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ものごころと蜘蛛の巣/「いかれころ」(三国美千子)論

古谷利裕

 ものごころがつく、というのはどういうことだろうか。
 「心の理論」における「誤信念課題」と言われるものがある。Aさんが自分の持ち物を場所aに隠して立ち去る。それを隠れて見ていたBさんが、Aさんの持ち物を場所aから場所bに移動させてしまう。戻ってきたAさんが自分の持ち物を探す時、場所a、場所bのどちらを探すだろうかという問題。Aさんは、Bさんが持ち物を場所bに移動させたことを知らないから、場所aを探すだろうというのが正解だ。
 正解を得るためには、他者が、その人の限定された視点や知識をもとにして誤った推論や信念をもつことがある、ということを理解する必要がある。他者の推論過程を推論することができなければならない。つまり、「わたし」と「あなた」の心が直接的には繋がっていないということが理解できていなければならない。四、五歳になるとこの課題に正解できるようになるが、それ以前は、持ち物が場所bに移動されたことを「わたし」が知っているのだから、Aさんも知っていると考えて、場所bを探すと答えるという。
自他の分離を意識するようになる四、五歳におけるこの変化は「ものごころがつく」という出来事と深く関係しているのではないか。
 「いかれころ」は、昭和五八年(一九八三年)、バブル前夜ともいえる時期の、大阪府南東部の郊外で、戦前からつづく日本の「家」に関する因習が、崩壊する直前でぎりぎりに保たれていた時期のある一族(特に二人の姉妹)の姿や、そこに働いている様々な権力関係を、当時四歳だった女の子の視点から繊細に拾い上げるように描いている。
 四歳という年齢を、ちょうど「ものごころがつく」年頃だと考えると、彼女はこの小説の語りがはじまる直前まで、自他の区別が充分についてはいなかったと考えることもできる。つまり、彼女自身の心がそのまま「その土地の無意識(その土地のなかの人間関係が織りなす無意識)」と連続的に存在していた、と。
 そして「ものごころがつく」ということが、世界(土地・関係)から、それを背景として「わたし」が浮かび上がるということであるとするならば、「わたし(ものごころ)」というものそれ自体が、ひとつの(背景=土地・関係への)「違和感」として生まれることになるだろう。ものごころがつくことが、それまで一体化していた地=世界から、図=わたしが分離することだとすれば、この小説の語りの発生そのものが、地(土地)からの分離という出来事であると言える。
 たとえば、語り手の母の妹である志保子の結納の場面。《本所のおばちゃん》から、《奈々子ちゃんも、大きくなったらお嫁さんになりますんやなあ?》と問われた語り手(奈々子)は、《頭の中で反骨精神が持ち上が》り、《否定の言葉が白い霞のようになって喉の奥にたまる》が、《唇から言い返す言葉一つも出てこな》い。ここで語り手は、否定の言葉を出す代わりに脱糞してみせるのだが、重要なのは、女性は結婚するしかないという圧力に対する否定の感情が事前にあるのではなく、結納という場面における《本所のおばちゃん》の言葉への拒否感として、この場面ではじめて形あるものとして生まれているということだ。《女という言葉にも悪い影がついて回るのに私は気づきかけていた》。もっと前の場面では《なこたん、パパとけっこんしたいんやけどな、よーしやからな》などと無邪気に口にしていたのだが、まさに今、気づこうとしている何かとして私の「ものごころ」が生じている。その場面が描き出される。語り手のものごころは、私が知らぬうちにある権力関係のうちに織り込まれてあってしまうのだという自覚をともなう、それへの違和感としてたちあがる。
 しかしこの違和感は、地としてある土地や関係との連続性の上にのっているものであるとも言える。違和感や否定は自律して形をもつ感情や思考ではなく、その場面に依存している。奈々子は、周囲の者たちが期待するような大人にはなれないという予感を既にもっているが、《結婚だけが女の唯一の道と決められているなら、大きなむすめのまま家にいるのは不名誉だ》として自死する未来を妄想するほどに、彼女のものごころは土地の空気と自然に繋がった《とびきりの保守派》でもある。つまり彼女の「ものごころ」は、「土地の無意識」のなかから目覚めたもので、否定を媒介としつつもそれと通底する「土地の自意識」でもある。だからこそ彼女のものごころは、土地の姿を生々しく捉えることができる。
 この小説は、ある土地の関係やありようを一人の四歳の少女という特定の視点から切り取ったというより、「ある土地の自意識」として(多数あり得る視点の一つとして)「少女の視点」が立ち上がった、その視点の立ち上がり(視点の生成)そのものが刻まれていると言えるのではないか。いまにも崩壊しつつあるが、それでもなんとか保たれている、ある土地(持続的環境)があり、その土地のなかの人間関係がある。その、「崩壊しつつある土地の自意識」として、少女の「ものごころ」が生まれる。大人になった彼女は土地からの離脱を決意するのだが、そこまで育つ違和感が、そもそも元々は崩壊しつつある土地の産物であり、その「土地の崩壊」の表現として生じたものだとも言える。
(一九八三年に出版された中上健次『地の果て 至上の時』では、主人公の秋幸が三年の刑期を終えて和歌山県新宮市へ戻ってくると、自らの出自である路地と呼ばれる被差別部落が開発のために空き地となって消えている。また、一九八二年の柳町光男の映画『さらば愛しき大地』では、茨城県鹿嶋市を舞台に、農家であった一家が農業から切り離され、根を失って崩壊する様が描かれる。八十年代初頭は、地方の農村がドラスティックに変化する時期であった。)

