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文学の散歩道9

「小さき者へ」は大正5年、武郎の妻安子が27歳の若さでこの世を去ったその2年後に書かれました。とても美人であったという安子の死因は肺結核、武郎と幼い子供3人を残しての死出の旅は安子にとっていかばかりであったでしょう。武郎の筆は、安子夫人の初めての出産、発病、病名の告知、入院、そして死、遺言書と、彼女の短い人生の山場を丹念に描いています。特に、当時はまだ死病であった肺結核という病名を告知された際の安子の表情、そして自分の病が伝染しないよう、死んでも子供たちに会わない覚悟を決め実行する彼女の痛ましくも潔い態度は、読む者の胸を打たずにはおきません。

 正月早々悲劇の絶頂が到来した。お前たちの母上は自分の病気の真相を明かされねばならぬ羽目になつた。そのむづかしい役目を勤めてくれた医師が帰つて後の、お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を駆り立てるだらう。真蒼(まっさお)な清々(すがすが)しい顔をして枕についたまゝ母上には冷たい覚悟を微笑に云はして静かに私を見た。そこには死に対するResignation(レシグネーション/あきらめの意)と共にお前たちに対する根強い執着がまざまざと刻まれてゐた。それは物凄くさへあつた。私は凄惨(せいさん)な感じに打たれて思はず眼を伏せてしまつた。※1

 そして病院に入院する日が来ます。それは安子が二度と子供たちに会えなくなる日でもあるのです。

 愈ゝ(いよいよ)H海岸の病院に入院する日が来た。お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢はない覚悟の臍(ほぞ)を堅めて(決意をかためる意)ゐた。二度とは着ないと思はれる━━━而(しか)して実際着なかつた━━━晴れ着を着て座を立つた母上は内外の母親の眼の前でさめざめと泣き崩れた。女ながらに気性の勝(すぐ)れて強いお前たちの母上は、私と二人だけゐる場合でも泣顔などは見せた事がないといつてもいゝ位だつたのに、その時の涙は拭(ふ)くあとからあとから流れ落ちた。その熱い涙はお前たちだけの尊い所有物だ。それは今は乾いてしまつた。大空を亘(わた)る雲の一片となつてゐるか、谷河の水の一滴となつてゐるか、又は思ひがけない人の涙堂(るいどう/目の下のふくらみ、涙袋)に貯へられてゐるか、それは知らない。然しその熱い涙は兎も角もお前たちだけの尊い所有物なのだ。※1

 そして迎えの自動車の所に行きます。子供の一人は下女に背負われ、一人はよちよち歩きで、末の子は安子を苦しめるのを避けるため連れてこられず、母親を見送りに出ます。子供たちは母親の病気の重さを知りません。いや、知っていたとしても「死」の事は分からないでしょう。

 お前たちの頑是ない(がんぜない/無邪気なこと)驚きの眼は、大きな自動車にばかり向けられてゐた。お前たちの母上は淋(さび)しくそれを見やつてゐた。自動車が動き出すとお前達は女中に勧められて兵隊のやうに挙手の礼をした。母上は笑つて軽く頭を下げてゐた。お前たちは母上がその瞬間から永久にお前たちを離れてしまふとは思はなかつたらう。不幸な者たちよ。※1

 珍しい自動車に目を奪われる子供たち、それを最後だと知っていて子供たちを見やる安子の寂しげな様子などは、小説の枠を超えて実際に見た者でなければ分からない切なさを如実に伝えます。
 そしてその1年7か月後、安子は息を引きとるのです。死の床にも子供たちを寄せ付けなかった安子は陸軍大将の次女で、その美貌もさることながら意志の強さも親譲りであったことがうかがえます。
  武郎は残された子供たちへの熱い思いを綿々とつづっていきます。それはまさに愛と感謝と激励の言葉です。亡き夫人の愛に裏打ちされた、涙と情熱にあふれた独白と言ってよく、その興奮に満ち満ちた言葉の波は読者をして感動の渦に引き込まずにはいられません。そしてその昂(たか)ぶりは作品の最後に頂点に達します。

 小さき者よ。不幸な而して同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。而して暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
 行け。勇んで。小さき者よ。※1

