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不登校、引きこもりに必要なのは先駆者個々のトライアンドエラーのストーリーではないか?

写真は昨日忘年会の後撮ったものであんまり本文と関係ありませんw

不登校、引きこもりに関する教育支援から離れて2年が経過した。それまで当事者として数年、支援者兼、通信制高校技能連携校教員として十年ほど関わってきた分野だが、依然として外発的な領域からの決定的な解決策はない。私がたどり着いた一応の結論としては、基本的には十分な休養からの、内発的な動機付けを誘発する環境整備や人間関係作りと、成長を支える学習力、好奇心を刺激する仕組みだと思っている。いずれにしても最終的には本人がその気にならなければどうにもならないのである。

親や学校に原因があるケースも多いだろう。本人は何も悪くないかもしれない。しかし麻雀やトランプと同じように、配られたカードで最善を尽くすしかないのが現実である。

さて、私がこの分野で活動していたころ、しばしばいろんな団体の活動に誘われた。一応顔を出してみるが、大抵の場合はあまり芳しい経験はできなかった。

元不登校の集まりというのがあった。何をするのかと聞けば、お茶会やカラオケ、ボウリング大会などを毎月やるそうだ。その集まりを束ねるラベルは、「不登校OB」ということらしい。年齢層はアラフォー中心だった。目的は何かと聞いてみたところ、不登校を経験したからこその社会の生きづらさをシェアする集まりなのだという。私は、わざわざ不登校というラベルなど付ける意味がわからなかった。遊び仲間が欲しいのか、勉強会をしたいのかもよくわからない。

私はそれをとても不思議に思った。私は二年間不登校、通信制高校卒業というルートで、大卒後新卒で入った会社を半年ちょっとで辞めてうつ状態で8年くらい半ニートみたいな生活をしていた。自分なりに講師や個人事業のウェブ屋としてなんとか仕事の幅を広げていっている。その過程でかつての不登校や休業が足かせになったことはない。むしろ不登校からよく頑張ったとクライアントに褒められることもある。

仕事にならなかったケースは、単純に私の経験不足、能力不足、マッチングの問題、予算の問題である。あなたは学校サボったからダメですねと言われたことなんか一度もないし、そもそもあなた不登校でしたか?なんて面接や仕事の場で聞かれるわけがない。職歴に穴があればそれは聞かれるかもしれないけど、それは不登校だったことが必須要件になるような話でもなく、誰にだってありうる話である。

私に言わせれば、大人になってからかつての不登校が理由であれこれがダメなんですってのは、今の自分と向き合えてないんじゃないかと思うのだ。じゃあどうするんですかって今後の策を練るにしても、過去は変えられないので不登校だった過去を持ち出すことにもともと意味がない。(あと、念のために押さえておくが、経済的、家庭的な問題で高校進学できず色々破綻して就職できない…のようなケースは、不登校そのものというより、生活の問題の一部に不登校という現象が起きているのであって、不登校以前の重大なテーマなので今回の趣旨とは切り離しておく。)

例えば不登校だったから学力が足りない、ということなら、今からでも勉強すればいい。でもそれは単にやりたいことをやるには学力が足りないというシンプルな事実を受け入れなければならないので、人によってはそれが苦痛なのかもしれない。しかしいつまでも過去に縛られる必要などない。私がヤバいと思ったのは、不登校だったが故の辛さをシェアする会に若者が参加し、知らず知らずのうちに年長者に足を引っ張られるのではないかということだ。月並みな言い方をすれば傷の舐めあいになりかねない。

あえて過激に書くが、そもそも40歳になって当事者としての20年以上前の不登校経験でしかものを語れないところで一体何を学べるというのだろうか。若者は、自分の生き方を模索している。そのような若者を過去に縛られる場に巻き込まないで欲しい。彼らに必要なのは、不登校を経験した後に生き方を見つけた人たちそれぞれにあるストーリーとか、ライフハックのシェアではないのだろうか。そのような場であったなら、心から賛同したのだが。

(これも誤解を招かないように一応書いておくが、しばしば社会的に成功した人たちが支援したいと言ってこの界隈に首を突っ込んでくるのだが、残念ながら道徳的綺麗事や強者の論理を押し付けるだけのキラキラブラック企業的な人たちも少なくないし、私はこのようなピントのおかしい自称支援者に対して明確に反発してきた。考えの浅い意識高い系とか)

かつてのキレる17歳世代、不登校が社会問題になった世代の私だが、私の同級生も不登校経験者だらけで、9割くらいはそれぞれの能力や適性に応じた職をもっている。その過程で進学した者があれば、早く社会に出て実務経験を積んだ者もいる。

彼らとは未だに時々集まっては年甲斐もなくアホになって遊ぶ。結婚したメンバーも多い。お互いに、苦労したけど今は楽しいね、と言える関係だ。もちろん中にはまだ引きこもりから脱出できない人もいるが、必ずしも悲観する必要はない。

私は不登校だったからといって将来が閉ざされることはないと思う。特にそのようなストーリーをわざわざアウトプットしたり講演会を開くような人は少ないが、不登校だったものの社会との関わり方を自分なりに作り上げた人は不可視なだけで何十万人もいるのである。世間では語られる不登校経験談のは大逆転のストーリーが目立つのでプレッシャーになるかもしれないが、実はその影に沢山のごくありふれた地道な人生のストーリーがある。悲喜こもごもではあるが。

noteのように、人々のストーリーが手軽に共有できるプラットフォームがあることは、実に歓迎すべきことだ。

不登校であろうとなかろうと一人一人が固有の人生を紡ぐことに変わりはない。いつだって我々は誰かから生き方のヒントを得ることができる。そういう流れがどんどん広がって欲しい。


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