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明るい親戚のおじさんのような。

小学生の僕は無条件に笑ってしまっていた。
テレビに映る白塗りの殿様に。
誰かをイジって笑いを取るスタンスだけではなく、自ら身体を張って笑いを取る殿様に。
時にはプールに落ち、時には泥だらけになり。
全裸になり、タライを浴び。
テレビの前の1人を、学校で嫌なことがあって落ち込んでいた僕を笑わせるために。
バカ殿を見せてくれる家庭に生まれて良かったなとも思える。

トーク番組に出た時も、時には後輩に舐められ、ちゃんと怒って笑いを取るけど、その後は笑って許していて。
どんな後輩の芸人さんと絡んでいても、ちゃんと面白いんだろうという安心感すらも持っている。そんな隙を持っている数少ない大物の芸人さんだった。

見た目からプライベートまでコメディアンで、
大悟さんのフィルタを通して語られる生き様は面白くも裏側にカッコよさがあって。

みんなに看取られて亡くなるべき日本の英雄だった。国宝だった。
志村さんの称号を喩えようとしても喩えきれない。子供の頃、大人になっても、たくさんたくさん笑わせてもらった。
正月特番を見ていても「東西ネタ合戦」や「英語禁止ボウリング」など志村さんの存在は当たり前にあった。
落ち着いたらだいじょうぶだぁ、と言って欲しかった。

明後日はテレビの前で笑わせてもらう予定です。
https://twitter.com/bakatonoshimura/status/1244546615668379649?s=21

志村けんさん、大好きです。
自分が死ぬまで、忘れません。

(2020/04/01追記)
志村けんさんの追悼番組を見た。
ドリフのコントでは、キングオブコントで見たような設定もあり、先進的なことをやっていたんだなと痛感した。
ご飯を食べながら見れる安心した笑いだった。
「バカ殿」や「だいじょうぶだぁ」も昔から見ていたけれど、今回の特集で「山ガール」や「MR.TAXI」など当時の流行を設定やボケに取り入れていたのを知った。
若い人にも受け入れやすくなるようにしていたのも、お笑いへのこだわりなのかなと感じることが出来た。

番組の終盤、加藤茶さんの弔辞、仲本浩二さん、高木ブーさんのコメントのあとに番組は終わった。
どれもユーモアに富んだもので、笑いながら見ていた。
最後のテロップを見て、不意に喪失感に襲われた。受け入れつつある自分に気付いてしまった。

こみ上げてくる涙を同棲する彼女にバレないよう、食べ終わったお皿を洗い場に片付け、皿洗いを始めた。
この時からお皿はよく見えていない。
かけていたメガネのレンズには水溜りが出来ていた。
「もう会えないんだ」という思いよりも、「悔しい」という感情に心が支配された。
月曜日に唐突に入ってきた訃報から信じられなかった、信じてこなかった事実を突きつけられた瞬間だった。
あまりにも泣くもんだから、彼女にもバレてしまった。
「泣く」と言う動作にも色々な表現が付与されているのが日本語だが、「泣きじゃくる」感覚に近かった。
小学生の時に良く見ていたからなのか、その頃に戻った気持ちだった。小学生のように、わんわんと泣いてしまった。

「そんなに?」と不安そうに言われたが、自分でも説明がつかなかった。
嗚咽しながら「わからない」と答えたあと、落ち着き払って「好きだったから泣かせてくれ」と言った。

志村けんさんがいる世界に生まれてこれてよかったなと思う。
例えば、卵を床に投げつけるような常識を外れることが「悪いこと」ではなく、「悪いこと」ではあるけど「面白い」も秘めていることを知ることが出来た。
おかげで、ダメと言われたことをしてしまうような子供時代で、親も教員も手を焼いたと思う。
その頃の怒りは、偉大なる先人にでもぶつけてくれ。

志村けんさん、長い間食卓に笑いを届けてくださり、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

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