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とあるインターネット業界のエンジニアのこれまでのキャリアをゆるく振り返る - vol.2 新卒編

vol.1 就活編でまさかの内定取り消し願いを出した。秋葉原の某PCパーツ屋のバイトの方が楽しかったのでそっちに戻ろうと思っていた。尖った技術者がたくさんいる方が圧倒的に楽しかったのだ。

間もなく就業する直前で内定取り消せって言い出したやつなんてすぐ内定取り消してくれるだろうと思っていた。会社からの答えはまさかの引き止めだった。

今はエンジニアリングマネージャーとして採用にも関わっているからわかるが、内定取り消ししようとする新卒でも全力で引き止める。せっかくの縁なので一緒に働いて欲しい気持ちがある。今では当たり前にわかるが、当時まだ社会人になる前の自分はそんなことさえもわかっていなかった。

せっかく引き止めてもらえたのでこのまま無事に新卒として入社した。

2004年4月にめでたく入社し、入社後は内定アルバイト時代と特に変わらず社内SEのような立ち位置でPC修理やPCの使い方のサポートや新しく入社した人のPCのセットアップなどをひたすらこなしていた。当時も思っていたがこんな趣味のようなことをただやっているだけでお金がもらえるなんて最高かよと思っていた。

初任給は確かドラムセットを買った。元々ギターとベースはやっていたのでドラムもやりたかったのもあり自宅にドラムセットを買った。よくある初心者入門セットみたいなやつでお値段なんと3万ちょい。爆安である。爆安だけどドラムセットの良し悪しがわかっていなかったので十分だった。

ドラムは昼夜関係なく叩いていたので近所迷惑だったと思う。実際ものすごく五月蝿くてさすがの自分も「これはあかん」と思い、中々ドラムを叩くことはなくなっていった。

就職した会社がパチンコ・パチスロ遊技機の中古売買の仲介業の会社だったので、社員の趣味を平らに均すと、「パチンコ・パチスロ・タバコ・酒・ギャンブル」みたいな人ばっかりだった。入社時の自分はどれも該当しなかったが郷に入ったら郷に従ってしまったため、入社間もなくヘビースモーカーになり、そのままパチンコ・パチスロにハマっていった。

特に当時パチスロ4号機全盛期ということもありジャラジャラと万枚が爆発しまくっているような世の中だった。一番最初にやったパチスロは確かHEIWAから出ているドロンジョにおまかせ(Aタイプ)だったような気がする。HEIWAのAタイプは結構好きで、不二子2とか好きだった。割とひねくれた正確だったのでBタイプも好きでアリストクラートの初代マッハGOGOGOはかなりやった。好きすぎて実機も買った。今でも自宅にマッハGOGOGOの実機がある。

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上の写真は購入して届いたばかりのミリオンゴッドとカンフー列伝である。自宅でプレミアムゴッドを引いたが消化するのが辛くて全く面白くなかったのは良い思い出である。

そんなこんなで仕事はしていたがほとんど遊んでいた。仕事は片手間で終わってしまうような感じだったので昼休みは上司とゲーセンでパチスロを打ち、仕事が終わったあとはこれまた同僚や上司らと飲みに行ってから帰りに店舗で実機を閉店まで打ってから帰る。といったそれはもう自堕落な生活をしていた。

そんな生活をしていたため、給料日初日にパチスロにほぼ全額をぶち込み、翌日から無一文というような酷い生活をしていた。幸い実家住まいだったため普通に生きていたが、給料日翌日には親からお金を借りるようなクズな生活をしていた。お金はないのにさらにパチスロを打つために親や同僚や友達からも金を借りて打っていた。本当にどうしようもないクズである。

新卒1年目のGWや夏季休暇もお金がなかったので誰かからお金を借りるか恵んでもらうかして生活していた。それはそれで辛かったが鈍感な方だったので気にしていなかった。

確か2004年秋ころに断腸の思いでパチスロを辞めた。その頃には自宅に実機が5台あった。ハマりすぎて実機を買っていた。ミリオンゴッド、花火百景、マッハGOGOGO、カンフー列伝、ギンギン丸の5台である。

この頃の友人はパチスロにどっぷりハマっているような人たちしかいなく、自宅がたまり場になっていたこともあり、ウチでよくパチスロを打っていた。中々ひどい状況だった気がするがそれはそれで楽しかった。

