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日本国紀 百田尚樹著 レビュー

 

今話題の「日本国紀」https://amzn.to/2PtElTF 読みました。
SNSで、矛盾があるなどと言われてますね。

日本ってどんな国なんだろう。
日本人の気質ってどんなものでどこから来ているんだろう。

そんな疑問を持っている人には、この本はちょうど良いのではないかな〜と個人的には思いました。

歴史本としては、深すぎず、浅すぎずという感じだと思います。

一つ注意しておきたいのは、
このような歴史本というのは往々にして、大小の差はあれど著者の主観が入っているものなので、疑いながら読むという姿勢は欠かせないと思います。
全てを鵜呑みにしてはいけないということです。

「永遠の0」https://amzn.to/2PtGzSJ

「海賊と呼ばれた男」https://amzn.to/2PqWbGC

などのある程度史実に基づいた小説で名作を生み出している百田尚樹さんによって書かれています。

浪人時代に「海賊と呼ばれた男」読んでたら、気づいたら朝になってたっていう読書体験を持つ僕にとって今回の本を買わない理由はありませんでした。

社会的には何かと世間を騒がせている百田さんですが、物書きとしては間違いなく超一流だと思います。

というわけで
内容を少し書いていこうと思います。
自分が印象に残ったことを章ごとに書いていきます。

第1章 古代〜大和政権時代

百田さんの考察を加えながら、日本書紀、古事記などを参考に書かれている章です。

魏志倭人伝
などで有名な日本を表す「倭」という字は、あまりいい意味ではない。

これは、中国では昔から周辺国には少し揶揄したような漢字をつけるから。

という話がすごく印象的だった。

「倭」は「委(ゆだねる)」に人が加わった字形。解字は「ゆだねしたがう」「柔順なさま」「つつしむさま」、また「うねって遠いさま」。音符の委は「女」と音を表す「禾」で「なよなかな女性」の意。wikipediaより

確かにあまりいい意味ではなかったです。
もしかしたら「我々の言いなり」みたいな意味で使ってたのかもしれないですね。

第2章 飛鳥時代〜平城京

律令国家というのは儒教と刑法を軸にした国家。

古事記-自国民向け 日本書紀-対中国、漢文で書かれているもの。

天武天皇の勅撰によって書かれたもの。

古事記と日本書紀で内容が違う部分もあるというのが面白いなと感じた。

第3章 平安時代

征夷大将軍
蝦夷を征服する将軍のことらしい。


朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味             wikipediaより

日本人には祟りの価値観が昔からあった。
学問の神様で有名な菅原道真道を左遷したのち、道真を悪く扱っていた人たちに次々と悪いことが起きた。
これを祟りだと捉えた故に、北野天満宮をつくり、菅原道真を祀ってこの祟りを鎮静化させた。

この背景を知ると、受験前とかに北野天満宮行くのあんまり縁起よくないのではない気もしてきます。

第4章 鎌倉幕府~応仁の乱
文永の役 弘安の役という元寇の後、御家人たちの財政は圧迫された。これは戦争により、被害は甚大だったものの、戦利品は特に何も得られなかったから報酬を渡すことができなかったからという背景がある。そして、いよいよ多くの人の財政状況が最悪な状況になった時に

徳政令 が出された。

徳政令(とくせいれい)とは、日本の中世、鎌倉時代から室町時代にかけて、朝廷・幕府などが土倉などの債権者・金融業者に対して、債権放棄(債務免除)を命じた法令である。wikipediaより

鎌倉時代には、法然、親鸞により布教された浄土宗、浄土真宗が流行った。
これは、南無阿弥陀仏と唱えるだけでどんな悪人も極楽浄土に帰することができるという教えである。

これは仏教においてはダイナミックな変化だった。

なぜか?

従来、救済は僧によってもたらされるものだったが、
個人でも南無阿弥陀仏を唱えれば救済されることができるようになったからだ。

どんな悪人でも極楽浄土にいける。
これが大衆に受けたのであった。
ちなみに親鸞は肉食妻帯を公言した最初の僧と言われている。
これ、すごく面白い話だなと思いました。

室町時代

室町文化
わび、さびの価値観が生まれる。
代表例が、銀閣寺
質素な造り。
茶道、華道もこの時に確立したと言われている。

この時代は、やはりなんと言っても

応仁の乱だと思う。

山名、細川による争い。
室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争い。
はじめ、義政に子供いなかったので、義政の弟、義視を後継者にすると決めた。
この際、以後義政に子供が出来ても、義視が引き継ぐことを決めていた。

