見出し画像

36才、自分のセーターを編んでみて。

セーター1号できた!

編み図を見ずにやりたいように編むのは楽しかったなあ。自分で編んだから気づいたこともたくさんあるよ。

写真は、5歳の長女が撮ってくれたもの。いいねえ、ボク。

自分用のセーターを編み始めたのは、1月12日。ということは完成にちょうど、ほぼ2か月かかったんだ。思ったより長かった。ときどき、パタッと1週間ぐらい編まなくなることもあった。そういうのが積み重なって2か月。まあ、悪くないんじゃないか、その結果編みあがった今、外は温かくセーターを着る季節が過ぎ去ろうとしていることは、仕方がない。

twitterに残っている編み物をの記録から振り返ってみよう。面白いかどうかわからないけど、せっかく初めての自分のセーターを編めたんだもの。それくらいしてもいいんじゃないかと思うんだ。

そうそう、自分が着たいと思うセーターをボクは編みたかったんだね。セーター3枚くらい持っているんだけど、どれもキュッと締まる感じがして、それが苦手だったん。もっと、ザクッとした感じのものが作りたかったの。そんなイメージだけで編み始めたんだった。

編み始めたときにボクは編みながら自分が何を感じるのか試したかったんだ(忘れていたよ、そんな気持ち)。

ほんとは、ゴム編みもないほうが良かったの。

でも、端がくるっとなるのが、というか、くるっとなるのはいいんだけど、どれくらいくるっとなるのかがわからないので、丈が短くなったら嫌だなって思ったんだ。

だから、ゴム編みを入れた。でもねえ、ゴム編みの感じをしっかり入れるとボクの苦手なキュッと締め付けられるものになるから5段くらいにしたんだね。ナイス👍

ぼくは、模様編みもよりも、ひたすら同じ動きを繰り返す編み方(とくに表目)が好きなんです。だって、何も考えなくていいから。編み物をしていて気づいたら30分経っているとか、嬉しいもんです。

他にも良いことがあって、ボクが編み物とか何かを1人でしていると娘から「遊んで」と声をかけられる。スマホなんかを触っているときは、「ちょっと待って」といいがちなんだけど、編み物でひたすら繰り返しているだけのときは、「いいよ」とすぐに遊べる。そういうのもいいなって思うところなのよ。

編み目をみるとそのときのことが思い出せることがある。これは、ほんと。

編み物をしながら、いろんなことを考えたりもする。だって、同じ作業を繰り返しているだけだから、歩いているときと同じような感じになってくるの。歩くときも結構いろいろ、ぽっと浮かんでくるんですが、編む時も同じように浮かんでくる。結構、そのとき悩んでいることとか浮かんでくる。

でも、嫌なことを思っても編んでいるから手は止められない。手だけ動いていると、嫌なことも思い出したり考えたとしても、そんなに長続きしない。これよくわからなくって不思議なんだけど、確かにそうなんです。なんか考えが長続きしない、メールしちゃったりとか、暴走しなくて済む。

よく、怒りを感じたら10数えよう!すると怒りは収まります。みたいなのあるけれど、編み物でも一緒。怒りなど嫌な気持ちを感じたら、そのまま、しばらく編もう!すると嫌なことは忘れるよ。

そんな怒りを感じたときの編み目もこの中には含まれている。そう思うと面白いなって思う。いいものばかりじゃないものも含まれているのは、なんだかいいねえ。

途中、長女のセーターを編んだんだった。それは、

こんなことがあったからだった。あったね、こんなこと。

編み終わるのに2か月かかったのには他にも理由があるよ。それは編み物をしよう!と思ったら、それを止める息子と娘がいること。おもしろいくらいボクが編み始めると、あそんでと声をかけてくる。ぼくが「編んでいるから後にしてね」なんて間違っていってしまうと「いやー!」「いまー」と叫ぶので、最近は言われたら、ひとまず「はい」と言い遊ぶようにしている。ほんとはね編みたいのよ、編ませてくれー、編みたいんだよ。

ときどき、心変わりもする。違うのを編んでみたくなる時もある。このときは知人にアームウォーマーを編んだ。

これ、ボクのセーターを編んでいた毛糸を使ったんです。ボクとお揃いみたいになるのはどうなんだろ?気づいたら嫌だろうなあって思いながらも、このときはこの毛糸で編みまくっていて、この毛糸が好きになっていたから、仕方なかったんだよね。いいじゃん、お揃い。

