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(3)連載を途中から読む

群像一年分が当たって、最初に届いた1月号を通読する。

前半にはその号の目玉となる小説や論考、特集企画が並んでいる。後半には連載作品が続き、時々その間に2~3ページ程度の短い随筆が挟まる。巻末のほうに書評、その号の執筆者一覧があって、最後のページに編集後記。群像はどの号もおおよそこのようなページ構成になっている。
1月号には高原到の評論連載の初回が載っていたが(後に『戦争論』として書籍化)、その他の連載は前回からの続きだ。全作品を読むと決めたので、当然「連載を途中から読む」という事態が生じる。

各回が一話完結の形式になっているエッセイ連載は、難なく読むことができた。問題は長編の連載小説・評論の場合だ。それまでの経緯がごっそり抜け落ちている状態で、続きから読まなければならない。

たとえば、1月号に掲載されている上田岳弘の連載小説『多頭獣の話』第4回の冒頭はこんな感じだ。

 白と黒とに塗り分けられた仮面をつけて戻ってきた村上さんを見て、思考が止まった。それからすぐに警報音が鳴るみたいに、頭の中がその仮面のことでいっぱいになった。
 間違いなく、あれは、セロトニンマエストロJOEの仮面だった。五年前に一斉に消えたロボット一派の一人。世界中の人々を薬で幸福にできると主張していた狂人。
 村上さんは大きな会議机の周囲を半周し、元の席に戻ると仮面を取った。
「びっくりしました?」

群像2023年1月号 P274
上田岳弘『多頭獣の話』第4回

僕の頭の中をハテナマークが飛び交う。セロトニンマエストロJOE? ロボット一派? なんのこっちゃ。ただ、読み進めていくうちにおぼろげながら、これがどういう場面なのかが分かってくる。どうやらロボット一派とは作中に登場するYouTuberグループの名前らしい。主人公・家久来の仕事上の取引相手か何かだと思われる村上さんは、家久来がYouTuber好きだと聞きつけて、セロトニンマエストロJOEのマスク(イベントの際に配られたイミテーション)をプレゼントとして持ってきたようだ。YouTuberロボットの正体は桜井という人物。家久来と桜井は会社の元同僚で……。
文字を目で追いながら、「これは何の話をしているんだ?」という思考が渦巻いていく。文章の断片や、登場人物の会話を手掛かりに、脳内で辻褄合わせが行われる。

「この感覚、なんだか懐かしいな」と思った。

僕には二つ年下の弟がいる。子どもの頃、我が家では僕と弟それぞれに定期刊行の漫画雑誌が買い与えられた。小学生のときは僕がコロコロコミック、弟がコミックボンボン。中学では僕が週刊少年ジャンプで、弟が週刊少年サンデー。兄の特権で同世代人気1位のほうを僕が買ってもらっていたが、結局は弟もジャンプを読んでいたし、僕もサンデーを読んだ。

漫画雑誌を初めて買ってもらったとき、「連載を途中から読む」をたしかに経験したはずだ。この文章を書きながら、最初に買ってもらったジャンプで『銀魂』を途中から読んだときの記憶がうっすら甦ってきた。「舞台設定、江戸時代っぽいけど、何か変な形のキャラもいるし、自動車に乗ってるし、よく分からんな……」と思ったはず。たしかマダオがタクシー運転手になる回だ。
それからは長らく、連載を途中から読む経験をしてこなかった気がする。そもそも漫画自体ほとんど読まなくなった。連続ドラマも、途中で観なくなることは多々あるが、途中から観始めた記憶はあまりない。たとえ物語半ばの回から観始めても、今なら見逃し配信があったりして、すぐに前のストーリーを遡れるしなぁ……。

せっかくなら初回から読みたい。そう考えるのは当然のことだ。僕がもし群像を通読すると決めていなかったら、連載途中の作品にまで手を出さなかったかもしれない。本来、雑誌は気になるものだけ拾い読みするだけでも全然構わないのだから。
ただ、通読チャレンジにより色々な連載を途中から読みまくった結果わかったのは、「途中から読んでもおおよそどんな話をしているのかはわかるし、面白いものは面白い」ということだ。皆さんも今お手持ちの文芸誌で、読んでいない連載があったら途中からでも読んでみてほしい。大丈夫、たぶん面白いから(単純に自分の好みと作風がマッチしないことはあるかもしれないが)。

で、僕が連載に関して抱いている不安はもうひとつある。それは、僕のもとへ群像が届くこの一年の間に、完結しない連載があることだ。きっと、この期間で最後までたどり着く作品は少ない。この間に、新しい連載だって始まっているし。途中から読み始めた僕は、途中までで読み終えるだろう。その宿命に震えている。


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