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歴史のなかの小さな場所/ジョナス・メカス『どこにもないところからの手紙』 (書肆山田) 書評

 古谷利裕

 メカスの映画『リトアニアへの旅の追憶』に、ペーター・クーベルカというオーストリアの映画作家が登場する。25年ぶりの故郷への訪問の後、メカスはウィーンに立ち寄り、友人であるペーターと会う。彼について短くコメントするメカスのナレーションは、彼の静けさや穏やかさを讃え、彼がいつも自分らしくいられるのは、彼が「自分がなじんできたものに取り囲まれて」いられるからで、そんな彼がとてもうらやましいと語る。
 二十歳そこそこで故郷を追われ、ナチスの収容所、難民キャンプ、ブルックリンの移民街などを転々とした後、ニューヨークで極めて「攻撃的」な批評家でありインデペンデント映画の作家となったメカスにとって、「自分がなじん」だウィーンという分厚い文化的環境で「穏やか」でいることの出来るこの友人は、本当にうらやましい存在であるのだろう。

 メカスにとって「自分がなじんできたもの」としての故郷は失われている。『リトアニアへの旅の追憶』のセメニシュケイがあんなにも美しいのは、メカスがそこに(かつての)「自分がなじんで」いたものをしか見ないからだろう。
 今「自分がなじんできたものに取り囲まれて」いられる者にとっては、それは自分の一部であるから、それを見ることは出来ないしその必要もない。しかしそれと切り離されているメカスにとって、それを見ること、それを映画作品として捉えることは切実な必然性をもつ。それは現実のセメニシュケイそのものとは異なるが、セメニシュケイを見、触れ、匂いを嗅ぐことによってしか現れない、その向こう側にある何ものかなのだろう。

『どこにもないところからの手紙』で、リトアニアを讃え、その政治に言及しもするメカスは、しかし決してリトアニアに住む人ではない。「農民新聞」に書き、「私は農民の息子だ」と書くメカスは、実際には農民ではなく、世界中を旅し、ニューヨークに忙しい「仕事」をもつ都市の人である。
 都市とは「自分がなじん」だ領域から切り離された者の住む場所であろう。この本は、根から切り離され都市の人となったメカスから、故郷へ向けて書かれた手紙であるが、しかしその故郷とは、必ずしも現実のリトアニアとぴったりとは一致しない。

 『どこにもないところからの手紙』は、『リトアニアへの旅の追憶』同様、ノスタルジックな色調に染められている。このノスタルジーはしかし、それほど単純なものではない。リトアニアの料理や酒を讃え、リトアニアの雄大ではない「小さな」風景を讃え、リトアニアの詩人や芸術家を讃え、農民を讃え、大地との繋がりを強調するメカスの筆致は、素朴にみえて時にあからさまに政治的(パフォーマティブ)である。
 メカスが政治的であらざるを得ないのは、リトアニアという「自分がなじん」だ領域がロシアやドイツといった大国の都合に翻弄されざるをえない不安定な「小さな国」であること、そして彼自身がまさに、大国の都合によってその「小さな国=領域」から切り離されてしまったこと、しかしそのことによって彼は(リトアニア出身者としては数少ない)国際的な名声を持つ映画作家になったこと、等の、複雑に絡み合う事情があるだろう。
 初期のメカスの批評が過度に攻撃的なものであったのも、(共にマイナーな存在である)移民としての自分自身やインデペンデント映画が「存在出来る」ための場所をなんとか開く必要があったからだろう。メカスは常にマイナーであり、か弱く小さなもの、ささやかなものを維持しつづけようとすることによって、政治的であること(時に攻撃的であること)が強いられている。その行動は、「自分がなじんできたもの」に囲まれた環境に安定的にいられる者とは異ならざるをえない。
 この本の記述には、その複雑な事情が折り込まれているように読める。だからこの本の一見素朴な記述を歴史的文脈抜きに単純に受け取ることは避けなければならないようにもみえる。しかしここから聴こえてくるノスタルジーの音調は、根本的には、そのような政治的な都合によって要請されるものとは、次元を異にするようにも思われる。

 この本からは確かに、メカスの政治的な立ち位置の複雑さ、微妙さが読み取れはする。しかし、読むべきものは決してそのような事柄ではない。ここから聴こえてくるのは、メカスが(自身で書いているように)あくまで素朴な農民の息子であり、農耕詩人であるということであり、その言葉から響く、素朴で、土やミルクの匂いのする、幸福であると同時に悲痛に満ちた音調だろう。
 メカスが守り維持しようとする(というより、そこに属したいと希求する)、小さくささやかな領域としてのリトアニアは、彼には目を閉じればありありと浮かんでくるし、匂いや手触りまでも生々しく喚起されるが、実際には既に壊れてしまっていて、断片的な痕跡からかすかに感じ取ることしか出来ないものだ。メカスの記すイメージのうつくしさや幸福さは、彼がそこから切断されていることの生々しい痛さによってこそ強く縁取られる。
 例えばメカスはある時、リトアニアの若い詩人たちの詩を読んで、私の歌は古くさい、私はもう詩を書くまい、と思う。《あなた達はすでに、どこかまったく別の場所にいる》《若い詩人たち、私はあなた達の言葉を羨み、自分が時の風に軋み揺れる枝にすぎないと感じながら、あなた達の詩を読んでいる......。》
 ここでは、現実(現在)のリトアニアと、メカスにとっての「自分がなじん」だものとしてのそれとが決して幸福には一致しないという認識が示されている。逆説的だが、メカスが「自分がなじん」だものとしての、小さくささやかな領域=リトアニアとの繋がりを、その農民的素朴さを、自らのうちに守り維持しつづけることが出来るのは、彼がアメリカという場所、ニューヨークという都市に住み、そこで仕事をもっていることと関係があるように思う。

 『リトアニアへの旅の追憶』が映画史に名を連ねる作品となり、メカスが映画作家として世界的な存在となり得たのは、マイナーな存在である彼にとっての「自分がなじんできた」小さくささやかなものたちの領域が(そこから切断された彼の歩みが)、二十世紀のメジャーな歴史と不幸にも交錯してしまったことによる。
 だがそれは決してメカスが望む事ではないはずだ。彼にとって重要なのは、歴史に名を刻むことでも、リトアニアの現在に介入することでもなく、小さくささやかな領域に属し、それと共に生きることだろうから。この本は、そのような小さくささやかなものへの希求こそが記されている。

初出 「新潮」2006年1月号


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