見出し画像

天気の子 〜自分のために祈れ〜

今話題の映画、観てきました。
内容については、
いろいろな所で書かれているので、
この記事では、この映画から僕が感じたメッセージを書いていきたいと思う。

映画の考察なので、
既に観た人に向けになってしまうと思うが、
そこはお許しいただきたい。


この世の中で規定されたルール

自分の価値観
お前は、どっちを大事にして生きるのか。

この問いが、
この映画のテーマだと
僕は思った。

大人になっていくということは、
自分の価値観がだんだん無くなっていき、
この世の中で規定されたルールの中で、
おとなしく生きていく
ことなんじゃないかなと思った。


「帆高くんは、晴れてほしいって思う?」
天気の巫女である陽菜のこの問いは、
「この世の中の大人のルールと自分の価値観、あなたはどっちを大事にするんだ?」
という問いかけなんだと思った。
帆高は、
「うん。」って言った。
その結果、自分の一番大切なものが失われた。
そのことを後悔し、
「自分の一番大切なもの」を取り戻そうと
文字通り、命を懸けた。

つまり、
自分の価値観を大切に生きろ。
というのが、この映画のメッセージなのだと思う。

このメッセージを強調する為に、
これでもかというぐらい多くの要素が
映画の中に組み込まれていた。

その中の1つとして、
この世の中の規定されたルールが、いかにまやかしのものか
を描写したシーンが、
何個かあったように感じた。

「天気には、正常も異常もない」
というおじいさんのセリフや
水に埋もれた東京を見て、おばあちゃんが
「元々は、この姿だったから、元に戻っただけだよ」
と言ったシーンなどがそれに当てはまる。

これらのシーンは、
常識というのは、
その時代ごとに作り出された幻想であるということ

を描いているのだろう。

世界には、異常も正常もない。
だったら、
まやかしの常識にとらわれず、
自分の為に祈りを捧げればいいじゃないか。

ということだ。

そして、
人は、いつから世間のルールに規定されていくようになるのか?ということも描写している。
これは、
夏美という就活生を登場人物に置くことで、
鮮やかに描かれている。
就活というのは、
典型的な「他人が決めたルールで、いい点を取る」ゲームだ。
だからこそ、
夏美を就活生にしたのだろう。

それまでは、自由に生きていた夏美も、
就活によって、
規定されたルールの中で、生きるようになるのだ。

感度の低い人には、
皮肉には見えないような
新海誠監督の就活への皮肉り方が、何とも憎い。

そして、僕が一番心に残ったシーンを最後に紹介しようと思う。
それは、
帆高を守り切らなかった際の、須賀さんの
「大人になると、大切なものの順番が変わってしまう。」というセリフだ。
これこそが、まさに
世の中で規定されたルール

自分の価値観
の順番が入れ替わってしまう

ということなんだろうと思った。
このセリフを言うときの、
須賀さんの哀愁漂う雰囲気が、本当に切ない。

晴れにする為に、
世間の人々のために、
晴れになるように祈ってきた、
天気の巫女である陽菜も、
最後は「帆高と一緒にいたい。」と自分の為に祈りを捧げた。

晴れ(世間の常識)を祈り、
最愛の陽菜さんを失ってしまった帆高も、
最後は、法律(世間の常識)を破り、
陽菜さんにもう一度会いに行った。


要するに、
数十年単位で変わってしまうような常識
なんかには捉われず、
自分の正義、価値観を貫いたらどうだ。

ということだ。

なんという緻密な映画だろうか。
もう一度観ようと強く思った。


感想あったら、ぜひコメントください!
反論も、全然受け付けます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?