弟を後継者にすると決めた後、息子義尚ができた。
義尚の母は、我が子をなんとか大将軍にしたいという我儘な想いを抑えきれなかった。ここからはじまった争いが応仁の乱。


足利義政は29歳になって、正室である日野富子や側室との間に後継男子がないことを理由に将軍職を実弟の浄土寺門跡義尋に譲って隠居することを思い立った。禅譲を持ちかけられた義尋はまだ若い義政に後継男子誕生の可能性があることを考え、将軍職就任の要請を固辞し続けた。しかし、義政が「今後男子が生まれても僧門に入れ、家督を継承させることはない」と起請文まで認めて再三将軍職就任を説得したことから寛正5年11月26日(1464年12月24日)、義尋は意を決して還俗し名を足利義視と改めると勝元の後見を得て今出川邸に移った。wikipedeaより

第5章 戦国時代

楽市楽座、撰銭令
など経済的な施策が信長の功績の大きいところ。
楽市楽座は寺社にみかじめ料を払わなくていいという施策。
このことで寺社との対立が生まれ、有名な本願寺との戦いなどが起こった。また1571年には延暦寺との戦いもしている。 寺を焼き尽くし、女、子供に対しても大虐殺を行った。
それほど寺社を恐怖に感じていたということ。
1582年、本能寺の変が起こる。

秀吉は信長の仇をとるため、山崎の戦いで光秀を討ち、天王山を制した。
この天王山というのは、今もよく使われている。
個人的には、「本能寺の変」が本当の天王山だよなという不毛な感想を抱いてしまった。笑
ちなみに秀吉は、女好きだったらしい。
この頃から、西洋から宣教師がやってくるようになった。
宣教師は、禅僧からの鋭い質問にたじろいだという。キリスト教の矛盾をことごとく指摘していったらしい。
この時代にきた宣教師は、軒並み日本はいい国と言っていた。盗みが少なく、識字率も高いという点において評価されていたとのこと。

ここで僕が一番印象に残った話が以下の話である。
宣教師は、スペイン、ポルトガルの先兵のような役割で、中南米、東南アジアの国々を植民地にしてきた。
つまり、侵略する時にはまず思想から変えていくということである。
布教を侵略の道具として使っていたということだ。

確かに思想から変えるというのは効率がいいなと思うのだが、少しゾッとする話だった。

文禄の役 慶長の役は悪手だったと言われている、秀吉の朝鮮出兵。秀吉の死でやむなく撤退したが、実は日本は優勢だったという話も興味深かった。

その後

関ヶ原の戦いで、徳川勝利

11年後 豊臣の芽をつぶすために 大坂冬の陣、大坂夏の陣を戦った。

第6章 江戸時代

各藩ごとの藩札というものがあった。各藩のお金。
各自治体ごとのブロックチェーンの導入が可能であることを示唆しているのではないかなと思った。
参勤交代は各藩に力をつけさせないため。江戸に行くのに、莫大な費用がかかるから。
第3代将軍家光が鎖国を行った。これは日本の地理的条件のよさが可能にした。
士農工商
公式には名乗れなかっただけで、農民や町人にも苗字はあった。

家光の四男
第5代将軍綱吉
生類憐みの令
鶴の字法度
金融緩和政策  貨幣の中の金の割合を減らす。

元禄文化(京都、大阪を中心)
この時代は、金銀銅の産出国だった
井原西鶴、「好色一代男」「好色五人女」
松尾芭蕉の俳句、囲碁、本因坊道策
関孝和の和算、庶民が数学を勉強した。

これらの娯楽を見ると、江戸時代がいかに平和な時代だったかがわかる。

幕府の危機の際に、囲碁などはやらないだろう。

貨幣は国家の信用さえあれば、材質は何でもいいという「国定信用貨幣論」という考えを荻原重秀がとっていた。
これはかなり先進的な思想であった。つまり信用が価値であるという貨幣の本質を理解していたということである。これはすごく面白い。
それに伴って、貨幣の材質の中の金の割合を下げる貨幣改鋳を行った。