パチスロを辞めた頃には新しい仕事もしていた。ECサイトのWebクリエイターである。某ECサイトのシステムを使って自社で扱う商品を売るようなECサイトのデザイン・コーディングだけではなくすべてをまかされていた。今思えば新卒に完全に丸投げである。当時はすべて自分でできることが嬉しくてひたすら自由にやっていた。残念ながら売上はそんなに立たず、その後閉店することになる。

webの受託っぽいこともちょこっと経験した。とあるローカルTVの公式サイトを作って欲しいという内容だったと思う。とりあえず初回のクライアントとの顔合わせは先輩と一緒に行った。そこでヒアリングをし、見積もりとデザイン案を出すことになった。そこから1週間くらいかけてデザイン案はなんとなくできた。見積もりの作り方はわからなかった。とりあえずデザイン案ができたので一緒に行った先輩に見せた。デザインについては特に何も言われなかったのだが、NextActionをどうしたら良いかわからなかったので相談したら、デザイン持って再びクライアントに会うことになった。というか1人で行ってきていいよ〜みたいな軽い感じだった。内心、そんな大事なこと新卒1人にやらせるのか?みたいに思ったし会ってどうしたら良いかもわからなかった。

とりあえずアポを取り、デザイン案を持って1人でクライアントのところに行った。デザイン案を見せたところ「もっとウチを理解してからデザインつくってこい!」みたいなニュアンスでめちゃくちゃ怒られた。めちゃくちゃ怒られたことだけは覚えている。めちゃくちゃ怒られたので凹んだ。新卒なので意思決定をどこまでしたら良いかもわからないしそもそも受託わからんし。みたいな気持ちにしかならなかった。めちゃくちゃ怒られたので帰りの道中で会社に戻ったらなんて言ったら良いのだろうか、とちょっとだけ悩んだ。

会社に戻ってめちゃくちゃ怒られたことを話したら全然気にされなかった。「まぁ、あとは見積もり送れば良いよ」みたいな軽い感じだった。それで良いのか?と思いながら見積もりの作り方を教えてもらって見積もりをFAXした。多分この案件を真面目に取る気はなくてとりあえず経験として新卒に丸投げしてみただけだと今ならわかる。そう、新卒は色々と試されている。もしくはめんどくさいから新卒に投げただけである。新卒の気持ちはお構いなしに先輩らは丸投げしてくる。

見積もりを出したあとはしばらく返事が来なかったので1ヶ月くらい経った頃に電話でクライアントに「その後いかがでしょうか?」みたいな電話をした。そこで「今回は自社で制作することになりました。」みたいな返事をもらった。自社で制作したかはわからないがご丁重にお断りされた瞬間である。でもホッとしていた。こんなの受けても自分には作れないと思っていたからだ。web受託は結局やらずこれで終わりになる。

その後はまた自社のECサイトの運営と社内PCサポートなどをやっていた。パチスロもやめたのでお金も給料日前には使い切っていたが溶かすようなことはなくなっていた。

確かパチスロを辞めた時期と同じくらいの時期に友達がタバコをやめたいと悩んでいた。そこで禁煙セラピーという書籍で読み終わった瞬間からタバコをずっと吸ったことがないという社内の人の話を効いていたので、友達とその本を一緒に本屋に買いに行った。友達はお金がないニートだったので禁煙セラピーの本は自分が買った。その日は友達が泊まっていったので自分は先に寝てしまったが友達は夜な夜な禁煙セラピーの本を読み、朝起きたら禁煙セラピーの本の横にまだ半分ほど入ったタバコ(KOOL)の箱とライターが置かれていて、友達はタバコをやめたんだなということがわかった。しかし自分は信じていなかった。そんな本読んだだけでやめられるとか意味がわからなさすぎる。タバコは友人のような存在でなくてはならない存在であり常に携帯していたいほど大事なものであった。それをいとも簡単に捨てるとはどういうことだ。自分はタバコをやめる気はまったくなかったが、友人の置いていったタバコ(KOOL)をもらって吸いながら禁煙セラピーの本を読み始めたのだ。

この時は全く想像すらできなかったが、まさかこの禁煙セラピーがきっかけで自分の今後の人生にとって何度も転機が訪れることになるのである。

次回、vol.3 初めての転職決意編に続く!

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