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(9)新人賞を読み、選評も読む

群像を読む生活が始まってから、SNSで文芸誌のことを検索する頻度が増えた。群像の面白かった小説について他の人の感想を読んだり、よその文芸誌にどんな作品が載っているのかチェックしたり……。それで分かったのは、文芸誌を習慣的に買って読んでいる人は意外といる、ということだ。
同じ雑誌を購読し続けている人もいたが、各誌の次号の情報が出揃った段階で「あの作家が書いているから次は群像と文学界にしようかな」と、選んで買っている人のツイートがよく目立った。文芸誌との向き合い方は人それぞれだ。
ちなみに、群像一年分に当選した人は僕以外に9人いるはずなのだけど、SNS上で他の当選者を見かけることはなかった。他の9人はどのように群像を読んでいるのだろうか……。

文芸誌読者たちのSNSでの投稿を見ると、やはり各誌の新人賞に注目している人が多い。群像では2023年6月号で、「第66回群像新人文学賞」の結果が発表された。受賞したのは村雲菜月『もぬけの考察』と、夢野寧子『ジューンドロップ』だ。
『もぬけの考察』はとあるマンションの一室を舞台に、住人たちの入れ替わりを定点観測するような作り。一本の中篇としての軸はありつつも、各エピソードのジャンルがちょっとずつ異なっていて、不条理ホラーのオムニバスを読んでいるようでもあった。
『ジューンドロップ』は、家族に関して事情を抱える女子高生二人の交流を描いた作品。主人公には、他者と比べて比較的幸福な環境に置かれているという自己認識があり、それが余計に、家族へのわだかまりを深める要因にもなる。コロナ禍や戦争など、社会を覆う苦しみがニュースやSNSを通じて否応なく視界に入る、現代ならではの感情の捉え方だと思った。
群像に限らず文学の賞では、二作品が同時受賞する時もあれば、該当作なしの時もある。今回の受賞作だってそれぞれ、描いているテーマもスタイルも読み心地も全く異なっていて、どちらが優れているかなんて簡単には決められない。そんな時にどちらかを無理やり外して一位を決めるのではなく、二作同時受賞という選択肢が許されているのは良いな、と思う。まぁ、出版社からすれば、デビューさせるのは一人より二人のほうがいい、という思惑もあるのだろうけど。
最近はお笑いの賞レースでさえトップを決めるための競技になってきて、それはそれで盛り上がるのだけど、良し悪しを数値ではっきり計測できないような分野で「一位以外は意味なし」みたいな空気が蔓延するなら、それはちょっと嫌だ。

二作品を読了してから、選評を読む。選考委員の五名がそれぞれ最終候補作に対する評価を、自身の文学観や選考に臨むスタンスを絡めて書いている。プロによる作品の見方の一端を知れて興味深い。受賞作が褒められている箇所を読んでは「なるほど」と思い、欠点が指摘されている箇所を読んでは「なるほど」と感心する。受賞作を読んでなんとなく思っていた点が評の中で的確に言語化されていると「我が意を得たり!」な気持ちで膝を打つが、同時に、読了後の余韻に浸ることなく即座に答え合わせをしているような、うっすらとした疚しさも感じた。
選評では、受賞を逃した作品にも言及がある。落選作については辛辣なコメントが多いが、しっかり褒めている場合もある。例えば町田康は、黒井瓶「AHA REM」という作品について選評でこのように書いている。

 人間の気持ちの来処、行き処というのは不確かで、だけどいちいち究明していたら気がおかしくなり世間から省かれてしまう。それ故、当たり障りのない来処行き所を便宜的に設定、それを棚上げして生きる為の道具が世間に様々売ってあって、小説もその一つであるのかも知れないが、しかし小説の中には、その逆を行くものもあり、何回も読んでその都度、自分が揺れ、また振れて、読んだことと生きる実感が直に結びつくのはそうした小説である、と自分なんかは思う。黒井瓶氏の「AHA REM」はそういう小説で、現実を生きる者と生きない者、現状に適合できる者とできない者、それらの局面で被害者であったり加害者であったりする者、などを描いて、さらにはその場所や風景、言葉遣いなどを工夫することによって、不確かな人間の気持ちとそれよりなる社会・世間のそれを成り立たせている根拠の不確かさも描いて見事な作品だった。

群像2023年6月号 P118~119
第66回 群像新人文学賞 選考委員選評
町田康「小説の仁」

この後で「但し脳を焼くことによって語り手が中立的な位置を保つという趣向は成功していないように思える」と作品の難点を指摘してはいるが、それも「致命的な不備であるとは自分は思わなかった」と書いているので、激賞に近い評価だろう。
他の選考委員からの評価は芳しくないとはいえ、一人がこんなに推しているなら「AHA REM」のことが気になってくる。だが、落選作は群像に載っておらず、選評だけを読んでどんな作品かを想像するしかない。なんだか藪の中みたいな心持ち……。
と、ここまで書いたところでふと、Googleで「黒井瓶 AHA REM」と検索してみたら、作品があっさり出てきた。作者が自身のカクヨムで全文公開しているのだ。他にも新人賞に落選した小説を自身のサイトやSNSなどを使って、公開している人は多いらしい。お笑い賞レースのファイナリストが、自身のYouTubeで決勝ネタを公開する感じに似ている(芸人の場合、違法アップロード対策と再生数・登録者数を稼ぐ意図が強いのだろうけど)。
たとえ受賞を逃したとしても、最終候補に残っている時点である程度のクオリティが担保されているはずだ。そうなると、読んでみたくなる。
こうしてWEB上にも、積読が増えていくのだった。


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