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漫才

私が漫才に触れたのは、NHKで放送していた爆笑オンエアバトルが最初だった。
当時は第4回チャンピオン大会の頃で、今ではテレビに出ずっぱりになったアンジャッシュ、アンタッチャブル、タカアンドトシ、スピードワゴン、チュートリアルらがしのぎを削っていた。

その頃から漫才という数分間の芸術に心を惹かれ始めていた。

もう1つ、漫才というテーマで欠かせない大会としてM-1グランプリというものがある。
これはテレビ朝日系列で放送されており、前述した爆笑オンエアバトルと違って決勝戦のみしかテレビ放送はされない。
2001年から始まっていた大会だが、私がリアルタイムで観たのは2003年の回が最初である。
当時私は中学生で、その日は冬の合宿で千葉の宿舎に泊まっていた。
同じ学年の男6人が同じ部屋で過ごしていたのだが、夕飯後、何気なく部屋のテレビを付けると放送されていたのがM-1だった。
それがM-1との最初の出会いだった。

当時は笑い飯が「奈良県立歴史民俗博物館」というネタをやっていて、私は初めて「笑い死ぬかもしれない」という恐怖を味わった。
Wボケと言われたその怒涛のラッシュに呼吸不全に陥ってしまったほどだった。
それからと言うもの、毎年友人たちと見る年末の風物詩となっていった。

そんなM-1グランプリに対して、ナイツ塙さんの「言い訳」と言う著書では、挑戦者としての葛藤が描かれていて、あっという間に読み終わってしまった。

前半は非吉本であること、関東芸人であるが故の苦労を語っていたが、徐々に審査員も担当されていたこともあってか、塙さんにとっての漫才とは何かという価値観を語っていた。
その中で、若手の漫才師の方の批評もされていたが、漫才という場で闘ってきているからか、腑に落ちるところが多かった。
NONSTYLEの石田さんもナインティナイン岡村さんのラジオでM-1の総評をされていたが、ぜひ聞いてみてほしい。
大会の仕組み上、それぞれの漫才に対しては1〜100までの数字での評価しか提示されず、その裏付けを話す機会も番組の尺の都合上、時間が限られている。
そういった中で、時間を気にせず、関係者の顔色を伺うことなく、正直な批評を聞くことが出来るので、結果的にもう一回M-1を見返したくなることだろう。

著書の後半は、自身の生い立ちから、芸人を目指し、そしてヤホー漫才が出来るまでが赤裸々に語られている。
ヤホー漫才は「発明」であり、その発明も、自身が漫才に感情を乗せられないからというコンプレックスから生まれたもので、関東芸人は漫才を「発明」することがM-1で結果を残す上では至上命題かのように書かれていて、思い返してみても、関東出身のコンビは少しアクセントが加わった漫才を披露していて、伝統的なしゃべくり漫才で決勝まで上がって来ているコンビはやはり関西出身の方が多かったように写っている。

関東芸人でM-1を制したのはアンタッチャブル、サンドウィッチマン、トレンディエンジェルの3組だが、前者2組はコント漫才であり、トレンディエンジェルは「斎藤さん」というキャラを発明し、そのキャラが乗っかった上での漫才だったように思う。

他にもオードリーやハライチ、トムブラウンのように新たな漫才のスタイルを確立したり、さらば青春の光やメイプル超合金、馬鹿よ貴方はのように、今までに前例のないボケやツッコミを取り入れていたり過去の前例から見てもそれは明白だった。
大会である前にテレビ番組であるM-1の出演者として「真新しさ」を求められていて、
制作側によって何かしらの精査が加えられているのであれば、それは悲しいけれど、それでも今後どんな発明品が出てくるのか期待していきたいとも思えた。

先に掲載した「お笑いの話が出来るBAR」でもラリーさんに「過去のM-1が面白くなくなってしまっているのは何故なのでしょうか?」と昔から思っていた疑問を投げかけた時「漫才が進化しているから」との回答があった。
今回、塙さんの著書を読んで、浮かんだ感想を自分で噛み砕いてみても、やはり漫才は進化しているのかなと感じた。

38マイク一本しかない中で、進化を遂げていく漫才がやっぱり好きで、今年のM-1グランプリも非常に楽しみにしている。
優勝はないかもしれないけれど、決勝の舞台でまたマヂカルラブリーを見れる事を願って。

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