ニセ台湾人、カオサン通りに現る(3)

 Yは着実に地歩を固めていった。もはや一介の観光客ではなく、半裸でまちを徘徊して構わぬ不良外国人のひとりになった。もう何年もバンコクに暮らしているような顔をするのである。そういう人間の常として、ガイドブック片手の観光客を侮り、そしてほとんど憎しみに近い感情を持つようになっていく。Yに言わせれば、本当の許すまじき堕落とは彼ら観光客の「見られること」への無関心である、と書いて寄越した。

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 やつらは、自分が旅行者だと見られて恥ずかしくはないのか。スーツケースのゴロゴロにしろ、汗のしみた必要以上にでかいバックパックにしろ、やつらの「暇人然」とした格好は住民との線を引いていることがわからないのか。まるでここは動物園かなにかで住民も観光客も両方ともパンダなんだ。理解を突き放し、互いに無遠慮に眺め回す。より、たちが悪いのはもちろん、観光の連中だ。本に示されたとおり、ガイドの言われるままにうろついて、写真をなかば義務のように撮って、滅菌されたレストランやフードコートで味気ないメシを食う。それでわかった気になってるんだなにもかもを。土地と文化、そして人間に対する冒涜だよ。
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 土地と文化と人間をリスペクトするYは現地のガールフレンドを得た。道端でYがS駅までの道のりを尋ねたのがきっかけらしい。Yの日常が変わる。ホテルで働く彼女の仕事が終わる午後6時きっかりに、Yはセブンイレブンの前の公衆電話から電話をかける。待ち合わせの場所を決めるだけだが、そこから90年代トレンディの世界が展開される。彼女と行くところは、ふつう、タイ人しか行かないようなところだ。ステージでショーが展開されるディスコ、こういうところで軽いメシをとって、本式に酒を呑みに行く。移動はバス。非常に細かい単位のバーツを請求されるが、安い。もちろん、ありとあらゆるバスに言えることだが、複雑な路線を市中に描いており、現地住民とはいえ、つかいこなすのには熟練が求められる。移動手段の変化もYの矜持をくすぐった。観光客はトゥクトゥクやタクシーでぼったくられる。多少、沈没に慣れた連中は粋がってタクシーの助手席に陣取って、メーターを自分で押したり、バイクタクシーで肝試しをする。しかし、リアルな生活はやはり電車とバスだろう、と。ホコリで汚れた窓を押し上げるとき、冷房でキンと冷えた車内にバンコクのぬるい夜気を肌に感じるとき、喧騒が直接耳に飛び込んでくるとき、おれたちの住んでいるまちなんて、はるかに遠く感じられる。そういうときにYは身体の、芯の部分が震えるんだ、という。異国の地で何者でもないまま受け入れられていること。アイデンティティの積極的放棄。そう、やつはもはや不良外国人の一員であることも嫌になりはじめていた。Yのいうところの「透明になる」準備をはじめたのである。

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