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358.生の鑑賞とライブ配信って良し悪しとかでなくて、質が異なる体験じゃない?っていうのがいまいち共通認識でないことについてのメモ

最近は無観客ライブとか配信形式の公演をそれぞれの企業や作り手がめちゃめちゃ考えてできる限りの工夫をしてしかし準備時間の制約も新たにかかるコストもある中で、それでもやるよっていうモードになりつつあって、本当にそういうスタンスにはリスペクトしかない。

で、しがないイチ観客の僕はというと、TLのガチで演劇が好きだったり俳優クラスタだったりしてる人たちに比べて、公演中止や延期でメンタルにダメージ食らうほどでもなく、むしろ「寄席とか通常営業だもんな、よくやるぜ」など言いながら、気が滅入ってはいるけど本を読むなどしてほどほどに自分の機嫌を取りながらやってきている。
じゃあ、配信あるから生の公演やライブはいいや!って感じなのかと言われるともちろんNO、っていうか、生のライブと配信を等価に近いものとして扱っている人が割と多くてビビっている。
等価っていうワードを使ってしまったが、「劇場で観てこそ!」みたいなライブ至上主義的な良し悪しの話でなく、生で観るのと配信で観るのってメディアが違う時点で質の異なる行為でしょ、という話だ。

別のnoteでも書いたけど、僕は演劇や映画や落語や、あるいは美術館での鑑賞と、自宅でDVDとか配信での鑑賞の一番の違いは、自分と作品の主従関係であると思っている。
例えば映画館で観るとき、よっぽどのことがない限り上映は始まってから終わるまでノンストップだし、椅子に座った体勢を維持させられてしまう。そういう自分の自由にならない状態、映画(館)に対して自分が「従」な鑑賞と、自宅でDVDを再生し好きなように巻き戻したり一時停止したりしていいし合間にスマホ見たりトイレ行っても全然オーケーな映画に対して自分が「主」な鑑賞って、体験として真逆じゃん!

と思ってるんだけど、世間的にそれって全然共通認識ではないんだなー、というのが最近の気付き。

個人的には自分が「従」の立場で、アウェーに置かれる鑑賞がやっぱり好きなので、それを楽しめる状況に早く戻らないかなーと思っている。

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