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土の遺跡・深

※『土の遺跡』を加筆修正したものです。

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果てた騎士のその身に残ったものは

──────『土の遺跡・深』

 乾いた土地に吹きすさぶ風。砂塵の向こうに見えるはアロガン王国。幾度もの戦いを経て小国から大国となったその国では、祝宴が行われていた。酒に溺れる同僚や上司をよそに、暗い茶髪を短くまとめた壮年の騎士ガルドアは窓辺に飲みかけの酒を放った。どうせ誰も見ておらぬ。空の盃をテーブルへ置き、彼は早々に自分の部屋へ戻ろうとする。
「ガルドア様!」
若い部下が駆け寄ってくる。酒で気分が良いのだろう、若き騎士はいつも緊張して自分に声を掛けるのをためらっているのに酷く嬉しそうだ。
「もうお部屋へお戻りに?」
「年を取ると酒がきつくてな」
「まだお若うございます」
「……あまり深酒はせんようにな」
部下の肩を叩き、星空を遠目にしながら仄明るい廊下を進む。
 己の部屋に閉じこもり、武具を磨くため油と布巾を手にする。戦歴も多く武勲のある騎士ならばそんなことは召使いに任せれば良いのだが、彼はいつも用心深く、身に着けるものは全て自分で手入れを行なっていた。酒を飲むより鎧を磨く方が性に合っている。磨いた豪奢な黒い鎧を掛け、ガルドアは蝋燭を片手に窓辺に座り、月の下で本を開く。読み耽っていると夜は深まり、瞼が重くなってくる。
 閉じた瞳の裏に荒野が見える。あれは幾つ目の戦場だろうか? 近くで、遠くで腕も剣も飛んでいく。放たれた矢が同僚の目を射抜く。血と火薬の臭い。脚をやられた馬が倒れる。友の身体を下敷きにして。嗚呼、何故。友よ、年老いてなお酒を酌み交わす約束はどうしたのだ。逝くな。己の喉から獣の声がする。悍ましい、人を屠る獣の咆哮。振るった剣は的確に敵の頭を斬り飛ばす。鎧の下の目が俺を見ている。見開いた目はまだ若く、この先もあったであろう。それを奪ったのは何だ? 己の剣だ。酷く落ち着いた己の腕だ。うなされながら目覚めれば、とうに朝陽が昇って来ていた。
 戦争の痛手も癒えぬうちに、王とその部下は次にどの国を攻めるかと話を進める。幾つもの豊かな国を抱き込んでなお、まだ肥えようとする。恐ろしく浅ましい者たち。何故この席に己がいるのか? もちろん、またも武勲を挙げたからである。王の右腕と呼ばれるのも時間の問題よな。今朝すれ違い様に高官に囁かれた。周りの期待と共にガルドアの地位も上がっていったが、彼の心は酷く冷めていった。斬り伏せた敵の数だけ大事なものを喪って行く。いつしか彼は、己を赦せなくなっていた。息を吸うことすら罪のように思え、やがて男は人と話すことも止めた。
 ガルドアは再び敵国の土を踏みしめていた。もはや考えることすら怠いと言うのに、己の腕は冷静に敵を屠っていく。悍ましい、悍ましい。鏃よりも鋭いこの腕が、この目が。考えるより先に身体が動く。若い者も老いた者も分け隔てなく斬り棄てその肉を積み上げていく。俺は一体何なのだろう。獣にしては賢しい、人にしては惨い。何も赦せぬ。彼の身の内で燃え上がるものがあった。しかしそれすら感じることも出来ず、ガルドアは肉塊を積み上げていった。
 一つの矢が愛馬の腹に突き刺さり、ガルドアは地に放り出される。
「アウステル!」
もはや友と呼べる者はお前だけだと言うのに、お前も俺を置いて逝くのか。アウステルは潤んだ目で此方を見た。早くこの苦痛から解放してくれと。
「済まない、済まない友よ。いつかまた会おう」
その首筋に刃を突き立てる。敵地で馬の手当等当然見込めぬ。愛馬に祈りを捧げてやることも出来ず、砦の奥を目指す。
 灰の降る砦の中、黒き騎士は金色の鎧の騎士と対峙する。派手な鎧だ、己以上にさぞ人を殺してきたのであろうよ。嗤いも早々に激しく打ち合い、互いに首を取らんと猛然と剣を振るう。永い時、舞うように二人の騎士は煉瓦を踏み鳴らす。ほんの一瞬の隙だった。だが、それを金色の騎士は見逃さなかった。プレートの隙間に刃が差し込まれる。鋭い刃は鎖帷子をも貫き、血管を断ち切る。だが吹き出した血は瞬く間に燃え出し、金色の騎士は慄く。鈍くなっていく身体を引きずりながらも男は剣に縋った。
「赦さぬ、赦さぬ」
その呪いは誰へ向けたものなのだろうか。血を流し切ってなお黒き騎士は立ち上がった。足元から吹き上がるその黒い炎に身を焚べながら。
「化け物め……!」
金色の騎士がその首を打ち上げる。司令塔を失った肉体は膝をつく。宙を舞いながら、ガルドアは目を閉じた。嗚呼、ようやく眠れる。意識は地よりも深くへ落ちていく。暗い。けれど寒さは感じなかった。このままずっと落ちていくのだと解った瞬間、何者かに抱きとめられる。その腕の主を確認する間もなく男の意識は途切れた。

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