 最後の文章など、有島武郎の絶叫が聞こえてくるような名文です。「小さき者へ」は、安子と武郎の、親から子供への愛情が神々しく感ぜられる名作と言っていいでしょう。

 有島武郎は「小さき者へ」以降、「生れ出づる悩み」「一房の葡萄」「惜みなく愛は奪ふ」「或る女」といった、文学史に残る作品を次々と発表します。安子の死が彼を奮い立たせたとも言えるでしょう。安子の病床雑記「松虫」には、最後に武郎の成功を願う一節が残されています。
 ところが、大正12年、武郎45歳の時、彼は突然自殺してしまいます。「小さき者へ」を発表してからまだ5年後のことです。世間は非常に驚きました。それもそのはずで、彼は女と心中したのです。情死です。その女性はこれもまた美人で有名だった当時29歳の波多野秋子という「婦人公論」の雑誌記者でした。しかも彼女には夫がいました。武郎は関係を持った秋子の夫から金銭を要求され、それを拒否、挙句の果てに二人で命を絶ったのです。軽井沢の別荘で縊死(いし/首吊り)した二人の遺体の発見まで一か月、梅雨時でしたから、残された遺書で二人の身元がようやく判明したというおぞましい有様だったようです。当時の新聞がこのスキャンダラスな事件を書きたてたことは想像に難くありません。
 なんと浅ましい最期を遂げたことでしょう。白樺派の一員として武者小路実篤や志賀直哉とも親交があり、人間の理想的な生き方を追求してきたはずの彼が、よもやの情死、心中です。武郎の死を志賀直哉が腹立たしく思った話は有名ですが、芥川龍之介も武郎の死に憂鬱になったと漏らしています。
なぜ武郎はこのような最期を遂げたのでしょう。それにはいろいろな理由が挙げられるでしょうが、どうもこれには武郎の内的なものにも一因があったように思えます。

 武郎に「卑怯者」という作品があります。これは「小さき者へ」から2年後の大正9年に発表されたものですが、その梗概(こうがい/あらましの意)は次の通りです。
 往来を目的地に急いでいた主人公の「彼」は、平屋の軒先に置いてある牛乳配達車に目を留めます。そしてその車の梶棒の間に、牛乳の入った箱に後ろ向きに寄りかかって座り込んでいる幼い子供を見かけます。「彼」はそのまま通り過ぎようとしますが、かけがねのはずれるような音が聞こえて、振り返ります。子供が尻を浮かせて立ち上がろうとした時に箱のかけがねが外れて、斜めに置かれていた箱の中の大量の牛乳瓶がなだれ落ちてきそうになっていました。必死に扉をおさえる子供でしたが、その努力もむなしく牛乳瓶はけたたましい音を響かせながらこぼれ落ち、地面に散乱します。飛び出してくる大人たち。が、呆然とする子供を助ける者は誰もいません。おそらくその子供は牛乳の配達夫にひどい目に合うに違いありません。「彼」は子供の過失を弁護すべくその中に分け入って啖呵(たんか)をきる(威勢よく述べ立てること)自分を夢想しますが、そこに荒々しい風体の配達夫が現れるや、見て見ぬふりをしてその場から立ち去ります。許してくれ、許してくれと心で手を合わせながら、馬鹿野郎!卑怯者とはお前の事だと自分を罵(ののし)りながら目的地を過ぎても気づかぬまま、泣かんばかりに立ち去っていくのでした。

 評論家の本多秋五(ほんだしゅうご)がこの「卑怯者」を紹介して、続けて次のように述べています。

 「有島は、一生を通じて、自分は卑怯者ではないか、臆病者ではないか、偽善者ではあるまいか、という懸念につきまとわれていた。」※2

 「━━━あのような有島の最期も、もしかしたら、俺は卑怯者ではないか、という脅迫観念にそそのかされた結果の行為、つまり、俺は一途に燃え上って悔いぬ男なのだ、と自分に証明するための行為であったのかもしれない。」※2

 また、同じく評論家の進藤純孝(しんどうじゅんこう)もこの「卑怯者」に注目して、志賀直哉の「正義派」という作品と対比させ、次のようなことを記しています。

 「勇敢、大胆、潔癖、男性的といったものは、直哉の文学の属性であり、臆病、小心、汚辱、女性的といったことは、武郎の文学の属性であろう。前者は、さらりとして、いさぎよく、後者は、くよくよして、しつこい。」
※3

