見出し画像

あんた、こんなことしていていいんか

「この人なあ、高校の先生の免許を持ってんねんで」
「大学院も出てんねん」
「もったいないなあ、なんでこんなことしてんの」
「免許とか学歴を活かしたらいいのにな」
「そしたら、稼げるやろ」

ぼくのことを知っているおばあちゃんが、ぼくのことを知らないおばあちゃんにボクのことを紹介してくれるときに、必ず言うことだ。このおばあちゃんのことは、ボクは苦手ではない。ものすごく喋って時々、ちょっと静かにしていてよ、と思うこともあるけれど、一緒にいるのは嫌ではなくって、ちょっと楽しい。

この紹介をボクはすでに5回は聞いている。その都度、

「ねえ」
「そうですね」

とボクは横であいづちを打ったり、答えたりしている。紹介を受けるおばあちゃんたちは、その都度、人はちがっても大抵の方は

「そうかあ」
「そら、もったいないなあ」
「あんた、こんなことしていていいんか」

とおっしゃる。

「あんた、こんなことしていていいんか」は、平日の昼間から、おばあちゃんたち数名とご飯を食べていることだ。ぼくは、おばあちゃんたちのお昼ご飯を作り、それをおばあちゃんたちと一緒に食べている。

昨日も、おばあちゃんたちにピザを作って一緒に食べた。この日は、遠くからボクたちのしていることを見学に来てくださった女性が3名いたことはいつもとは違った。その人たちも一緒にご飯を食べていた。でも、そこにいた、はじめてのおばあちゃんに、ボクのことを知っているおばあちゃんは、いつものようにボクのことを紹介してくれた。

この日、はじめましてのおばあちゃん。ボクの紹介を聞いて、いろいろとぼくのことを聞いてくれる。

おばあちゃん(以下:お):「あんた長男か?」
ぼく:「はい。」
お:「実家つがなくていいんか」
ぼく:「たぶん、両親は言わないですけど、帰ってきてほしいとは思っていると思います。」
お:「でも、あんたこっちに家を建てたんやろ?」
ぼく:「はい、建てました。」
お:「実家は継がなくてもいいか?」(ふたたび聞いている、相当気になるんだね)
ぼく:「父親、自営業しているんです。」
ぼく:「ぼく甥がいて彼がこの春高校に入るんです。たぶん、父親は彼に期待しているんじゃないかと思います。」
お:「んー」

おばあちゃんは、はじめてのものを見るように不思議そうに話をしていた。たぶん、おばあちゃんの感覚では「なんで長男が実家をつがないんや」と不思議なんだと思う。

その他にも話は続く

お:「あんたどうやって家建てたんや?」
ぼく:「どういうことですか?」
お:「あんた、こんなことしていて収入ないやろ?奥さんか?」
ぼく:「ああ、お金のことですね、案外大丈夫なんです」
お:「んー」
お:「免許とか学歴活かして仕事したらいいのに」
ぼく:「ほんとですね、でも、皆さんとご飯食べるの楽しいですよ」
ぼく:「ふつうに働いていたら、こんなことできないですもん」
お:「そらあ、私らもこういうことしてもらえてありがたい。あんたみたいな人がいるとありがたいけどな」
ぼく:「なら、いいじゃないですか」

なんかね、こんな話をご飯を食べながらしていた。ボクは、おばあちゃんたちが嬉しそうにしてくれる、こんな時間が好きだ。

おばあちゃんたちのおっしゃることは、とてもわかる。ボクも時々思う、このままでいいのかって。

ボクはいま36歳だ。大学院を出て、子どもが3人いる。何度か転職はしているが、だいたい常勤で働いていたので、それなりに収入はあった。ボクがふらふらしている間、妻はずっと常勤で働いてくれている。

その収入があるおかげで今ボクは自分のしたいことをできている。そして、収入のことも今は考えないでいられる。ほんと恵まれていると思う、と同時に「ほんとにこのままでいいのか」ということは絶えず思う。

でも、それと同じくらい思うのは、ボクのしていることは間違っていないと。目の前でボクの作った料理を食べながら、おばあちゃんたちが楽しそうに過ごしている、それは、お金を稼ぐことにはつながらないが、意味のあることだと思っている。(意味があると言うとおおげさだね。)

おばあちゃんたちとご飯を食べているときに、おばあちゃんたちがおっしゃることがある。それは、

お昼は、いつもは一人で食べるんや。一人で食べるご飯は美味しくないんよ。ほんで、自分一人のために作ろうとは思わないから、いつも適当に食べている。ここで、あんたが作ってくれた料理を知っている人と食べるのは楽しい。若い男の人の料理もええもんやな(笑)
近くにお昼ご飯を食べられる店はあるけど、あそこは、ダメや。ゆっくり出来ん。ご飯を食べたら、すぐに帰らなあかんような気がする。わしらは、ご飯を食べてその後、ゆっくりしゃべるのがしたいんや。でもな、誰かの家という訳にもいかんのや、それだと片づけたり気を遣わないかんやろ。だから、こういう誰の場所でもないところで、ゆっくり過ごせるのはありがたいんや。

きのうも、おばあちゃんたち、11時ぐらいに集まり初めて、結局帰ったのは16時半ごろだった。そらあ、普通のお店では満足できないわね、こんな長居できないもん。

帰り際におばあちゃんたちは、片づけをしているボクに

「ありがとう、たのしかったわ」
「時間あっという間にすぎたわ、遅くまで、ごめんなあ」
「〇〇さん、よくしゃべるから終わんのよ。」「いやいや、あんたも、よお喋るわな」「あははー」