自分へのセーターができて、ぼくにそれをプレゼントするみたいになっている今、この贈り物を贈るのと受け取るのを両方ともできているんじゃないか!ぼく。

そうそう!これ、ほんとにそう。

編む時間をとれないくらいのときって、何かがおかしいとき。こんなに楽しい編み物を後回しにするのは、何かが間違っているときだ。
編んでいるときの方が、後から思うと仕事も家族との時間もうまくいっている。でも、何度もこれやっちゃうんだよね、わかっていても。

ほら、こんなこともできているじゃん。編み物をしているときのボクなかなかいいぞ!

ただね、編みすぎると、こんなことにもなる。何事も加減があるのにね。これから1か月をすぎようとしていますが、腰の痛みは続いています。セーター編めたし、歩きはじめようかとも思っています。編んで歩いて、いいじゃん、健康的で。

2月になるとだいぶ日差しが温かくなって縁側で遊ぶ息子たちを見ながら編み物をしていました。これであと猫でもいたら完璧な絵になるんだろうねえ。(ぼくネコ苦手だけど)このときは、今年の冬が暖冬で3月にはセーターを着るかどうか悩むような天候になっているとは思いもせず、冬の日差しを楽しんでいました。

自分のしたい編み物をしたいだけできているときは、人がする我慢とかそういうのに耐えられなくなっている。みんな我慢比べなんてせずに、自分のしたい事をしたらいいのにね。

人のことを気にせず、自分のしたいことをすれば、まわりの人へも少し優しくなれるんじゃないかってことは、ぼくは編み物を通じて実感している。

そして、おばあちゃんたちなんて、まさにそうだねって思う。自分のしたいことをしているなって思う。そして、自分のしたいことをちょっとわがままに見える感じでしている人って、楽しそうだし、そういう人が楽しそうにしている姿を見ちゃうと周りも許せちゃうんだよね。

たまたま、出会った方にも、「ぼく編み物しているんですよ」と声をかけると、編み物を共通の話題に話をすることができる。歳が離れていようが、経験が1年のボクと何十年としている人とでも、そこは関係なく話ができる。

こんなふうにね、大先輩もボクの編んだものに興味を示してくれて、さらにいなって思うのは、上から目線でアドバイスとかをされないことだ。結構、求めていないのにアドバイスをされることって、ふだんあるんだけど、編み物に関してはそういうのはないね。

ぼくねえ、輪針は大好きなんだけど、棒針があんまり好きではないのね。それは、折り返しがあるからエンドレスの作業ではなくなるから。折り返しのたびに、自分が編んだ量をわかってしまう。それがあんまり好きじゃないのよね、できれば編んだ量を気にせず、疲れるまでエンドレスで編み続けていたい。

ああ、このときは衿がいい感じになったと思っているんだね。この後、裏側もできて、肩の部分を縫い合わせて着てみたら、それがどうだったのかわかるんだ。

うんうん、ほんとそうなんだよね。これ編み終った今でも同じ感じはあるね。

気づいたよ、衿が広すぎて、肩がでてしまうセクシーセーターになっているということに。セーターを踏みつけているのは、3歳の長男だ。外で遊ぼうと言っている。きっと彼の中では、セーターはボクが遊ぶのを邪魔する敵だと思っているはずだ。彼はいまシンカリオンにハマっている。いつか、セーターを退治する日がくるはずだ。

肩がフラメンコの衣装っぽくなっていることに気づきながらも、その現実を認めたくなくって編み進めている。

そして、この辺りで、やっぱり太すぎて、フラメンコの衣装みたいになると疑いなく思えたので、ほどいた。

ちょっと落ち込んでいた時期だねー。落ち込んでいるときは、やたらと編むか、全く編まないかのどちらか。編むのが面倒だと思うときは結構落ち込んでいるときだね。このときは、まだ、そこまでではないの。

