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(6)斜め読む

「雑誌の掲載作品を全て読んでいる」
そう書くと、全ページの隅々まで丁寧に読んでいるのだと思われるかもしれない。残らず読むなんて大したものだ。勤勉だ。あるいは、どうかしている。そういった声が聞こえてくる(気がする)。
誤解を解かなきゃならない。全てのページに書かれた文章を、きっちり理解して読んでいるわけではないのだ。字面だけサーっと目でなぞるだけの、斜め読みになってしまう場合もある。

僕は通勤・退勤の電車内で本を読むことが多い。朝の通勤時、まだ起きて一時間ちょっとしか経っていなくて眠気を引きずっている頭では、難しい評論文をきっちり読みこなすことはできない。文章がすんなりと頭に入ってくれず、視線がページの上を滑る。退勤時もそれはそれで、実働8時間の勤務を終えて疲れた状態なので、込み入った文章はスムーズに読み進められない。
小説やエッセイ、自分にも知識のあるジャンルの批評ならまだ読める。だが、基礎的な事項すらあまり知らない分野の評論になると、斜め読みの度合いが上がってしまう。

正直に書こう。僕にとって、群像を通読する上での一番の鬼門は、田中純『磯崎新論(シン・イソザキろん)』だ。
慌てて補足するが、もちろん、この連載自体に何か問題があるわけではない。建築を論じる上での背景知識や有名な建築物・建築家、歴史に疎い読み手である僕に原因がある。磯崎新の歩みと功績を緻密に論じれば、必然的に固有名詞が増えていく。それが建築史的にどう評価されているのか、という以前に、どこにある何の建物なのか、知らないことばかりなので論旨を追う手前で立ち尽くしてしまう。
せめてスマホで建物について検索しながら読めば、もう少し文章の理解も深まるのだろう。でも、分厚い群像とスマホをそれぞれ手に持ち、ぎゅうぎゅうの通勤電車で読書と調べものを同時にするのは大変すぎる。周りの乗客からも顰蹙を買うだろう。

加えて、これは群像通読チャレンジを始めたことで再認識したのだけど、僕はどうやら、文章で説明された空間を思い浮かべるのが苦手らしい。小説でもエッセイでもそうで、「建物はこんな作りになっていて、室内はこんな間取りで」という説明を読んでも、頭の中で空間として組み上がっていかない。これは文章の良し悪しとは関係ない話だ。だから、部屋の作りがトリックに関わってくるミステリー小説も、肝心な部分をなんとなくで読んでいたりする。
例えば『磯崎新論』では、磯崎が手掛けた秀巧社ビルがこのように説明される。

 福岡にある印刷・宣伝会社・秀巧社の本社ビルは、広い道路に面した短辺をもつ細長い敷地に建てられていた。その基本構造は各辺九・六メートルの立方体フレームを並べて二段に重ねたものとなっており、下部の外壁には一・二メートル角のトラバーチンの板が貼られ、そこにニッチをなす正面エントランスのほか、大小の正方形の窓が規則的に配置されている。上部はこれとは対照的にグリッド上に割りつけられたガラス張りであり、結果として立体のフレームが柱のように見える。こうした二層構造の直方体のうえには、建物全体のちょうど三分の一サイズで相似形をしたペントハウスが載る。

群像2023年1月号 P459
田中純『磯崎新論』第13回

これを読んでいる僕は「広い道路に面した短辺をもつ細長い敷地」でさえ、あんまり思い浮かべられていない。今、引用するために書き写してやっと「あぁ、広い道路に面した短辺をもつ細長い敷地ね」と分かるのだけど、ただ誌面を漫然と読んでいる段階では、敷地の形すらぼんやりしている。読んでいるうちに一応、脳内にぼんやりと四角い建物が出来上がりはするのだけど、それが描写されているとおりのものなのか、そもそも建物なのかも怪しい。
ちなみに、この文章を書くついでに「秀巧社ビル」を画像検索して、建物の外観を見た。「大小の正方形の窓が規則的に配置されている」とは、大小の正方形の窓が規則的に配置されているということだったのかと、今更理解する。

こんな具合で斜め読みしているのだけど、内容が全く頭に入っていないわけでもない。
『磯崎新論』第21回(群像2023年9月号)を読んでいたら、終盤で「二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロによる建築地政治の変化」という文言が目に入ってきた。ワールドトレードセンターが崩れる映像が脳裏に浮かぶ。それはもちろん衝撃的な事件だったわけだが、「テロリズムによる都市の象徴的な建造物の崩壊」が、建築業界にも大きなインパクトを与えたのだ、ということには今まで思い至らなかった。もしかしたら建築史・建築論をあれこれ読んでいる人には当然のことなのかもしれないが、僕にとっては新しい気付きだ。

たとえ論旨をまともに追えていない斜め読みであっても、断片的な発見や気付きはある。固有名詞にピンと来なくとも、将来、別の文章で出会った際に「お前にはそういう意味があったのか!」と、より深い驚きと共に理解できるかもしれない。
ただ字面に目を通すだけでも、次につながる何かが起こっている。脳内でぼんやりしていた建物が、はっきりとその姿を見せてくれることも、ごくたまにあるのだ。

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