講師 蒼野温子さん お客様に選ばれる共感プロフィール

『言わぬが花』という言葉がある。

言わなくても分かるはず。
言うのは野暮。伝えなくても察するはず。

でも、本当にそうかなぁ?
想いがあるのなら伝えなければ
話に花は咲かない。

言葉にするからこそ
花が咲くんじゃない?

植物だって、主張してるのは『花』だ。
黙って個性を消しているのは草。

どちらが、人に「素敵だ」と思ってもらえるだろう?
どちらが、人に愛されているだろう?

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こんにちは
人生開花レッスン
講師の蒼野温子です。

言いたいことを我慢しすぎて
心の中がモヤモヤがいっぱいになると
結局余計なことまで言っちゃって
後悔することはありませんか?

実は私、そのせいで取り返しのつかない大失敗をして
とても大きな心の傷ができた経験があるんです。

だからもし、
今、あなたが「自分の想いを言葉にできない」のなら
私のように傷を負う前に変わってほしいなって
思うんです。

そして、
そんなきっかけになれば嬉しいな、と思って
私の経験をお伝えします。

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▼親元から逃げるように
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今では「あっちゃんは明るいね」と
言ってもらえる事も多いのですが

私は幼少期、
とても引っ込み思案で内気な性格でした。

ほんと、目立たない様に、
隠れる様に生きてきたんです。

それは、幼少期の親の影響がとても大きいのですが・・・

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私の実家は広島県の福山で
デニムの生地をジーンズに縫製する
工場を経営していて

昭和の象徴のように
黙々と仕事をする父と、

そんな父のことが大好きで
ちょっと感情の激しい母、の
長女として生まれました。

そして、
下には弟が一人いるのですが、、、

跡取りとして可愛がられた弟とは対象的に、
私への当たりはとても厳しいものでした。

「右!」と言ったら「右」
「黒!」と言ったら「黒」
親の言うことは絶対という感じ。。。

そんな両親を
刺激しないように、可愛がられるように
ずっと『聞き分けの良い子』を演じてきました。

そのせいか、
外ではすっごい引っ込み思案になってしまい
周りの子たちのように「楽しそう」に
遊ぶことができませんでした。

でも、「このままじゃ嫌だ!」と
すごく思ってて、

「高校を卒業したら、家を出て
一人暮らししてやる!!」

と、そう思っていました。

とにかく、環境を変えたかった、、、
とにかく、両親から離れたかったんです。

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▼計画通りにいったことと、波乱
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いざ高校卒業となった私は、計画通り、
親元を離れて大阪の学校へ進学に
成功しました。

『一人暮らしで、
親への気兼ねなく学校の友達と遊ぶ。』

私にとっては、それは初めての経験で
とても解放的で、友達とワイワイする楽しさを
その歳になってやっと知ることができました。

「も〜、絶対地元には帰るものか!!」
と誓ったのは言うまでもありません。笑

学校を卒業後も
大阪で仕事を探し、無事就職!

「これで私の人生は楽しいことだらけだぞ〜!」

そう思っていた時、仕事先で出会ったのが
元夫でした。

私は田舎から出てきて
やっと大人の仲間入りした、21歳。
9歳年上の彼は、その頃の私には
とてもキラキラして見えました。

私より、たくさん色々な事を知っているところ。
デートで連れて行ってくれる、素敵なお店。

私にとってそれはもう素敵な素敵な時間で、
『恋』に胸をときめかせていたんです。

でも、、、
恋は盲目なんですよね。。。

そのまま結婚し、
しばらくして「あれ?」っと
思うように。

なんだか、感情が激しいことに
気づいたんです。

それも、私にだけではなくて
会社の上司にも、見境なく。。

そうして、3年経って
「なんかちょっと無理かも・・」
と感じていた頃に転機が訪れます。

長女を授かったのです。

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子育ても、
やっぱりちょっと変でした。

泣いている子供をあやしてくれはするのですが。
まだあかちゃんの長女が簡単には泣き止むわけもなく、
そんな子供にイライラし始め、

しまいには怒って(怒鳴って・・)
泣き止ませようとするんです。

これはダメだ危ない、、
子育ては私がしなければ。。
そう決心しながらも

「夫は不器用なだけ、
私が我慢すればいい。」

と自分を誤魔化して
その場の問題が大きくならないように
波風がたたないように過ごす毎日。

それは、変えたいと願っていた
子供の頃と同じ景色で

いつの間にか、私の心には
色んなものが溜まっていきました。

それが、
あんな事になるなんて。

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▼母とのお別れと、運命の出会い
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それは、3人目の子供を
里帰り出産のために帰省していた時のこと。

