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彼の姿は、観えないけれどーーー解放されたこと その2

今月の4日に、コミドリコンゴウインコのロプロスが、4か月の闘病の末、天国へ帰ってゆきました。

4か月前の5月4日にモモイロインコのモモを喪って以来です。

どちらも今年4歳になるはずの、まだまだ若い子たちでした。コミドリコンゴウインコもモモイロインコも中型インコ(モモイロインコは大型インコに属しますが、その中でも小さいほうなのでここではひとくくりにしておきます。ちょっと乱暴ですが)ですから、4歳は、まだまだ子供のようなものです。人間に例えるなら、やっと中学生くらいでしょうか。

それでも、頭は恐ろしく良いので、なめてかかると痛い目に遭います。セキセイインコやオカメインコなどよりはるかにかむ力も強いですから、本気で噛まれたら、人の指など大けがをしたりします。私も相方も、彼らを怒らせて、痛い目に遭ったこと、数知れません。

それでも、彼らを憎むことはありませんでした。こちらが悪いことをしたためだと、わかっていましたから。彼らは、いきなり噛んでくることはめったにありません。ちゃんと警戒音を出して、「それは、いやだよ(嫌いだよ、怖いよ、の時もあります)」と伝えてくるのです。その段階でやめれば、まず問題は起こりません。けれども、事故が起きるのは、そういう彼らの警告を無視するか、あるいは、無視せざるを得ないときです。まぁ、たまに、ご機嫌が悪くて、八つ当たりされることもあるんですが。

無視して怒らせる場合は、人が一方的に構ってほしくて、彼らの気分お構いなしに、ちょっかいを出す時。私は、あまりこれはやりませんが、相方は時々ふざけて、痛い目に遭ったことしばしばでした。

無視せざるを得ない場合というのは、彼らの爪やくちばしが伸びすぎて、切らなければならなかったりするときです。ワンチャンなどのトリミングと同じことですが、爪切りもくちばしを切られるのも、彼らにとってはうれしいことのはずがありません。それでも、事故を防ぐ意味もあって、二人掛かりで作業することになります。私が、鳥の身体を保定(動かないように捕まえておくこと)、相方が爪切りで切ります。この場合、自由を奪っている私が、噛まれるわけですね。状況把握が的確ですから、どうしたら逃げられるか、よくわかっているわけです。

ロプロスもモモも、もちろんこのトリミングは、大嫌いでしたから、準備していると、大変でした。外遊びが大好きなくせに、かごから出てこなかったり、大声で騒いでけん制したり。

ひと騒動終わると、私は彼らを抱きしめて、思いっきり褒めたものです(今でも、家にいる子たちには、そうしていますが)。すると、かれらは、途端に生き生きした表情になって、「もっと、褒めて~!」と甘えたものでした。

そんな彼らが、異変を見せ始めたのが、4月の下旬頃でした。ロプロスもモモも、食欲にむらがあり、好き嫌いも激しい側面がありました。ことに、ロプロスは、差し餌(ヒナにあげる赤ちゃん食のこと)が終わるや否や、真冬にお店から迎えたせいもあるのか、食が細い傾向がありました。大食漢で、好き嫌いの少ないピポナの隣に置けば、見習って食べてくれるだろうと思ったのですが(オカメインコなどでは、これが大体成功するのです)、そうはいきませんでした。

まだちいさくて、愛らしさ満開のロプロスに、ピポナがライバル心を燃やしたらしく、後輩を受けつけません。ピポナがロプロスを導いてくれると思っていた私たちは、頭を抱えました。幸い、シロハラインコのホーリーがロプロスを気に入って、いろいろ構いつけてくれたおかげで、少しずつ環境の変化に慣れてきたロプロスも、新しいご飯を食べ始めたのでした。

こういう場合、本当に人は同族の命の力には、かないません。ホーリーがいなかったら・・・。今思ってもぞっとします。ただ、インコの神様は、こういう場合、決して無茶はなさらないのでしょう。環境が整っているからこそ、ロプロスに出会えたのでしょうね。

今こうして振り返ってみて、私たちは、ロプロスの独り立ちを急ぎ過ぎたんだな、と、痛感します。我が家で少しの間でも差し餌をして、安心させていたのなら、彼はもっと早く安心して、バリバリ大人のご飯を食べるようになっていたのでしょう。

