そもそもしゃべくり漫才とコント漫才って何か?

これは人によって感覚が違うと思うし、あくまで素人目線での批評にはなるが、結論から言うと「コントにしても成立するか」どうかだと思う。
この考えで見ていくとM-1チャンピオンはほぼしゃべくり漫才だったと言っていい。

●歴代優勝者の割合は?

芸人さんは数多く持ちネタがあるので、決勝で披露したネタだけを見て考えた場合、しゃべくり漫才は中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、NON STYLE、笑い飯、トレンディエンジェル、銀シャリ、霜降り明星。
一方で、コント漫才だったコンビはアンタッチャブル、サンドウィッチマン、パンクブーブー、とろサーモンくらいかなと思う。

見分け方として「成立」という言葉を使ったが、要はコントとして見たときに、ネタに順序性があって笑いの質が変わらないかということを意味している。

例えばアンタッチャブルやサンドウィッチマンはファストフード店の店員と客、サンドウィッチマンはアンケートを取る人と取られる人と役割も終始変わることなく、流れが途絶えることもない。とろサーモンの旅館のネタも従業員と客という立場は変わらない。
このように立ち位置や変わらず時間軸に沿ってボケとツッコミの掛け合いがある漫才がコント漫才なのではないかと思う。

去年優勝した霜降り明星はどうか?

そうやって見た場合、去年優勝した霜降り明星が決勝の1本目で披露したネタも、豪華客船という設定こそあってコントに見える部分はあるが、ボケのせいやさんは客を演じたり、船長を演じたり、色んな視点から豪華客船という設定の中でボケを打っている。

さらに言うと粗品さんがせいやさんが誰を演じているか「船頭に色んな人おるわな」「船長さんですかね」などと切り替わった場面を説明している。

これをコントに落とし込むと場面(ボケの人の立ち位置)の転換をする場合、暗転をしたり、ナレーションを入れたり、少し間が必要になり、笑いの質も落ちてしまうのではないかと思う。

そう行った意味では少しイレギュラーな形ではあるがコント漫才ではないという位置付けに出来るかと思う。

和牛はコント漫才師か?

惜しくも1票差で2位になった和牛の去年のネタも判断が難しい。
ゾンビのネタは前半はしゃべくり漫才そのものでこのままこの感じで終わるのかなと思っていたら、後半はコントになり、そこで爆発的な笑いを生んだ。
一方で、前回の結婚式のネタについては、どちらもコントなのだが、前半は結婚式前日の打ち合わせで後半は結婚式当日での伏線回収をする。
これは暗転で切り替えることをすれば、プランナーと新郎という役割自体は変わらずコントとしても成立しているように見える。
このように和牛や、過去の優勝者だとパンクブーブーもだが、しゃべくりであってもコントであっても高品質な漫才を提供出来るところが他の漫才師にはない強みなのかもしれない。
今年こそ、優勝してほしいという気持ちは少なからずある。
もし出場する側だったらと思うと、あんなに上手い人が毎年出ていることにゾッとする。

準コント漫才というカテゴリがあればいいのに

時間軸にブレがなく、役割も変わらないコントに入るのをコント漫才として、笑いを取る要素として一時的にコントを使用するような漫才を準コント漫才と呼んで行くことにしたい。
例えば同じやりとりを何回も繰り返す馬鹿よ貴方はやマヂカルラブリーだったり、ボケだけが設定に入るスーパーマラドーナやオードリーのような漫才を見た時、誰に説明するわけでもないが、「準コント漫才だな」と勝手に思うようにすることにする。

トム・ブラウンは何漫才か?

しゃべくり漫才、準コントもコントもどのカテゴリにも当てはまらない初めての例かもしれない。
今年も予選で爆発したと聞いた。
去年はどこで笑ったらいいか分からないまま終わってしまっていたが、市民権を得た彼らの漫才は決勝でも一花咲かせるかもしれない。
漫才が進化しているということを自らのネタで体現してくれている彼らの漫才が非常に楽しみだし、M-1準決勝も生で観戦できることになったので密かに応援したい。
せめて、出番が最後の方だと良いのだが。

漫才は確実に進化している。

前述したトムブラウン以外にも、ノリボケ漫才を開発したハライチや、素っ頓狂な発言を強めのツッコミで笑いに変えるカミナリ、話の流れに沿わず言いたいボケを言う天竺鼠やメイプル超合金のような新しい漫才を見るたびゾクゾクしている。
今回も予選を見ていてエンペラーのようにシームレスにコントに入っていく漫才やひたすら小ボケを繰り返すじぐざぐ、エルシャラカーニを想起させるズレ漫才のたくろう、架空の3人目を作り出したななまがり、普通のツッコミワードを少しひねるぺこぱなど予選の段階で進化を感じる結果になった。
コントは昔のコントを見ても面白いのだが、漫才は昔の漫才を見ると面白くはあるものの、なぜか古さを感じてしまう人もいるのは漫才が進化しているからではないかと感じている。

今年も芸人さんが何回も何回も思考を重ねて、練習に時間を費やして、劇場にかけて更に思考を重ねる。そんな努力の賜物であるネタをテレビをつけるだけで見ることができる。
12/22が近付いてくることが、楽しみでもあり寂しくもある。

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