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走るのが苦手なら、歩き続ければよいのさ(^^♪

親に言わせると、私は、幼稚園のころまでは、目立つほうだったのだという。容姿が良いとか、頭がいいとかではない。いわゆる、お転婆で、はしゃぐのが大好きだったらしい。小さいころから、声が大きかったようで、何かと出しゃばっていたようだ。本人全然覚えてないんだけれど。

私が子供のころ、香川の田舎町には、子どもが思いっきり遊べる空き地が、たくさんあった。また、コメ作りも盛んな地域で、水田もたくさんあった。今ではどうか知らないが、春が盛りになってくると、レンゲ畑が広がる。

外国の人が、この日本のレンゲ畑を絶賛して、「日本の農家は、芸術家だ!」と、叫んだことがあるのだそうだ。高校生の時、生物の先生から聞いた話だ。

けれど、先生によれば、日本のレンゲ畑は、農作業の一過程にすぎないのだという。マメ科の植物であるレンゲの種を田んぼに撒いて一面のレンゲ畑にする。マメ科の植物は窒素を作り出す性質を持つので、花が終わったころに、全部を土にすき込むと、土が豊かになる、という仕組みなのだという。

「外国人は、そうゆうこと、知らんからの。”うわぁ、きれいや! 日本人は、芸術家じゃ!”と、喜んだらしいわ」

そう笑っていた。もっとも、日本人の私も、農業を知らないから、単純に、レンゲ畑の美しさを愛していた。小学生のころまでは、畑に座り込んで、レンゲを摘んで遊んでいたものだ。若々しい緑の葉と、少し濃いピンクのかわいらしい花は、観ているだけでも幸せだった。このレンゲは、実は、ウサギも大好物。当時、実家でウサギを飼っていたので、彼らへのお土産にしたこともある。今のウサギさんたちは、食べたこと無い子が、ほとんどでしょうねぇ。

レンゲ畑の中を、私は走り回った記憶がない。ただ、ピンクのじゅうたんの中を、ニコニコしながら、歩き回っていたように思う。そこにいれば、レンゲに囲まれていれば、自分もお姫様👸になれた気がしたのだと思う。

そもそも、レンゲ畑には、誰かといたのか? あの頃は、のんきなところもあった時代だから、子どもがレンゲ畑に座り込んでも、とがめだてする人は、あまりいなかった。もちろん、ご近所ネットワークで、母から、「あそこの田んぼには、入らんようにな。あそこの人は(土地の持ち主のことだろう)、うるさいけんな!」と注意されれば、そこにはもちろん、行かなかったけれど。

このころは、あまり本も読まない、外遊びが好きな子供だったのだ。外には、子どもの相手をしてくれるいろんな命が、たくさんいたから。もちろん、子どもに追いかけられる命のほうは、往々にして命懸けだったはずだ。そのことに気が付いたとき、私の関心は、外ではなく、中に、つまり本に向いたのだった。

子どものころ、外遊びが好きだったけれど、だからと言って、友達と鬼ごっこをしていたわけではない。あくまで自分のペースで、一人で、昆虫採集をしたり、レンゲやつくしを摘んだりしていたのだ。だから、かけっこが早いとか、運動神経が良いとかなんてことは全然なかった。

独りでいることが小さいころから苦痛ではなかったから、人と競争するという発想がなかった。これは、小学生になって、体育の時間ができて、初めて、教えられたことだった。

教師の指示通りに身体を動かすことが求められる。よくできれば、褒められるが、出来なければ、「なんで、できないかなぁ?」などと言われる。常に比較され、優劣をつけられる。

田舎のまだのんびりした時代だったから、都会の学校ほどの激しい競争には、さらされてなかったはずだ。けれど、親との関係もあり、自分への肯定感がどんどん低くなっていたころで、教師から”できない子”というレッテルを張られることは、決定的なダメ出しに等しかった。

数年前に、フィンランドの大臣だったか、教育学者だったかが、日本の学校の視察に来た時。その人は、日本の体育の授業の有様を観て、こういったという。

「できる子もできない子も一緒の授業を受けるとは! これでは、出来ない子供は、自分を肯定する気持ちが持てないから、体育の時間は、苦痛でしかなくなるだろう」

これをネットで読んだとき、私は大きくうなずいたのだ。そのとおりだ! と。

高校までの体育の授業で、自分の運動神経やセンスがないということを思いっきり叩き込まれた私は、身体を動かすこと自体、嫌いになってしまった。ことに、持久走は煉獄の責め具に近い。短距離走ならまだしも、1000メートル走など、私には走る意味すら分からなかった。

この意識を変えてくれたのが、大学で出会った体育教師だった。大学に体育があると知った時、心底うんざりしたものだった。けれど、その時の先生、確か橋本先生とおっしゃったと思うが、その橋本先生は、最初の授業でこうおっしゃったものだ。

「体を動かすことなら、何であってもかまいません。この街には、史跡がありますし、海もありますから、散歩するのもいいでしょうし、泳いでもかまいません。買い物だって、結構です。ただし、自分一人ではダメです。何人かのグループで、行ってください。そして、毎回、レポートを誰かが出してください。その時、メンバーの名前も全員書いておいてください。それで、授業に出たことになります。ただ、1年に1回、呼び出しますので、対象になった人は、私と、ヨガをやってください」

眼からうろこだった。体育は、強制され、自分の劣等感を上書きするものだと考えてきた私にとって、こういう発想のやり方がある、というのは新鮮な驚きだった。体育は、2年間あったが、おかげで、私は、実に楽しい”体育”を知ったのだった。

あれから、30年以上たつ。私は、相変わらず、走るのが苦手だ。若くなくなって、さらに、走るだけの持久力がなくなってきた。もちろん、何かあれば、火事場のバカ力で、なんとかなるのかもしれない。でも、日ごろから自分を甘やかしているところがあるので、何処まで持つかなぁ、とは、思っている。

ただ、日々の生活の中で、「走るのが続かないなら、歩いて行けばいいじゃん」と、開き直っているところがある。続くことがまず大事。途中で息切れして、辞めることのほうが、よっぽどかっこ悪いように、私は考えるようになった。走れる人は、どんどん行けばいい。でも、歩きながら、たまには、寄り道もしながら、目的だけは見失わないで、歩き続けること。それで、良いじゃないか、目的地に着くならば、と。

自分が目指す目的へのアプローチの方法を、限定することはない。視野を広くして、いろいろやってみればいいのだ。寄り道ばかりしてきた私の、言い訳同様の方法論(?)である。

明後日で、2月も終わりですね。春も近いようです。でも夜は冷え込むらしいので、暖かくして、良い夜を🎶

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