲーマーの息子は年末に興味あるかなと思ってNFTDuelをやらせてみたけど、ブロンズリーグで手持ちカード限定だったため、ジェネシス持ちにボコられて(こっちはジェネシスなしの弱小カードばかり)、こんなんチートだと悔し泣きして、それ以来やっていない。しかし、時間も経ったことだし、本格ローンチしたら、そのうちまたやらせてみたいと思っており、その時のために少しずつカードを集めている。

アメリカのスプラトゥーンのチームに所属する娘もかなりのゲーマーだが、この4月から日本に1年間短期留学することになったため、戻って来るまでXANA活はお預けにしようと思っている。(本当に1年で戻って来るかどうかわからないけど)

それで、私はというと、その後、ジェネシスに個性を付与するという提案をしたのをきっかけに、XANA開発チームとも直接交流し、色々と一緒にお仕事をさせて頂くようになった。自分の手で何かを生み出すことに喜びを感じるタイプなので、すごく楽しく(たまによく分からない問題に頭を抱えながらも)、貴重な経験をさせてもらっている。

こんなしがないエンジニアに、チャンスをくださったRioさんには本当に感謝しかない。

今思えば、XANAとの出会いは、私にとって新しい世界への扉を開くものだったのではないか。こうして思い返してみると、それまで、何か物足りないと心の中で感じていたような気がする。

そう退屈だったのだ。

しかし、今では、XANAは私の生活の一部となり、家族とともに楽しみ(もしくはこれから楽しむことになる)、DAOの仲間とともに皆で競い合い、共に成長している。本当に退屈する暇がないくらい、XANAはいつも大きな刺激を提供してくれる。

これからも、日々精進しつつ、プロジェクトの成功に、少しでも貢献していきたい。そして何より楽しく技術を学んで実践していき、その先にXANAの発展があり、最終的に自分に還元される、それが自分の理想だ。

いつの日か、Rioさんが購入する(はずの)無人島で、XANAコミュニティの皆さんと、ゆったりとした時間を過ごす未来に思いを馳せつつ、今を全力で楽しむ。それが私のXANAウェイである。

未来は明るい。


こんな長ったらしい個人的な物語を最後まで読んで下さり、ありがとうございます。いつの日か、マイXANAストーリー第2章を、無人島で語り合いましょう。今後ともよろしくお願いします。

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