というか、手を動かして編んでいると考えが暴走するのを防げます。

そうなんだよ、編んでいれば大丈夫さー。なんくるないさー。

袖の長さを決めかねていたんです。端はゴム編みなどはせず、クルッとなる感じにしたいのは決まっていたんだけどねー。twitterで聞いてみたら、これくらいがいいって言ってくれたから、この長さにした。8分というらしい、8分袖ってなんか響きがおしゃれだ。

ぼくの時間予測はほんと適当だ。この袖できるのに結局この後2週間かかるんだよ。編んでいるとときは、自分がすごく早く編める人のように思えちゃうんだね、怖いね。

この間、1週間編み物は止まってるやん!(大丈夫なのか、いや全く大丈夫じゃなかった時期だ。)家でも感じ悪かったなあ。じぶんのできなさを人に当たりまくってました。

そして、急に、しんどい時期は抜け、アクセルが踏み込まれてラストスパート!!

アクセルが入ると、人が編んでいるものまで編みたくなるから恐ろしいもんだ。

セクシーセーターを直すのだ。

14号の1目ゴム編みは緩すぎたんだよね。最後まで、きちっとしようとしている。ボクにしては珍しい。だいたい最後なあなあで終わらせてしまうことが多いのに。いつものボクと違うぞ!

いえーいっ!できた!!!

うれしすぎて、5歳の次女に記念撮影をしてもらう!いいじゃん、ボクの笑顔!36歳で自分のセーターを編んだんだよ、これくらいの笑顔にもなるさ。

自分が覚えているだけの編み方で、ありあわせでセーターができた。なんか、すごく幸せ。この幸せな感じは大事に覚えていたいなあ。誰かに認められることなんて、どうでもいいもんなあ。

きのう、西内としお先生の講演があった。そこで質問をさせていただいた。それは「自虐とか、わかりやすいものが今の社会にはあふれていると思います。それは爆発的で、刺激もある。そんな中でわかりにくいもの。だけど大事なものをどうやって伝えていくか、その辺りについてどのように思われますか」ということを伺った。

それに対して、先生は「自分で作ること、自分が好きなものをコツコツ続けること、評価を気にせず、そういうことをすることかなと思う」というようなことをおっしゃった。話が興味深くてメモをしていなかたので、ボクのうる覚えだし、他の質問の返事と混ざっているかもしれない。おそらくボクの思いっきり、うなづいた部分を強調しているとは思うが、とにかくボクは、

自分で作ること、自分が好きなものをコツコツ続けること、評価を気にせず、そういうことをすることかなと思う

ということへ、とってもうなづいたんだった。

ボクは編み物をしていて、袖は肩から袖に向けて細くした方がいい、とか襟ぐりはボクが思っている以上に小さい、などセーターの形の意味をたくさん知った。

でも、それ以上に、自分がいいと思ったものを自分のしたいように編むことで、評価を気にせず、行うことの面白さをしった。

いやいや、twitterとかで発信しているじゃん、それは評価じゃないの?と思われるかもしれない。それはそうかもしれない。でも、twitterでは自分のしたいことをしている経過を上げていたし、それでどんな反応があっても、別に気にならなかったし、自分が編むのを止めることは無かったよ。

他人の評価で自分のしたいこと、つまりセーターを編むことは変わらなかった。こんな経験はおおげさかもしれないが、他人の目が気になりはじめた中学生以来なかったかもしれない。

ボクは、編むことを通じて、自分のしたいことを誰の評価も気にせずすることの楽しさを知ることができた。それが今のところ自分のセーターを編んでみて良かったなって思うことだ。

評価を気にすることを無くすことはできない。でも、それを全く気にしない部分を日常の中にもつことはできる。それを大事にすることもできる。

ボクにはそういうものが必要だったのかもしれない。

さあ、次のセーターを編もう。次は10歳の長女のセーターだ。長女に来て欲しいセーターを編んじゃうのだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

いただいたサポートは、子どもがほっとできる場づくりの活動資金にさせていただきます。みなさんのサポートが活動を支えます!

スキを押してくださり、ありがとうございます!
15

振角 大祐

5年前に、自分の子育てのしんどさを何とかしたくて、びわ湖のほとりで子どもの居場所づくりをはじめました。「ありのままの自分を受け止められるために、弱さを認められる環境をつくりたい」が僕のミッションです。NPO法人わっか共同代表、3児の親、趣味は編み物

世をへだてて

編み物の記録。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。