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「グリーンブック」 人種も、職業も肩書きも関係ない。そこにあるのはお互いを思いやる気持ちだけだ。

2019年4月20日

グリーンブック、観てきました。
第91回アカデミー賞で最優秀作品賞をとった作品。
監督は、ピーター・ファレリー。

結論から言うと、最高の映画だった。

あらすじ

時は1962年。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は腕っぷしはもちろんハッタリも得意で、ガサツで無学だが、家族や周囲から愛されていた。ある日、トニーは「神の域の技巧」を持ち、ケネディ大統領のためにホワイトハウスで演奏したこともある天才ピアニスト、ドン・シャーリー(マハーシャラ・あり)のコンサートツアーの運転手として雇われる。まだまだ人種差別が根強く残る時代になぜか、黒人にとって制約と危険の多い南部を目指すシャーリー。粗野で無教養なイタリア系用心棒と、インテリな天才黒人ピアニストという何もかも正反対な二人が、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに、ツアーへと旅立った――。

引用 https://www.fashion-press.net/news/45243

映画冒頭のシーン

チップで揺すられる女、
お金持ちの持ち物を自ら盗み、後でそれを本人に渡して大金をもらうトニー、
ホットドッグの食べ放題で稼ぐトニー、

トニーの抜け目のない一面を表現しつつ、庶民はお金に困っていて、明日生きるために仕事をしているような生活をしていた時代背景を描いていた。

シャーリーの運転手兼ボディガードとして、働くことになったのもそもそもはお金欲しさだった。

元々
トニーリップ自身、人種差別者だったのだ。
お金というインセンティブがなければ、黒人の運転手などするような人ではない。

それは、トニーの家で黒人が口をつけたコップをゴミ箱に捨てるシーンに凝縮されていた。

そんなトニーが、黒人であるシャーリーとのツアーを通して、価値観が変わっていく。

そこがこの映画の肝だ。

この映画のメッセージは、

人種も、職業も階級も関係ない。

に集約されると思う。

まずトニーがフライドチキンをシャーリーに初めて食べさせるシーン。

フライドチキンは白人が捨てる食べにくい部位を長時間揚げることによって、骨を柔らかくし、骨ごと食べれるようにした黒人のソウルフードである。チキンは黒人奴隷でも飼えただとか、主人のために黒人がチキンを揚げていたとか、チキンで起業した黒人の話などが積み重なり、黒人を象徴する食べ物になっていった。

引用 https://m-tasso.com/2019/03/05/greenbook-friedchicken/

このシーンからは、まず黒人であるシャーリーがこれまでにフライドチキンを食べていなかったことから、黒人としてのアイデンティティを持ちきれていなかったことがわかる。
なぜなら彼は、天才的なピアニストで奴隷になることもなく、かなり裕福な生活をしていたから、黒人奴隷と同じ食べ物は食べたくなかったのだと私は推測する。

トニーに強引に勧められ、食べる。
美味しさに気付く。
黒人の食べ物という認識が強いフライドチキンを白人のトニーと富裕層の黒人が一緒に食べるシーンから、
人種とか階級とかそんなものは関係なく

やりたいことをやる。好きなものを食べるのがいい。というメッセージを感じた。

次に
シャーリーとトニーが言い争いによって決裂しそうになるシーン。

1人で豪邸に住み裕福な暮らしをするシャーリーと
家族やたくさんの仲間に囲われて貧しい暮らしをトニー。
この出自の違いから起こった口論だ。

トニー

「俺の方が、シャーリーよりよっぽど黒人だよ。
貧乏でその日暮らしをしているような人間だから。」

このような趣旨の発言をして、シャーリーの琴線に触れる。

シャーリーは、

「自分は黒人富裕層だから
黒人にもなりきれない、かといって白人に理解されるわけでもない。
どこにも居場所を感じず、孤独なんだ。」
と涙ながらにトニーに訴えた。

胸がはち切れそうで、観ていられなかった。

一言で言ったら、
アイデンティティの欠如と言えるこの状況が、どれほど苦しいだろうか。
自分が何者かわからない。

この苦しみは想像するだけで辛い。

ツアーの道中で見かけた黒人の重労働の描写はこのシーンのためにあったのだと、納得した。

スーツを買うときに黒人という理由で断られたり、
トイレに入れなかったり、
黒人は夜外出が禁止だったり、
黒人専用のホテルがボロボロな建物だったり、

多くの黒人差別を実感していくことで
黒人の苦労を知り、トニーの価値観は少しずつ変化していき、シャーリーへ敬意を抱くようになっていった。

そして迎えたツアー最後のコンサート。

まずシャーリーの楽屋が、ただの物置きだった。
そしてレストランに入ることも拒否される。

シャーリーとトニーは、このコンサートをボイコットすることを決めた。

そして、ジャズバーに行った。
そこは黒人だらけの店だった。

この映画で、トニーが初めてマイノリティになった瞬間だ。

マイノリティとかマジョリティとか、それはコミュニティによって違うだけで、本質的に人類は皆同じなんだ。

ということを描写したかったのだろうか。
上手く説明できないが、私はこのシーンですごく感傷に浸った。

そしてNYまでの帰り道は、
トニーが疲れ切ったから、雇い主のシャーリーが運転して帰って行った。

黒人だからと言って、むやみに逮捕する警官、
車のパンクを教えてくれる警官、
黒人で裕福なシャーリー、
白人で貧乏なトニー、

そして最後に運転を交代する二人、

肌の色とか職業とか経済状況とか関係なく、
大事なのはお互いを思いやる気持ちだけなんだ。

このことが作品全体を通して、ひしひしと伝わった。

トニーが妻へ送る手紙の助言をして、詩的な手紙に仕上げるシーンから
天性のアーティストであることもしっかり描写していたり細かい描写まで丁寧に作り上げていた。私は、このシーンがすごく好きだった。

私自身、

肩書きとか肌の色とか出自とか
そんなことに偏見は持たず、

人と人、
その人は自分と向き合ってくれているか?
また自分はその人が好きか?

心から思い合えるかどうか、そこだけで人間関係を築いていきたい。

そんなことを思った。


人種差別を扱っている映画は、最近だとブラッククランズマンもレビューしたので、ぜひ読んでほしい。


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