60歳を過ぎ、子宮摘出のせいもあって
ホルモンバランスが崩れ
うつ気味になってしまった母は

帰省している私に
辛くあたって来ました。

それは、
小さくて何も言い返せなかった私に
何もかもの嫌なことを八つ当たりしていた
あの頃のよう。

でも、その頃の私はもう大人。

普段夫に何も言えず我慢する生活による
ストレスも手伝って、些細なことで
毎日のように喧嘩になっていました。

そんなある日、
「も〜限界!!」と思って言い放った
【不用意なひとこと】が原因で
私にとって、大きな心の傷ができることとなる
出来事がおこってしまいます。

母が、家を飛び出して行ってしまったのです。

誰にも見られないように、
部屋に、父と弟の喪服をかけて。

「なにこれ?」
最初は意味がわからず、

でも、嫌な予感だけが
胸を締め付けました。

すぐに家族総出で探しに出るも
夜中になっても行方の分からぬまま。

結局、翌朝、嫌な予感は現実のモノとなって
母が帰らぬ人となって発見されてしまいました。

「まさか、こんな事になるなんて・・」
「どうしてもって優しくできなかったのか・・・」
「私のせいで母が・・・・」

辛かった・・
ホントに、ただただ、辛かった・・・

もっと普段から自分の言いたいことを言っていたら、、
もっと自分がストレス無く生活できていたなら、
もっと、お母さんに優しくできていたのかも。

そんな後悔の日々を過ごす中で

何気なく付いていたテレビで放送されていた
『ある人の行動』に目を奪われ
人生が大きく変わっていくのです。

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テレビで見た、ある人。
それは『心屋仁之助』さんでした。

そこに映っているもの全てが
不思議でした。

仁之助さんが
「○○って言ってみて」と言うだけで
タレントさんが泣いているのです。

「何これ???」
失意のどん底にあった私の心に
その出来事は強烈に突き刺さり

インターネットで仁之助さんのことを調べ
突き動かされるように講演会に
参加するようになりました。

そこで体験したものは
テレビで見たあの光景と同じもの。
なぜか「言う」だけで
心がどういようも無く震えて
涙があふれたんです。

「この秘密をもっと知りたい!」

私は、なんだか自分がこれから
幸せに生きるためのヒントが
そこに隠れている気がして

京都、広島、、と講演会を
はしごして参加するようになり

身を持って
自分の想いを口に出して「言うこと」の大切さ、
自分の心を大事にすることの大切さに
気づいていったのです。

そうして
「もっと、私は『私の想い』を誰かに伝えよう。
そうだ、伝えて良いんだ!」

当たり前のようでいて、見えていなかったそんな事に気づき、
ある一大決心を口に出して相談することにしました。

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▼夜逃げならぬ○○○
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その頃、夫の言動は
常軌を逸するようになっていまいた。

子供に手をあげるように
なっていたのです。

「このままじゃダメだ・・・」
一人で抱え込んでも、もう解決しない状況。

この思いを誰かに「言う」ことをしないと!
そう考えて、勇気を出して役所に相談に行くことに。

どう相談すればいいのか?
どんな事を言われるのか?

不安の中で訪れたその場所にいたのは、
親身に相談に乗ってくれる人たち。

何度も何度も
たくさん話を聞いてくれて
「ひとりじゃない」と思えただけで
心は軽くなり、勇気を持つことができました。

そして、最後に背中を押してくれた
「このままじゃダメだよ」の一言で
ようやく、子供を連れて家を出ることを
決意することができたんです。

夫が働いている間に、
大切な子供たちと、大切な物だけを手にして。

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今では
「夜逃げじゃなくて『昼逃げ』したの!」
なんて笑い話にできているけど

当時はその場にいる恐怖や
逃げた先でどうなるのか?という不安でいっぱい。
色んな葛藤の末の大決断だったんです。

よく頑張ったよね、当時の私。
よく頑張ったね、大好きな私の子供たち。

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▼私は、私の人生を変えた
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無事、夫の元からは離れることが出来たとはいえ
夫の収入に頼ることができなくなり
切羽詰まった状況になってしまった私。