「荻原 重秀(おぎわら しげひで、万治元年(1658年) - 正徳3年9月26日(1713年11月13日))は、江戸幕府の旗本。勘定奉行を務め、管理通貨制度に通じる経済観を有し、元禄時代に貨幣改鋳を行ったことで有名。通称は彦次郎、五左衛門。官位は従五位下・近江守。」
「元禄時代になると新たな鉱山の発見が見込めなくなったことから金銀の産出量が低下し、また貿易による金銀の海外流出も続いていた。その一方で経済発展により貨幣需要は増大していたことから、市中に十分な貨幣が流通しないため経済が停滞する、いわゆるデフレ不況の危機にあった。」wikipedia


少し調べたのだがこういった背景が、貨幣改鋳にはあったようだ。
200年先に「国定信用貨幣論」が世界的に普及したことから、この考え方がいかに先進的だったかよくわかる。とともにいかに江戸幕府に信用があったかということもわかるなと感じた。

寺子屋
江戸の教育水準の高さ、無料でほとんど誰でも授業を受けられる。
赤穂事件
浅野長矩が吉良上野介に斬りかかる
浅野は切腹、赤穂藩は改易、吉良は何の咎めもなし。赤穂藩の浪人が仇を討つ。
この一連の事件を赤穂事件という。


改易:江戸時代においては大名・旗本などの武士から身分を剥奪してその所領や居城・陣屋・屋敷などを没収することを意味した。wikipediaより
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は、 人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつで、1748年に大阪で初演された『仮名手本忠臣蔵』の通称。また歌舞伎や演劇・映画の分野で、江戸時代元禄期に起きた赤穂事件を基にした創作作品。wikipedia


この事件は今でも歌舞伎の演目のひとつとなっている。

「江戸東京たてもの園」http://www.tatemonoen.jp/shisetsu/map.php
ここに行くと、三井の当時の栄華の姿を見ることができるらしい。

時間あるときに行ってみようと思う。

江戸は、火事がよく起こった。

「火事と喧嘩は江戸の花」ということが起こった。

脚気が流行った。ビタミンB1不足が原因。白米を食べるようになったことが原因である。玄米を食べている人はかからなかった。


第8代将軍 吉宗

足高の制:実力主義により役職を決める。これにより田沼意次が台頭した。生まれは紀州藩の足軽だが、幕府の旗本にまでなった。
目安箱の設置が江戸後期に起こった。この目安箱によって、庶民も政府に口を出していいんだという認識になって、討幕運動に繋がったのではないかと百田さんは、考察している。これも面白い。

化政文化(江戸を中心としたもの)
歌舞伎、版画

葛飾北斎もこの化政文化の時期の人である。

この頃からイギリスやロシアなどが日本にやってくるようになる。鎖国してはいるものの、少しずつ海外からの圧力を感じるようになる。


蛮社の獄(ばんしゃのごく)は、天保10年(1839年)5月に起きた言論弾圧事件である。高野長英、渡辺崋山などが、モリソン号事件と江戸幕府の鎖国政策を批判したため、捕らえられて獄に繋がれるなど罰を受けた。wikipediaより

1853年、ペリー来航
アメリカの目的:日本を捕鯨船の寄港地にすること
オランダからの通告がありながらも幕府は海外から船が襲来してくることに対して何の準備もしていなかった。
これは言霊主義に原因があるのではないかと百田さんは言っている。
ネガティブなことは言ってはいけない。言ったら、本当のことになるという価値観。
これは、大東亜戦争で「負ける」というワードを使ってはいけないというところまで続いている価値観。
なるほどと思った。
確かに言霊っていう考えは、日本だけかもしれないなと思った。
これは同じ言語が、1000年以上続いているという歴史的背景もあるのかなと思った。

第7章 幕末~明治維新

黒船が来航したことによる、ナショナリズムの芽生え。
天皇の再興。

どうするべきか庶民にも意見を求めた。これが討幕運動につながったのではないか?
政府にモノ言ってもいいという空気が生まれたのではないか。

1856 日米修好通商条約

アメリカの領事裁判権を認める。関税自主権がない。
14代将軍徳川家茂の署名によって結ばれたこの条約は、本来なら必要な天皇の許可(勅許)を受けずに執り行った。

領事裁判権(りょうじさいばんけん)とは、外国人がその在留国において本国の領事による裁判を受ける権利をいう。日本が江戸時代に締結した不平等条約などにみられる。
関税自主権(かんぜいじしゅけん)とは、国家が輸入品に対して自主的に関税を決められる権利。 wikipediaより

