凛として時雨 DEAD IS ALIVE TOUR 2022 視聴会の感想書き殴り

オタク誰しも
「でっけえモニターで、でっけぇ音で推し観てぇ〜〜‼️‼️」
って思うじゃん?(主語もデカい)


叶っちゃいましたね(ドヤッ)

(……………某所について触れてるくね?)


とりあえず以下感想書き殴り〜(ง ˙ω˙)ว

・吐息感ヤバくね?「Missing Ling」でもう昇天しそう。

・なんかずっと(la petite mort小さな死が性行為による絶頂を意味するのであれば、凛として時雨による甘やかな破壊衝動の表現もまた"小さな死"なのではないだろうか、)とかよく分からない演繹法(?)を考え続けていた。これについてはいつか書き出してみたい。一生まとまらないと思うけれど。とりあえず「凛として時雨最高だな」って話です。おしまい

・下手カメラアングルで345さんとたまたま目が合うタイミング(たまにある)で恋に堕ちてしまう🫠💕

・えっ!こんなカットあったっけ?っていうのがちょこちょこある。サブミナル効果(?)並みにカット割変えてくるからね…今日発見したのはピ様が演奏中にちょっと視線を上げるカット(どの曲かは忘れてしまった)

・「illusion is mine」は息のできる不思議な水の中に、上から両手でぐっと抑えられて沈められて自分の意思で浮き上がれないイメージ。1番最後の「奇跡的」で意識がふっと消える。

・「am3:45」のミラーボールは凛として時雨が神様みたい。「ラストダンスレボリューション」のパーティ🌟🕺🪩🕺🌟とは打って変わって荘厳な感じ。祝福の、救済の、光。後光?音楽が細胞ひとつひとつに染み渡っていって、ぜんぶバラバラにして、穢れたものを浄化してくれる。

・改めてDIAの時の「竜巻いて鮮脳」はイカつい改造車両が首都高を130km/hくらいで走ってんのか、ってくらい鋭利なんだよなぁ〜〜ズダズダになっちゃった


私、映像作品が苦手で(自分の見たいところ・注目したいところを自由に見ることができないから、映像を作った人が見て欲しいところに視線が拘束されるのが苦手)、でも時雨のライブ映像はそんなことなくて、なんでかな〜ってなってる。
舞台や映画の物語と音楽主体のライブとで違うってのはあるけどね…

舞台の映像化(DVDとか)は映像による記録、あくまでも補完のため?
映画は登場人物に対して、画面に映れる人数が少なすぎて、情報量が少なくなるから苦手?
凛として時雨のライブはステージの上にいる3人が移動する訳でもなく、伝えたい情報のメインが音楽だから、映像に左右されにくいのかなぁ〜

わからん

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