それでも続けたのが
『心』の勉強でした。

変わっていく
自分の心と素直に向き合う力や
それを伝える言葉の力。

まだ少し遠い気がするけど
確実に私の幸せが近づいている
予感がしたから。

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そんな時
父が「実家に帰って来ないか」と
言ってくれました。

マンションを買ってあげるから
帰って来いと。

有り難い、、
これで少し安定した暮らしになる、、

そう思ったものの
子供たちのことや、自分のこれからの事を考えると
私は大阪での生活を大切にしたいと思いました。

だから、勇気を出して
父へ「初めてのわがまま」を
言ってみたんです。

「お父さんが私の事を考えてくれてることは
すごく嬉しい。
でも、私はこのまま大阪で頑張りたい。
マンションを買うお金を私に欲しい。
助けて欲しいの」と。

怖かった。
全否定されるのでは?と
とても怖かった。

でも、父はそんな事は言いませんでした。

「うん、分かった。いいよ。
今まであつこには何もしてあげられなかったから
お金をあげる、助けてあげるよ。」
と、優しく応えてくれたのです。

この時が、
勇気を出して言ってみる事の大切さが身にしみた
私が、私の人生を変えた瞬間でした。

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▼新たな一歩
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こうして私は
この体験や、学んできた『心』のことを活かすために
カウンセリングを始めました。

嬉しかった。
カウンセリングをして、
「心が軽くなった」といってくること。
自分で、お金を稼げるようになったこと。

でも、しばらくして
「あれ?」と思うようになりました。

お話を聞いて
「楽になりました〜!」と言っていたのに
2,3ヶ月経つころにまた「辛い」と
カウンセリングの依頼があるのです。

「おかしいなぁ、、、
もっと効果が持続する方法は無いのかなぁ?」

そう考え、クライアントさんが
もっと幸せを感じられるように始めたのが
クライアントさん同士が繋がれる場としての
『講座』です。

手探りではあったものの
クライアントさん同士が
他の人には言いにくい悩みを
シェアし合うことで絆が生まれ
どんどん仲良くなっていきました。

「この感じ、いいな〜」と
私は嬉しくなったのは言うまでもありません。

そうして気づいたのが
『私は、女性がもっと幸せになる手伝いがしたいんだ!」
ということでした。

また、女性のよくある悩みも分かりました。
・結婚したい
・起業したい
・会社をやめたい
・人間関係を良くしたい
・パートナーシップを良くしたい

よし、じゃぁもっとシッカリと
人生が変わるような学びができる場を作ろう!

こうして
半年間で一緒に伴走しながら
こんな悩みを解決していけるような
講座ができあがりました。

それが私の講座
『人生開花レッスン』

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▼私がホントに助けたかった人
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お陰様で○期となり
受講してくれた人は

・リバウンドしない素敵なスキルが手に入った
・一生つづく仲間ができた
と言ってくれています。

受講生さんの
「こうなりたい!」にフォーカスすることで
その人の望んだ変化が訪れるのが
私の講座の特徴。

・起業した人
・結婚した人
・お子さんが登校できるようになった人
・パートナーシップが良くなった人

人それぞれの「幸せな人生」に
近づくためのお手伝いができること。
それが私の幸せなんです。

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もしあなたが
・自分の本音が分からない
・自分の気持ちを伝えられない
そんな悩みで幸せを感じにくくなっているのなら

自分らしく生きるお手伝いができるかも。

もっと自分の事を好きになってチャンスはここにある。
だって自分の心と向き合って、自分のことを知れば知るほど
好きなれるものだから。

何より、私がそうだった。
そして、その体験を再現できるように
講座を作ったのだから。

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ホントいうとね、
本当に私が助けたかったのは
お母さん。

お母さんの心が、もっと幸せで満たされていたなら
今も一緒にいてくれたと思うから。

そして、
お父さんも、弟も、私も
もっともっと幸せを感じられているだろうから。

でも、
そんな事を言っても、もう戻らないんだ。

私は、前を向こうと決めたの。
私は、幸せになろうと決めたの。

それが、私の周りにいる大切な人たちの
幸せにつながると知っているから。

そして、次はあなたの番かも。

あなたの幸せは、
きっとあなたの周りの人も幸せにする。

【一輪の花】があるだけで
その場が素敵になるように。

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誰のものでもない
『貴女らしい花』を
咲かせて欲しい。

そして
人生のステージのど真ん中を
堂々と歩く貴女で在って欲しいと
願っています。

人生開花レッスン
講師
蒼野温子

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