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#一歌談欒 Vol.3 本を詠む

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい(笹井宏之)


 木を隠すなら森の中って言うけど、『森』の中に『木』を紛れ込ませても、三分の一の確率で見つけられてしまう。やっぱり森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森森…という鬱蒼とした中にひとつだけ『木』を紛れ込ませるくらいじゃないと隠せないんじゃないかな。

 僕がそう話すと、妻はにやりと笑って「もしかすると」と言った。

「もしかすると、見つけてほしいんじゃない?」

「見つけてほしい?」

「本当は見つけてほしくて、『森』の中に『木』を隠すのよ。三つの中のひとつなら見つけてくれると信じて」

 誰を信じるんだよ、と僕が笑うと妻はむっとした顔になり、近くにあったメモ帳を手に取ると何かを書きなぐった。

「大体ね、『木』を隠すのに『森』をたくさん書くなんて言い出すのがいけないわ。ナンセンスよ。そんなことしなくても、『木』を隠すことなんて容易にできるわ」

 言いながら、妻はメモ帳をこちらに渡した。そこに書かれた字を読む。

「本?」

「そう、『本』。『木』に棒線を書き足すだけでいい。誰もこの『本』が元々、『木』だなんて思いもしないわ」


 この本じゃないな。本棚に戻して、別の本を取り出す。


 道端に落ちている軍手は大きく二つに分けることができます。ひとつは「放置型」。その名のとおり、地面に落ちた軍手が、落下したそのままの形で放置されているものです。もうひとつが「介入型」。こちらは道端に落ちていた軍手を、通りがかりの人が見つけ、より見つけやすい場所に置き直してあげるといったように、落とし主以外の第三者が介入しているもののことです。

 質問? なんでしょう。道端に落ちている軍手を落とし主が見つける確率は? なるほど…、それは答えにくい質問ですね。なにしろ、落とし主が見つけて持って帰ってしまった軍手を、私たちが道端で観測することはできませんから。そう、不在を観測することはできない。

 あ、もうひとつ質問ですか。どうぞ。軍手は、落とし主に見つけてほしがっているか? はぁ…、それもわかりかねますね。私は道端に落ちている軍手を研究してはいますが、さすがに軍手と話すことはできないので。ええ、そういったことは、観測や分析とは別の問題なのですよ。


 この本も違った。戻して、さらに隣の本を手に取る。


 この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい

 こんな短歌がある。笹井宏之さんという人の作った短歌だ。僕はこの人の他の短歌も知っているし、この人の経歴も漠然と覚えてはいるけど、今回は、この一首について書く。

 この短歌は大きく前半と後半に分かれている。「この森で軍手を売って暮らしたい」が前半で、それを受けての後半が「まちがえて図書館を建てたい」だ。前半から考えてみよう。

 森の中で軍手を売って暮らしたい、というが、では作者は誰に軍手を売っているんだろうか。軍手を買うということは、きっとその森で作業をする人だろう。例えばそれは、木々を伐採する人だ。

 作者は木々を伐採する人に軍手を売って、生活をしたいと思う。しかし、伐採が続けば森は林に変わり、やがて最後の一本すら刈り取られてしまうだろう。森の生は奪われていく。そこに彼は間接的ではあるが、加担することになる。しかも、生を奪う人から金を取って暮らそうとしているのだ。

 それから後半では、作者の欲望は突然「図書館を建てたい」に変わる。図書館を建てるということは、「奪う」とは逆の「残す」行為だ。僕の頭の中で、伐採された木が加工され建材になり、あるいは「本」の材料となって、元々、森に生えていた質量を保って「図書館」に変換されたようなイメージが生まれる。奪うのではなく、残すこと。欲望が変わっている。

 では作者はなぜ、この欲望の転換を「まちがえて」と表現したのか。それは「軍手を売って暮らしたい」から、「図書館を建てたい」の変化の中で、「自分が暮らす」という部分がごっそり抜け落ちてしまったからではないか。図書館は無料の施設だし、儲けが発生しないから、もちろんそれで生計を立てられない。

 奪って生きていくよりも、何かを残したい。たとえ、それによって生きていけなくなったとしても、別の何かを、永遠に。

 そういう風に詠んだのではないか、と勝手に僕は読んでしまう。

 こう書いてふと気づいたのだけど。「読む」と「詠む」は同音異義語だ。言偏を取ると「売」と「永」になる。

 作者は歌人で、だから、詠んでいた。

 売ることでなく、永らえること。


 この本も違った。結局探していた本は見つからず、まったく関係ない本ばかり手に取ってしまった。

 この本たちは、僕に見つけられたかったのだろうか。

 それは外からは観測できない。

 結局何も借りずに、僕は図書館を去る。帰り道に軍手を探してみたが、何も見つけることはできなかった。

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