見出し画像

怖かったよね、心細かったよね。よく頑張ったよ、小さな私💖💖💕ーーーインナーチャイルドの癒しの試み

人の心には、「インナーチャイルド」が住んでいるのだそうな。小さい時、満たされなかったままの思いが、解放されるのを待っているのだとか。

大人になって、いろいろな問題が出てきたとき、カウンセリングやヒーリングを受けて浮かびあがって来る感情。それらを解消してあげると、楽になるのだそうです。

先日、いろいろnoteでお世話になっているNNさんとお話してて、ひょいと気づくことがありました。本来は、NNさんの「こどもの日企画」のテーマだったようですが、ちょっと変更があったようなので、自分の記事にして、
インナーチャイルドの癒しをやってみようと思います。はてさて、私の中の”小さなフラーノ”は笑顔になれるかどうか? 

*********************************

私は、お祭りなどの人混みが苦手です。人にもみくちゃにされて、思うように進めない苛立ちや息苦しさ。そうした感情は、そこに集まっている人たちの多くにもあるようで、どうかすると殺気立っていたりするのも嫌です。

それでも、上京して独り暮らしをするようになってからは、”人混みがイヤ”などと言っていたら、生活できなくなる場面も出てきました。そもそも東京近辺は、人が集中している地域ですしね。

そうしているうちに、私は自分が”お祭り”が嫌いなんだと気が付きました。スーパーなどの買い物の人混みだったり、電車の混雑などは、なんとか切り抜けられるようになったんです。それでも、あの殺人的満員電車にはもう乗れませんがねぇ(>_<)

それなのに、イヴェントごと、ことに「~まつり」と銘打たれたものは、気が進みません。コンサートなどはそれでもファンの方たちの演奏を聴きに行くので、まだいいんです。けれど、地元でのいわゆる”お祭り”には、全然関心がありません。自治体の広報などで告知を観ても、まず興味がわきません。それどころか、冷笑気味の苦笑が浮かぶんです。

別に、それでもいいとは思っていました。参加は強制じゃないし。けれど、ここ数年、私の頭の中で、薄暗い部屋で妹と二人、泣きたい思いを我慢して、母の帰りを待っている幼い自分の姿が浮かんでくるようになりました。

その光景は、実際に起こったことです。当時私は、たぶん5~6歳。一番下の妹がまだ生まれていなかったので、そのくらいのはずです。2つ下の妹と二人で、両親不在の家で、母親の帰りを待っていたんです。

その日は、街の秋祭り。私の両親は貧しい家に生まれたこともあるのか、このお祭りが大好き。ことに父親は、お祭りで歌う「伊勢音頭」がうまいことで一部で有名だったらしい”お祭り男”。祭りの準備が始まると、もう夜仕事から準備の現場に直行することが続きました。そうして、祭りが終わると、しばらく仕事を休むので、母親とはケンカになることが多かった。収入が減るからですよね。

そういう母親も、夫の晴れ舞台は観たいのか、当日はそわそわしていた気がします。今考えれば、お祭りのあの浮かれたウキウキした雰囲気を味わいたかったのでしょう。日常が、子育てと気まぐれな仕事ぶりの夫にやきもきしながら、自分でも働きづめでしたからね。

こうした分析は、今の私だから、両親と音信不通になっている今だからできることです。

「今から、かあちゃん、おばちゃんと仕事に行ってくるけんな(行ってくるからね)。夕方には戻ってくるけん、ふたりで留守番しとってよ」

そう言い含められて、妹と二人、家の中で何をしていたのか、私には全然記憶がありません。”おばちゃん”というのは、母の妹で、当時は割に付き合いがあったひとです。母と叔母は仕事が違っていましたが、当時の幼い私にそうした矛盾が分かろうはずがありません。母親に嘘をつかれたとも知らず、だんだん泣き始めた妹をなだめながら、ひたすら母親の帰りを待っていたのです。

おそらく、足手まといになる娘を少しの間だけ、家で留守番させて、叔母とつかの間の自由を楽しみたかったのでしょう。

「ねえちゃん、かあちゃんは? かあちゃん、まだかえってこんの? もうそと、くらいよ」

泣きべそをかきつつ、不安になっている妹の訴えに、幼い私が何と言ってやれたでしょうか? 10月の上旬ですから、確かに日暮れも早い。暗くなるのに、母親が帰ってこない。泣きたいのを必死で我慢したことだけは覚えています。まぁ、気の利いた子なら、うまく妹をなだめることもできたのでしょうが、私自身が親からそうした扱いを受けたことがない。怒鳴られたりすることがあまりにも多かったので、人を慰める術を知らなかったのです。

どんどん暗くなる状況に、とうとう幼い私は、我慢できなくなったのでしょう。妹に「ばあちゃんのいえにいこう。あそこなら、ばあちゃんおるし!」そう言って、近所にある父親の実家に妹と一緒に行きました。妹の手を引いていたかどうかは、覚えていません。

父方の祖母は、産後の肥立ちが悪かったこともあり、その後の夫の(父方の祖父)虐待もあって、すでにそのころ寝たきりになっていました。祖母と同居している叔父も祭りに参加しているはずですが、祖母だけは家にいることは確かだったのです。

寝たきりの祖母が私たちに何かしてくれるとは、全然考えてなかったはずです。けれど、何処にいるのかわからない両親を探すよりも、確実に「いる」祖母のところに行けば、ともかくなんとかなる。そう子供の頭で考えた、精一杯の知恵だったのでしょう。

祖母に「ばあちゃん、かあちゃんが、しごとにいくいうて、夕方にはかえってくるっていうたのに、かえってこん!」そう訴えた後、泣きだしたように思います。我慢の限界だったのでしょう。

後年、この時、帰宅した母親が、叔母と一緒になって私たちを探して、祖母の家にいるとわかって迎えに行ったとき、祖母にこっぴどく叱られた、と聴かされました。その様子に反省の色はなかった。それを観て、私は心の何処かで「ああ、私は、母さんには邪魔な存在なんだ」と感じたようです。私に対して、まったく謝罪しませんでしたしね。

賑やかなお祭りは、子どもを置き去りにするほど魅力的なんだ。私は、お祭りよりも価値がない存在なんだ。

そういう観念が、刻み付けられて、そもそも自己肯定感の低い私は、お祭りを忌避するようになったようです。

今の私なら、当時のフラーノをハグして、言ってあげられます。

「フラーノ。よく頑張ったね。暗くなってきて、妹も泣き出して、
頼りにできる人が誰もいなくて。おなかも空いていたよね。怖かったよね。
よく、がんばったよ! 本当にばあちゃんちに行くこと、よく思いついたね。えらかった。大したもんだよ! それができたあなたは、充分褒められていいよ。これからはたまには、にぎやかなところにも行こうよ。もう大丈夫! 置き去りになんかされないから!! だから、かあちゃんも赦してやろうよ。かあちゃんも。つらかったんだって、今ならわかるやろ?」

これを書いていたら、涙が出てきました。泣ければもう大丈夫! まぁ、一度の作業で一気に解消とはならないかもしれませんが、これからは楽になるでしょう、きっと。今、胸のあたりが暖かくなってきましたし、曇天から一筋の光も差してきました。天からの祝福、ということにしておきましょうか。

**********************************

セルフヒーリングの試み、成功ということにしておきます、はい。

明日、ちょっとお天気よくなくて、気温も下がるようです。寒暖差疲れも出やすいですから、皆様、くれぐれもご自愛くださいませm(__)m💕💛

ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を捧げますm(__)m💕💛

ありがとうございますm(__)m💕💛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?