これは鎖国による無知がもたらした条約。
江戸幕府、最大の失態と言ってもいいかもしれない。

開国派である井伊直弼は、攘夷派の反対を受け、「安政の大獄」を行った。

安政の大獄により恨みを買い、「桜田門外の変」により殺される。

この事件により幕府の威信は急速に衰える。


大政奉還
王政復古の大号令
により260年続いた江戸幕府は終わる。

第8章 明治の夜明け
明治元年の干支が戊辰だったことから名付けられた戊辰戦争が起こる。
江戸幕府が260年続いたことからもわかるように、日本の政府、日本人は変化や改革を嫌う。
それに対して、明治維新のスピード感は異常であった。
それほどこのままでは日本という国が滅びるという危機感があったのだと推察する。

西郷、征韓論 を唱え、木戸、大久保らはそれに反対した。

明治六年政変(めいじろくねんせいへん)は、征韓論に端を発した明治初期(1873年)の一大政変。当時の政府首脳である参議の半数と軍人、官僚約600人が職を辞した。征韓論政変(せいかんろんせいへん)とも。 wikipediaより


長州藩と薩摩藩の権力争いが顕在化。

西南戦争へと繋がっていく。
士族の反乱、西郷の自決。
多くの歴史家は、西南戦争が明治維新の終わりと見做している。

第9章 世界に打って出る日本

板垣らによる、民撰議院設立建白書
自由民権運動が起こる。

1889 0211 大日本帝国憲法が公布された。

これによりアジアで初めて立憲政治が成立した。維新後約20年。このスピード感すごい。

君が代は、古今和歌集から引用している。世界最古の歌詞。

この頃、ロシアの南下を防ぐために、李氏朝鮮を開国させ、近代化させようとしていた。
そこに李氏朝鮮の内乱が起こり、清も日本も派兵した。
ここで軍隊が衝突し、日清戦争へと繋がる。

下関条約
清は、朝鮮半島の独立を認めることと日本の国家予算の4倍の賠償金をもらう。

朝鮮半島の独立を認めさせることで、ロシアの南下を防ぐという目的は達成。
また賠償金ももらえたことで、戦争は金になるという認識になる。

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この後、近代の日露戦争、それ以降の第一次世界大戦、第二次世界大戦と話は続いていくのだが、ここら辺から百田さんの主観が前面に出すぎてしまっていて、あまり客観的な史実とは言えないことも多いのではないかと個人的に思ったので、これ以降は内容を書くのは控えておこうと思います。

ここら辺の話は、猪瀬さんの

日本の近代 猪瀬直樹著作集 全12巻

第1巻『構造改革とはなにか-新篇日本国の研究』
第2巻『ペルソナ-三島由紀夫伝』
第3巻『マガジン青春譜-川端康成と大宅壮一』
第4巻『ピカレスク-太宰治伝』
第5巻『ミカドの肖像』
第6巻『土地の神話』
第7巻『欲望のメディア』
第8巻『日本人はなぜ戦争をしたか-昭和16年夏の敗戦』
第9巻『唱歌誕生-ふるさとを創った男』
第10巻『天皇の影法師』
第11巻『日本凡人伝』
第12巻『黒船の世紀』

を読んで、自分なりに解釈して学んでいこうかなと思ってます。

ちなみに

今現在、

第7巻「欲望のメディア」https://amzn.to/2QLurJA

第8巻「日本人はなぜ戦争をしたか-昭和16年夏の敗戦」https://amzn.to/2QKM9N8

は読みました。

欲望のメディアは本当に面白いのでおすすめです。


今回この本を読んで、第二次世界大戦について自分の言葉で見解を語ることができないのは、恥ずかしい限りだなと痛感しました。

自分の無学さを感じながら、読んでいました。今後百田さんの見解が正しいのかどうか様々な角度から勉強していきたいなと思いました。

何はともあれ、

平成最後の年に、日本の過去について知り、現在の日本の立ち位置を理解することは、予測できない激動の未来を生き抜くために必要なことであると僕は考えています。

一部SNSで炎上しているこの本ですが、

日本の通史を一度も考えたことがない人、今一度日本の歴史について考えたい人は、平成最後の今、読んでみる価値はあるのではないかと思いました。

歴史は、まず事実を学んで、そのあと自分の頭で考えることが大切だと思います。

日本の現状として間違いなく言えることは、日本人は日本のことを知らなさすぎるということです。

このブログを書きながら、僕は危機感、焦りが自分の中からフツフツと出てきているのを感じています。


日本国紀 https://amzn.to/2PtElTF 

このブログの中で、何か史実と違うことがありましたら、コメントしていただきたいです。よろしくお願い致します。


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