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あれこれ、あれこれ。・・・旅のこぼれ話 その1

先月の帰省の旅では、最愛のマエストロが、今年から音楽監督に就任した、愛知室内オーケストラのコンサートを、予定に組み込んでいました。
最愛のマエストロ・山下一史さんは、いきなり引っ張りだこ状態のようです。今週の金曜日・13日は、大阪交響楽団で、常任指揮者就任披露公演です。
大阪にも行こうと思っていたんですが、帰宅後、どうにも気持ちが動きません。それで、チケットも取ってなかったので、辞めることにしました。かなり前からですが、大阪、と聴くと、どうも二の足を踏む傾向があります。自分でも、理由がわからないんですけれども。きちんと旅したこと、ないんですけれどねぇ(小学校の修学旅行の行き先の一つでしたが、それは旅したことにはならんですもんねぇ)。来年の3月には、行くことになる、かも、しれませんが。

あれからほぼひと月近く。私自身の体調の波もあるからか、期待外れだったコンサートのことを、しんどい思いをしながら反芻することがあります。
クラシック音楽は、一般的に言われるほど堅苦しいジャンルの音楽ではありません。ほかのジャンル同様、”人”が演奏するわけですからね。舞台を観察しながら、演奏家の様子を観ていると、結構そのオーケストラの性格や、指揮者の感情とかが、伝わってきます。
もちろん、これも個性があって、常にポーカーフェイスで演奏する方々もいます。私は、そういうタイプは好まないのですが。
山下さんは、ご登場の時の雰囲気や表情で、或る程度、ご機嫌がわかるタイプです。私の勘違いかな、と、当初は思ったりしていましたが、馴染みになった楽団員の方々から「そうそう! 山下さん、そうでしたよ」と教えていただくこともあって、最近では、最初に舞台に出てこられた時の様子に注目するようになりました。
先月のあの時、出てきた山下さんの様子に、「あれ?」と感じたのです。もちろん、ご自身の音楽監督としてのお披露目の公演ですから、いくらか緊張もされてはいたのでしょう。けれども、笑顔ではいるものの、その表情が実に固い。マエストロに出会って、11年。いろんなところでの彼を観ている私には、その表情に、嫌な予感がしました。

その予感が的中した、と申し上げたくはないのですが、私にとって、今回の演奏は、決して満足できるものではありませんでした。コンサートに出かけるとき、私は元気いっぱい、ということはまずありません。けれど、いささか疲れを抱えていても、山下さんが指揮する演奏を聴けば元気が出る、という経験をたくさんしています。それらが、山下さんへの信頼にもつながっているわけです。
ですが、今回の場合、所々で、「うんうん、これこそ、”山下節”!」と思えるものはあったものの、それが、盛り上がってゆかず、失速していく場面に何度も遭遇しました。その繰り返しが、旅の帰路にあって、強行軍で名古屋まで来た私を、苛立たせたのです。
メインが、私の大好きなシューマンの第2交響曲だったこともあります。仙台フィルや千葉響で、名演を聴いているだけに、「こんな演奏が聴きたいわけじゃない!」と、叫びだしたい気持ちに何度も襲われました。
そもそも、弦楽器の実力が、そのオーケストラの力量の目安だと私は考えています。吹奏楽のオーケストラならともかく、弦楽器と管楽器のパートが融合して、演奏という織物を作り上げるはずのオーケストラで(だからこそ、”管弦楽”なんですから)、弦楽器が貧相ってどうなの? という印象なのです。
山下さんは、指揮者を早くから志望されていましたが、指揮者というのは一つの楽器を、或る程度まで極めないと務まらないのだそうです。お若いころの山下さんは、チェロ奏者だったそうです。私自身、弦楽器が大好きで、そういう意味でも山下さんが指揮される音が好きなんだなぁ、と、或る時気が付いたものです。
言葉にできないのですが、ピアノから出発した方の作り出す音と、弦楽器から出てこられた方の音作りは、私には明確に違うものとして聴こえます。身体へのなじみ方が違うんですよね。敢えて表現すれば、前者は、往々にして鉱物のような手ざわりなんですが、後者は、木のぬくもりを感じる柔らかさを感じます。もちろん、作品にもよりますが。

この演奏を聴きながら、私は6年前の千葉での、山下さんのお披露目公演を思い出していました。メインは、チャイコフスキーの5番。管楽器の貧相さが目立って、わびしさすらありましたが、その分、弦楽器の悲壮感すらある頑張りには胸を打たれるものがあって、涙ぐんだものでした。
あの時の山下さんの形相は、鬼気迫ると申し上げるほかありませんでした。けれど、その形相の中に、「我々は、ここから、前進するんだ!」という気迫も読み取れたものでした。

その形相が、先月の演奏ではなかった。だからと言って、彼がオーケストラの演奏に満足していないことは、折々、ヴァイオリンパートをあおっている姿からも明白でした。「そうじゃない!」と言わんばかりに、指揮しながら、首を横に振っているのも何度も観ました。最近の千葉響との演奏では観ることがなかった光景に、私は眉間にしわを寄せざるを得なかったのでした。

実相は、部外者の私にはわかりません。けれど、終演後、何度かのカーテンコールののちに、一言「これから、応援お願いします。皆さんのオーケストラですから!」としかおっしゃらなかった姿は、6年前の千葉の時とは、あまりに違っていました。
千葉では、演奏前にプレトークでご挨拶され、終演後には、「皆さん、これが、今の我々の精一杯です。楽しんでいただけましたか?!」と叫ばれたマエストロと同一人物とは、到底思えませんでした。

ただ、終演後、私が耳にした声は、おおむね好意的なものばかり。「もう一度、聴きたい!」「こんなにオーケストラって、迫力あるんだ!」とか・・・・。名古屋には、名古屋フィルという老舗があるはずなんですが・・・・・。

「シューマンは、山下一史で聴くに限る!!」と公言している私が聴いた、あまりにもがっかりだったシューマンの2番。そのショックも、体調の波に影響していたのかもしれませんね。
予報よりも晴れの日が多かったことに、元気も出たのでしょう。それに、来週末には、千葉響との定期演奏会もあります。回復傾向にあることに乗っかって、旅のこぼれ話をしてみました。

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