とみんな嬉しそうに言いながら帰っていった。後期高齢者だわ、とおっしゃるおばあちゃんたち7人が嬉しそうに笑いながら帰っていく姿は、失礼かもしれないが、とっても可愛かった。

おばあちゃんたちとの時間を過ごして思う。こういう時間はいいなって。ボク自身、おばあちゃんたちの会話を聞いているだけで楽しい。かみ合わない感じや、1つのテーブルで話が3つぐらい並行しながら進んでいるのも、見ていて面白い。こんな時間の中にいわれることは、ボク自身、ほっとする。

でも、そんな思いの中にも、おばあちゃんが時々おっしゃる、収入のことや学歴・免許がもったいないが頭をちらつかないないわけではない。

そして、そういうことがちらつくと、その場の楽しさがちょっと減り、なんか満たされなさも感じてしまう。なんなんだろうと思う。

そんな思いへの自分なりの反抗みたいなことを書く。

いまの社会は、人と関わることよりも、お金を稼ぐことへの価値が大きすぎるんだと思う。それは、ちょっと前の社会でよくあった家族の形である男性は働いて、女性は専業主婦として家を守るのときに出来上がったものだと思う。稼いでいる男性が偉くて、家を守っている妻のしていることを相対的に低く見る。

家を守るのってすごいことだと思うし、なかなかすごいことだぞー!って言いたくなる時もある。

ぼくも今家事をできるだけしているから少しわかる。朝早くに起きて、一日分のご飯を作って、お弁当を作り、寝ている家族を起こして、ご飯をたべる。みんなを送り出した後に、洗濯や掃除をして、ごみを出したりもする。洗濯物が乾いたらとりこんで、食器を片づけて、晩御飯の準備をする。夜も、子どもたちが寝られるように布団をひいて、部屋も片付ける。

全部をきちんとできているわけではないが、こんなことをしながら、他にも郵便物とかご近所のこととかいろいろすることはある。

それをしている人がいるから、稼ぐことができるんだと思う。こう書くことで、ボクがんばっている!っていうのが言いたいわけでは全くないし、家事をしている人が偉いんだと言いたいわけでもなくって、稼ぐことも、そうじゃないことも同じくらいのことだよっていうのが言いたいだけだ。

そして、そういう感覚があるから、介護とか保育園・幼稚園の先生とかの仕事への給料も低くなりがちなんだと思う。人に関わることはお金をばりばり稼ぐことよりも低くみられる。でも、人と関わることも稼ぐこともそこには差がないはずだ。というか、そういう介護や子どもと関わることを仕事にしている人がいるからこそ、成り立っていることもある。

子供を保育園で預かってもらえ、そこで子どもが充実した時間を過ごしているから仕事ができるんだと思う。両親を日中、気にかけてくれている人がいるから仕事ができるんだと思う。

ボクのしているのも、ただおばあちゃんと過ごしているだけだ。一緒にご飯をたべて、お菓子を食べたり編み物の話をしたり、世間話をしているだけだ。その時間からは全くお金も発生しない、稼ぐという点からみると全く出来ていない。でも、おばあちゃんからは

お昼は、いつもは一人で食べるんや。一人で食べるご飯は美味しくないんよ。ほんで、自分一人のために作ろうとは思わないから、いつも適当に食べている。ここで、あんたが作ってくれた料理を知っている人と食べるのは楽しい。

と言ってもらえる。

ボクはそれで十分なんだ。

ほんとはね、こんなふうにやりたいことをしながら自分の収入にもつながったらいいなって思っている。そこの方法をボクが見つけられていないことへの言い訳をただ書いていただけかもしれない。この文章を読んで、よっしゃあ、おまえのパトロンになってやろう!みたいな人が現れたらなあって、夢をみることもある(まあ、そんな夢のようなことはなかなか起きないから、できる範囲でお金をいただける仕事もしている。)

でも、ボクは一旦稼ぐという部分から外れて必要としてくれることをするっていう日々を過ごす中で気づいたこともある。それは、

今の社会では稼ぐことに結びつかないことの中にも大事なことはあるということだ。

そして、その稼ぐというところから離れているからこそ、人々の関心が向かわず、しんどい(そこまでではないかもしれない)思いをしている人がいるということに気づいている。

おばあちゃんたちは、ときどきボクのご飯を食べることで、とても楽しいんだと言ってくれる。それって自分の時間をちょっとおばあちゃんたちに使っただけなのにだ。そんな些細なことで誰かの喜びになることは、お金を稼ぐことと同じくらい尊いことだと思う。

ぼくの収入のことを心配してくれるおばあちゃんたちに、できるならボクは〇〇で十分稼いでいるんですよ、と言えたらいいなって思う。そうすれば、おばあちゃんたちから言われることはない。もちろん今、ボクに好きなことをさせてくれている妻への思いもあるから、そうしたい。でも、そんな日はすぐには来ないなとも思う。

でも、こういうことの大事さを知ってしまったので、ボクなりに続けていきたいと思う。だっておばちゃんたちに「ありがとう」って言ってもらえるの嬉しいんだもん。

稼ぐことだけを考えていたら見えないことはあるし、ボクはその中に大事なことがあると思っている。

ただの言い訳や負け惜しみかもしれませんね。でも、負け惜しみだけじゃないんじゃないかなとも思っています。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

いただいたサポートは、子どもがほっとできる場づくりの活動資金にさせていただきます。みなさんのサポートが活動を支えます!

スキを押してくださり、ありがとうございます!
6

振角 大祐

5年前に、自分の子育てのしんどさを何とかしたくて、びわ湖のほとりで子どもの居場所づくりをはじめました。「ありのままの自分を受け止められるために、弱さを認められる環境をつくりたい」が僕のミッションです。NPO法人わっか共同代表、3児の親、趣味は編み物
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。