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認知症世界を100倍楽しむ方法

認知症ケアの現場では、
被介護者が自分の便を
口にしてしまうケースがあるそうだ。

自分の親を自宅介助してて、
もしそんな行動をとられたら...。

考えるだけでめちゃくちゃ気が滅入ってしまう。

でも、異食がおこる背景を聞いて
さらに驚いた。

介護者に粗相したことをバレたくなくて、
隠蔽のために行うケースがあるらしい。

なんと健気なことだろう。

介護者に面倒をかけたくない。

ましてやそれが、自分の子だったら
より切実な思いを抱いたりするのだろうか。

それでもどうにもならない自分の症状。

なんとか自分にできることはないか。

いろいろ機能を失った、自分の体と頭と心で、
必死に導きだした結果の行動なのだろうか。

そう思うと切なくなる。

認知症のある本人から見える世界は
いったいどうなっているんだろう?

そんな思いから
一冊の本を手に取った。

「認知症世界の歩き方」

とにかく、「本人」の視点で
認知症を知ることを目指した本。

当事者100名から
何度も取材を重ねたそうだ。

認知症で経験するできごとを
臨場感をもって伝えるために
「旅のスケッチ」と「旅行記」として
まとめている。

気になった症状を取り上げてみよう。

・自宅にあるトイレのドアがわからず混乱する
 (目に見えないドアのむこう側を想像できない)

・玄関マットが落とし穴に見えて怯える
 (見たものを正しく認識できない)

・寝室にいないはずの人が見えて恐怖で叫ぶ
 (本物か幻覚かまったく区別がつかない)

・懐かしい気分になるのでなく、本当にタイムスリップしてしまう
 (ぼんやりと徘徊するのではなく、本気。そして我に返る)

おれは思う。

え?!これ毎日が冒険じゃね?

もしかして認知症って、
やりようによっては
楽しめるんじゃないのか?

もちろんおれの意見は
現実を知らない
能天気なものだってことは
重々承知している。

それでもほんのちょっと
心に残る期待を
捨てることができない。

その原因は、あるモデルケースにある。

蛭子能収と東野幸治の関係だ。

蛭子さんは今、認知症の症状を
抱えながら生きている。

そんな中、数少ないけど
TVの仕事を東野と共演する。

認知症なので共演者の名前が思い出せない。
それを東野は面白がって笑う。

10年以上共にした東野のことも分からない。
「ショックやわー」
言いながら、それすら笑う。

深刻にしないから蛭子さんも笑う。

その先に未来があるのではないか。

自分の認知機能を過信しなければ、
自分の認知と、現実に対して
「さてどっちが本物だろう」
そんなふうに答え合わせを
楽しめるのではないか。

周りに関わる人たちも
「またやってるw」と
面白がれれば
負担が減るのではないか。

なんかうまいことできれば
自宅のトイレを探す探索も、
玄関マットの落とし穴も、
寝室にいないはずの人間も
こどもの冒険ごっこのように
立ち向かえるんじゃないだろうか。

そのためには、本人にも、周りにも
社会全体にも、相応のゆとりが
不可欠だろうけどね。

だからおれは
自分が認知症になった老後を
怯えながらも、
ほんのちょっと期待し
夢見ている。

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