見出し画像

6/25(火)うちの犬が三年目に

こんばんは。昨日まで諸事情で一週間ほど家にこもっていたのですが、今日「人に会う約束事」と「自分の体調」が噛み合ったせいか、久々に外に出ることとなりました。やっぱり、外はわからないことや知らないことが多くて、どれも楽しいことばかりで、家でYouTubeやNetFlixで消費してしまう時間とは違うシステムで動いている気がしますし、なくてはならない存在だなと思いました。

今回は、私の家で飼うことになった犬のことを2歳にもなった節目なせいか、少し言語として落とし込みたくなったので、書いてみようと思います。

ーーーーー

いつからか飼い始めたか分からなくさせるほど、うちの犬の存在は自分含め家族の一瞬一瞬の日常を変容させている。

そう考える所以は、うちの犬と人のしつけや触れ合いは、互いのことを理解させることだけでなく、人同士の会話を生じさせていると感じるからである。

うちの犬は、自分の足を舐めたり、自分または家族の顔にボールを当ててきたり、ガンガン足を引っ掻いたり、外に出ようとする人たちに吠えたり、体全身を使って、何かを求めているように知覚できる。それも、引っ掻く強度を変えたり、吠える音に高低をつけるようになったり、どれも毎度同じなようで、変化が見られ、とても懸命に今を生きているように感じる。
上記のような、求める対象への願望が、行動の必死さ、懸命さから感じられるとき、初めて私はうちの犬とついつい触れ合うようになり、結果的に犬という存在に感謝する。そんな行動を家族からも感じられるとき、初めて人の感性や存在に対して、親近感がわくし、とても美しいと思う。

そのような過程はやがて、家族同士のコミュニケーションにも移っていく。「うちの犬、何をあんなに吠えて言おうとしているのだろう」「あんなにボールに懸命に走って、どこかものに当たってしまうんじゃないか」「人に囲まれていて、他の犬と友達を作ったほうがいいんじゃないか」など。うちの犬の話題を家族がするようになる。すると、不思議なことに、就活や留学の話や親戚の話など犬とは違った話題も居間で頻繁に交わされるようになり、その話題もポジティブで前向きで、楽しそうである。私自身も会話を通じて、よく分からないストレスを感じることが減ったように感じる。犬を飼う前までも話していたかもしれないけど、どれも暗い方向へ進んでいたせいか、その話題に触れていたかもわすれてしまった。

このように、たった2年のうちの犬との触れ合いから、得られたことはとても大きかった。そんなことを気づくこと、表現することが、人である私自身の楽しみになった。また、2年という時間は、確実に今までとは違った2年という感覚だったし、それらを授けてくれたうちの犬には大変感謝したい。この文章を書いている時にも、吠えたり、私の手足を舐めたりする。どこまでこんなことが続くんだろうと思うけど、触れ合える時に触れ合っていければいいかな。

ーーーーー

以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?