まぁ、そんなことは後でわかることです。それに、ロプロスは、闘病中の後半2か月ほど、差し餌でしのいだのですから、彼にしてみれば、帳尻はあっていたのかもしれません。元気なピポナやホーリーたちもお相伴をすることで、ロプロスはそれこそ安心して、療養食を食べていました。まぁ、自分の療養食を欲しがるピポナたちへの配慮も忘れなかったですが(おかげで、私たちは、ロプロス含めて、5羽の中型インコに差し餌していたようなものです)。

彼が闘病した4か月は、季節の変化が激しかったので、彼自身も大変だったでしょう。快適だった初夏から、つゆ寒、そして酷暑。身体を維持できるギリギリの食事しかできなくなっていきましたから、少しでも食べてもらうべく工夫をしましたが、これは相方の功績でした。

一時は、かなり不自由な身体にはなっても、なんとか乗り切ってくれるのではないか、と、思ったこともあります。食欲が増して、元気も出てきた時期があったからです。

けれど、ロプロス自身は、自分が思うように動けないことにいら立ちを感じていたようです。自らを噛んで大量に出血するようになりました。この劇烈なやり方には、ピポナたちのほうが参ってしまって、ほかの子たちが食欲不振に陥る有様でした。酷暑の折でしたから、余計参ったのでしょうね。アロマオイルなどを使うと、いくらか収まったようですが、自分がみっともない姿になり果てている、という認識に変わりはなかったのでしょう。旅立つ数日前にも大量に出血していました。

ロプロスは、私にべったりの子で、相方がやきもちを焼くほどでした。相方が焼くのですから、当然ピポナは大変で、目の敵にしていたほどです。ロプロスが闘病しているときも、「かあさん、ロプロスばっかり、大事にしている!!」と、それはそれは怒っていたものです。

それでも、ロプロスがもう何も口にできない、危篤状態になってからは、静かにしていました。何らかの異変を、騒いではいけない異変の空気を、感じ取っていたのでしょう。

ロプロスは、小さくなってしまった身体を私の手に横たえて、静かにゆっくり息を引き取ってゆきました。今、思い出しても涙が出てきますが、彼は最期の最期まで、私の姿を観ると、もう動かない身体をくちばしだけで支えて動いて、私に抱っこをせがんだものです(インコのくちばしは、”第3の足”と呼ばれるくらい、力が残っていれば、様々な働きをします。それを、この4か月で、ロプロスに嫌というほど、教えてもらいました。そのことはまたいずれ)。

彼は9月生まれだと、お店から相方がもらってきた書類にあったことを、覚えています。日にちまではわからないので、4日で彼が満4歳になったのかどうかは、私にはわかりません。ただ、彼は、3年9か月、私に惜しみない愛情を注いでくれたことは事実です。

彼を4か月介護している間、さんざん泣いてきたから、すっかり落ち着いてきたと思ったのに、これを書きながら、やはり、彼が恋しくて、泣いています。

彼が天国に帰ってから、或る日、ふと思ったのです。我が家には34羽のインコがいて、にぎやかだけれど、けれど、ロプロスの声はここにはないし、もう二度と聴けないんだなぁ、と。改めて、彼の不在の大きさに愕然としたものでした。

どんなにたくさんインコがいても、どの子も唯一無二。代わりなどいるはずがありません。だからこそ、いなくなれば、つらいのです。天国に帰った子の不在の穴は、永遠に埋まらないのですから。

ただ。ロプロスの姿を観ることはできませんし、声を聴くこともできませんが、私が生きている限り、あの子のことを私が覚えている限り、彼はまだ”いきています”。ロプロスのことを知っているのは、私と相方だけですが、私たちがこの世から消えたとき、ロプロスも、本当に消えるんでしょうね。

今、秋のお彼岸です。それも日曜日でおしまいですが、ふと彼の気配を感じます。お彼岸が済んだら、彼も天国に帰ってゆくんでしょうね。寂しいとは思いつつ、彼に心配をかけないように、日々過ごさねば、と、やはり涙目になりつつ決心する秋の夜です。

お休み、ロプロス。またね。

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