 「卑怯者」にはからずも象徴されるかのように、臆病、小心、優柔不断、躊躇(ちゅうちょ)、後悔━━━武郎を評する文章にはこのような言葉が氾濫しています。天賦の才に恵まれていながらも彼の性情の評価はとてもポジティブなものとは言えません。このような武郎の性格は一体どこから来るのでしょうか。
 ━━━武郎は心理の細部にこだわる人でした。「一房の葡萄」では、やってはいけないことと知りつつ友人の絵の具を盗んだ少年の心理、さらにそれが発覚して大好きな女先生の前に連れ出される時の彼の心理が痛々しいまで鮮やかに浮き彫りにされています。「或る女」では読者が辟易(へきえき/うんざりすること)するほど執拗に女主人公葉子の心理を追求します。「生れ出づる悩み」などは途中で筆をおいていれば、より名作となったものをと惜しまれるぐらいです。とにかくしつこい。しつこすぎる。この執拗さが武郎の作品には目立ちます。
 一方で、武郎に自己陶酔の気配はなかったでしょうか。先ほどの「小さき者へ」の最後の文章などは、違う方向から見れば、どこかの宣教師が自分の説教に興奮して涙ぐんでいるようにも捉えられます。勿論これはやや意地悪な見方ではありますが、ここでの武郎は自分の言葉に酔っているフシがあるのです。どこか危うい。理想的な自分の言葉に酔ってしまって現実の自分を置き忘れてしまっては危険です。自己陶酔のあとには現実の自分への失望が待っているからです。「卑怯者」でも子供を助けるべく勇ましく啖呵を切る自分を夢想し、酔いしれ、それが出来ない自分だと分かるや遁走(とんそう/逃走のこと)し、激しい自己嫌悪が始まります。
 有島武郎のこれらの内的要因、心理への執拗なこだわりと自己陶酔という二つの要素は、比喩(ひゆ/たとえの意)的に、ある危険な精神の構造を想起させます。心の中で鏡に映る自分自身の姿をしつこく見つめている、四六時中凝視している構造です。その鏡に理想的な自分が映っていればまだしも━━━その場合は自己陶酔で済みますが、もしそうでなかったら、武郎はそこから目を背けようとはせず、執拗に鏡の中の己の姿を追求するのではないでしょうか。そして理想的でない自分を恥じ、落胆し、後悔するはずです。そこから生まれるものは自身を否定するものでしかないでしょう。
 勿論これは想像でしかありませんが、武郎のネガティブな性格の発露は、彼の精神の構造に起因しているのかもしれません。明け暮れなく自分自身の心をしつこく見つめ、そこに理想的でない、臆病な自分を、小心な自分を見出してそれを「再生産」させるのです。そう、「再生産」です。「卑怯者」がその好例です。自身の不甲斐なさをわざわざ小説の主題として書き表しているのですから。その「再生産」が及ぼすものは計り知れません。まして白樺派の一員として、武郎は武郎なりの理想的な人間を自ら体現したかったはずです。その理想的であろうとする強い心が、かえって自分をさらなる臆病者、小心者にしてしまうという「転倒」が彼の内部でくり返し起こっていたとしたらどうでしょうか。それはもう悲劇でしかありません。
 もしそうだとするならば、武郎の自死は、不倫と知りながら波多野秋子と関係を続け、相手の夫に金銭を請求され告訴するとまで脅された武郎の、自分自身のあまりにも無様(ぶざま)な姿を「再生産」させた結果なのかも知れません。 
 作家の廣津和郎(ひろつかずお)が「有島武郎の心中」という文章の中で次のように書いています。

 恋人の良人から金を寄越せと云われた時、氏は「自分は自分の恋人を金に換える事は出来ない」ときっぱりと云い放ったそうだ。そして「寧(むし)ろ警視庁に行って、姦通の罪を着よう」と云ったそうだ。━━━ここに、氏の面目躍如(めんもくやくじょ/世間の評価にふさわしい活躍をすること)たるものがある。氏はこんな風に真実だった。そして実にこの程度の段階のみの「真実」しか持合わせていなかった。それだから、結局死んだって無理はないと云うのである。※4

 この廣津の言う「真実」を「理想」に置き換えたら合点がいきます。広津は「この程度の」「真実」と述べていますが、武郎にとってみれば、最上の理想的自身の表白(ひょうはく/あらわし述べること)であり、それこそ自身の言葉に陶酔していたに違いありません。では、武郎は広津の考えるように、その「真実」のために、その「理想」を体現するためにそれに殉死したのでしょうか。
 それは誰にも分かりません。ただ、武郎は警視庁にも行かず、姦通の罪で監獄に行くこともなく心中したのです。それを「真実」の実行と見るか、理想の破綻(はたん)すなわち臆病な自分の「再生産」の末路と見るか、それに答えられる者はどこにもいないのです。

 少なくともこれだけは言えそうです、志賀直哉が立腹し、芥川が憂鬱になったのは、武郎の情死というスキャンダラスな側面よりも、武郎の、危うく、脆(もろ)い精神面についてではなかったかと。二人には武郎の心の有り様がよく分かっていたように思います。
 いずれにしても、「小さき者へ」が武郎畢生(ひっせい/一生の意)の名作であることに変わりはありません。亡き安子夫人が書かせたとも言えるこの作品によって、有島武郎が文壇にその地位を確かなものにしたのは間違いありません。安子夫人の武郎への最後の願いは、彼女自身の死によって達成したのです。安子夫人にとってこれ以上幸せなことはなかったでしょう。
 有島武郎は今も安子夫人と共に眠っています。
 ━━━決して秋子ではないのです。※5

※引用は次の通りです。
※1筑摩書房「現代日本文學大系35 有島武郎集」から。
※2筑摩書房「現代日本文學大系35 有島武郎集」から付録「有島武郎      論」(本多秋五)より。
※新潮社「新潮日本文学9 有島武郎集」から解説(進藤純孝)より。
※4筑摩書房「現代日本文學大系35 有島武郎集」から付録「有島武郎の心中」(廣津和郎)より

※5追記:波多野秋子に関して、当時は有名作家を巻き込んだ魔女のごとく糾弾(きゅうだん/罪を問いただしてあばくこと)されたようです。しかし、武郎への愛情は真実であったと思います。この事件で最も哀れなのは彼女であり、武郎の精神面を論考したこの文章の意図は決して彼女を卑下するものではありません。

また、適宜括弧( )を付して読みと意味を添えました。






 

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