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秋雨が降る夜に、振り返ることーーーサーシャの思い出

酷暑は、先月のお彼岸あたりで去ったものの、今度は日中と朝晩の寒暖差が大きくて、実は、私は衣替えもほとんど進んでいません。

ヒガンバナも金木犀も終わったというのに、お天気がいい日にちょっと作業すると、まだ大汗かいたりします。更年期のせいかもしれませんけれどね。

それでも、確実に夜は長くなりました。気が付けば、午後5時を過ぎると、もう辺りは暗くなっています。先月の今頃は、まだまだ明るかったんですけれども。

人は、状況に応じて、調整ができますけれども、一緒に暮らしているほかの命たちは、そうはいかない。相手の様子を観て、気をつけなくちゃいけません。

ずっと、天国に帰る子が続いていた我が家ですが、やっと、ひと段落したようです。7月5日に、我が家で初めて生まれたオカメインコが、23~24歳で我が家から旅立ちました。彼女の誕生日が、今はっきりしないので、享年が断言できませんが、彼女の父親の年齢が26歳ですので、大体このくらいだったはずです。

彼女、サーシャと名付けた彼女は、甘ったれと言われるオカメさんには珍しい、自立心旺盛な子でした。過保護な父親の反対を押し切って、巣箱から兄弟と一緒に自ら出てきました。私たちにとっても初めてのオカメさんの巣引き(すびき、と読みます。繁殖のことです)でしたから、これにはかなり驚きました。

もっとも、サーシャたちはやはり、例外だったようです。こののち、私たちは、随分いろんなペアでオカメさんの巣引きをしましたが、サーシャたちのような子は出てきませんでした。

これには状況の違いもあるでしょう。親の虐待があって、「このままでは、死なせてしまう」と判断して、私たちが育てた子たちがかなりいたのですね。

20数年前、相方とオカメさんを迎え始めたときは、もちろん、お店からでした。今は、かなり変わってきていますが、そのころ、いわゆる”小鳥”は、お店にしてみれば、犬や猫に比べると、世話がかかる割に利益が低い、という認識だったようです。文字通り”十羽ひとからげ”の最低限の栄養で、育てているところが少なくありませんでした。

なので、お店にやってきたヒナたちが、どういう環境で育ったかなんて、とてもわかりはしませんでした。巣引きをして、子育てをしてみて、その様子で、「ああ、この子はつらい思いをしてきたんだ」と、わかることが多かったのです。

サーシャは、親から離れて、しばらくして我が家にやってきたオカメさんとペアになって、1年後には巣引きを始めました。ただ、彼女の夫になった子は、どういう事情でか、自分の親に育ててもらえなかったようです。妻が卵を産んでも、何もしないんですね。何もしない、というよりは、親から教わっていないので、何をしたらいいのか、全然わからないようでした。どういう命であれ、育てられたように命は育つのですね。

サーシャは、過保護なほど愛情深い父親のおかげで、母性本能にあふれたお母さんになりました。けれど、初めての繁殖で、一人で4羽の子供の世話をするのは、無理というものです。それで、彼女は、人に頼ることを覚えたんですよね。

親がほとんど育ててくれたので、サーシャは、手乗りインコというには、いささか人に対して警戒心の強い子でした。けれども、背に腹は代えられない。それで、飼い主を使うことにしたようです。

サーシャとの共同作業での子育ては、後々役立ついろんなことを教えてくれました。それらは、また折があれば書きたいと思います。

サーシャは、合計4回巣引きをして、12羽の子供たちを育ててくれました(育てさせてくれた、とも、言えます)。そのうちの6羽は里子に出しました。我が家に残した子たちのなかで、やはりペアを作って子供を作った子もいます。

今、我が家にいるオカメインコ18羽のうち、サーシャの血を引く子は3羽います。ほかのペアから生まれた子たちも若干います。今、内訳を数えたら、我が家で生まれた子たちより、お店から迎えた子たちのほうが多くなっていました。ある時期までは、我が家生まれの子が、4分の3くらいいたんですけれどね。

我が家の最年長は、26歳のオカメさんで、サーシャの父親ですけれど、30年近くのオカメさんをはじめとするインコたちとの時間を振り返ると、「思えば遠くにきたもんだ」なぁんてつぶやきたくなります。

出会いがあれば別れもあります。この1年半、別れが圧倒的に多かったのですが、まだ10歳にならない若い子もいます。元気になってきたからか、「まだ、老け込んでいる場合じゃない!」などと、自分に活を入れる余裕も出てきました。ストレッチの効果も、出てきたかしらん。

明日からはしばらく晴れるようです。寒暖差の大きい日々が続くようです。くれぐれも、ご自愛くださいませ💕💛

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