見出し画像

ちょっと、へこんでみた。

今日は、快晴だったけれど、えらく風が強かった。

朝起きて、窓を開けてみたら、それほど寒さを感じないので、敷布団だけ干すことにした。そのあと出かけることにしていたので、もし留守中に強風で布団が飛ばされたりすると、あとが厄介だなと思ったからだった(実際、そういうこともあったのですよ)。幸い、帰宅してみたら、布団は無事だった。

用事があって、出かけた。3か月ぶりに髪も切ってきた。インコたちの小松菜もゲットした。最後に片づけた用事が、いささか期待外れ。自分では勝算があっただけに、内心がっかりした。

今年の春に、雨漏りがひどくて修理してもらったのだけれど、それがうまくなかったのか、また同じところから雨漏りがするようになった。北風が強い時しか雨漏りはしないのだけれど(だから、夏は割と大丈夫だった)、雨漏りがする場所には、インコたちの大集団があって、しかも、ここでは電気を使っている。

鳥は、夜行性の種族を除けば、ほとんどいわゆる”鳥目”で、夜眼が利かない。地震や不意の大きな物音などで、パニックになり、大けがをしたり、あるいはショック死することもあるので、我が家では、夜、電球をつけている。

雨漏りは昼とは限らない。夜こちらが寝ているときに、雨漏りがして、もし電気系統に何かあったら、ただでは済まない。もちろん、危なそうなときは、きわめて古典的だけれど、雨受けのオケのようなものは置いておく。なにもないなら、それでいいのだし、そこに雨がたまってくれれば、それはそれでOK。

相方の母親が業者さんに連絡してあったようだが、最近では修繕の業者さんは相当忙しいらしい。随分待たされて、今日突然連絡があって、下見に来た。

お昼ごろに来ると聴いていたのだけれど、帰宅したら、もう来ていた。相方の母親と、私たちの部屋まで上がったものかどうか相談していたらしい。相方の母親は、雨漏りの個所を知らないから、結果として、私の帰りを待っていたらしいのだけれど。

不意打ちを食った形の私は、期待外れだったことの気分も手伝って、いささか不機嫌だった。それでも、業者さんは丁寧な方だったし、私も、最低限の礼儀はあった(はず)態度で何とか応対した。

まだ済ませてなかった食事をとりながら、ちょっとため息。インコたちが早く世話をしろと、催促しているが、「もうちょっと、待って」と声をかけて、少し休憩をとる。

快晴の冬空を観ながら、素直にへこんでみる。相方は、仕事でいない。業者さんの相手は家主の相方の母親がするから、私の用はない。

あれこれ計画していたことを、一から考え直さなくてはならない。それは、或る意味妄想にも近い部分はあったのだけれど、・・・、でも。

いささかやけ気味に、望んでいたことは無謀な望みだったのだと、あきらめようとしてみる。すると、なんだか、身体が軽くなった気がしたけれど、やっぱり悲しい。

すると、こんな言葉が落ちてきた。

「もし、明日で人生終わるとしたら、どうする?」

答えは、随分前から、用意できている。

「この子たちの世話をいつも通りして、暮らす」

ただ、もし明日で人生が終わるのだとして、いつも通りに愛鳥たちの世話をするのだとしても、その時の心持は、切実なものだろう。「明日で、この子たちとの生活が終わる」と思えば、1分1秒無駄にはできまい。少しでも彼らに触れて、遊ぶ時間を作ろうとするだろう。つまり、いくらかがっかりする出来事があったとしても、そんなことに落ち込んでいる暇はないはずだ。

そう気づいたとき、へこんでいる自分がおかしくなった。「それでも、へこみたくなる時だって、あるさ」とつぶやきながら。

すると、「いや、やっぱり、落ち込んでいる暇はない。実現しなきゃ。実現する方法を考えなきゃ!」と、思い直した。

最近、”ショックなことが起きても、それは幸運が訪れる前兆”という言葉を、よく聴く。引き寄せの法則から考えれば、そうした言葉を聴いて、自分を励まそうと思っている、ということになるのかもしれないし、本当にそうした時期が来ているのかもしれない。

まぁ、あまり悲観的になると、よろしくないらしいので、良いことだと解釈しておきますかね。

”がっかりしている””へこんでいる”自分の気持ちを、否定しないで受け容れる、自分で素直に味わうことが、必要だったのかもしれません。やはり、ネガティブな感情は、否定したくなりますし。どういう感情であれ、自分のものですから、まずは受け容れて、そのうえで開放する。その作業こそが、大切なのでしょうね。

今夜も冷え込んでいます。皆様、くれぐれも暖かくして、良い夜を❤


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?