 語り手は、主に二人の人物の傍らで、その影響の元に「ものごころ」を立ち上げると言えよう。つまり奈々子のものごころ(図)にとって、この二人との関係が環境(地)の非常に大きな割合を占めている。一人は母、久美子であり、もう一人は母の妹、叔母の志保子である。それは同時に、この小説では、二人の人物の形象が奈々子のものごころの生成を媒介とすることで描き出されているということをも意味する。
 叔母の志保子の像は、語り手の強い共感と同情とともに浮かび上がるが、母の久美子の像は、語り手の辛辣で強い否定の感情とともに浮かび上がってくる。しかしこの辛辣さは、一つは未来からの視点(これについては後述する)に起因しており、もう一つは、語り手の存在がより強く母に依存していることに起因すると考えられる。奈々子は、志保子への共感と憐憫、久美子への依存と拒否のなかで、そのどちらとも違う自分という位置を見いだし、次第に固めていくのだ。
 奈々子の結婚への拒否は、《久美子が結納なんか前近代的でまるで人身売買やんか、とどれだけ批判したところで、その晴れがましさは否定しがたかった》と書かれる、志保子の結納の晴れがましい場面における粗相として発現したのだった。その場の主役の志保子は、《いかにも間に合わせの安物》にみえる振り袖姿であるが、特にそれを気にしてはいない。一方、久美子は、自分の持っている《もといったある》(元手がかかっている?)振り袖---しかし食べこぼしの「しみ」がついている---を妹のために貸すことを渋り、そのくせ妹の振り袖のみすぼらしさを嘆き、自分は百貨店でこの日のために買った《サーモンピンクの新品のスーツ姿》で出席している。志保子はかつて《セイシンの発作》を起こしたことがあり、それ以来なのか、いつも、《ギンガムの布》で中身を隠し《無様にふくれあが》った《胡桃の木で編まれた黒い長方形のかご》を、《お宝》として、お守りのように肌身離さずに持っている。結納の日も、振り袖に不釣り合いなそのかごを左腕にさげていたが、婚約相手の《和良さん》は《いわくありげ》なそれについて触れない。
 本家から分家された大きな家を与えられたが故に、婿養子をとることを強いられ、家(本家)に縛り付けられている、身勝手で不機嫌な姉の久美子と、家族の者たちから腫れ物に触れるように扱われ、本家の離れでひっそりと生きている内向的で神経質な妹、志保子。この二人のコントラストと緊張関係を基調にして小説が成立しているようにもみえる。そして、半ば無自覚な(しかし全く無自覚というわけではない)ものごころがつきかけている語り手は、二人の間を浮遊するように行き来するうちに、この二人を越えてひろがり、二人を縛っている、強力な網の目を、逃れるすべもなくこの土地に張り巡らされた風土、権力関係、差別、感情の淀みなどによる拘束の一つ一つを、目が覚めるように体感していく。ものごころがつく前はプールのようにたゆたっていたであろう場所が、実はがんじがらめの蜘蛛の巣であることに、ものごころの発生とともに気づいていくのだ。

 とはいえ、「いかれころ」の登場人物を縛っている濃厚な蜘蛛の巣の網の目も、大きく引いて見てみれば、ごく小さな地方の限られた範囲で力をもつものに過ぎない。また、前述したように、この小説の舞台となる八十年代初頭は、バブルへと向かっていく経済発展の流れのなかで、日本の多くの地方で、揺るぎなく堅牢であるかのようにみえた旧来の習俗や権力関係が次々に崩壊していった時期でもある。「いかれころ」が示すのは、多くの地方でその土地の習俗が崩壊しつつある時代のなかで、ぎりぎりのところでそれを持ちこたえている土地の、その最後のさまであろう。
 それは風前の灯火であり、しかしそれでもなお、そのなかにいる人々を絶対的に拘束している。今にも消えようとしているという感触から、それが厭うべきものであると同時に、「書かれる」ことにより保存されるべき、ある愛着を生じさせもする、貴重な事柄でもあるように感じられる。彼女たちは、そのようにしか生きられなかった生を、土地とともにそのように生きたのだ、と。
 今にも崩れようとしているという感触は、ものごころとともに生起する語り手の視点とは別の、語りに混じり込むもう一つの視点によって生じている。それは語り手の未来からの視点である。未来の視点から見れば、書かれている土地の環境は(語られ、読まれている「現在」では)既に崩壊しており、語られる事柄は、崩壊しつつあるなかで起こったことだという点が強調される。出来事が進行している「今」においては、どうしようもなく揺るがしがたい堅さで存在しているようにみえる権力関係も、未来からの視点から顧みられることで、それが終わろうとしていたものであったことが、ほとんど直ちに意識される。
 ものごころとともに生起する視点が、否定や違和感であると同時に根の部分で土地の無意識と連続的であるのに対して、未来からの視点は、土地の根から切断され、既に自律したものとして構成されている。懐かしく振り返るというよりも、突き放し相対化するまなざしだと言える。二つの異質な視点の巧みな配合とモンタージュが、「いかれころ」という小説の特異な感触を生み出した一つの発明と言えるだろう。二つの視点の配合によって可能になったのは、懐古でも批判的検討でもない、否定も肯定もひっくるめてある時代のある土地の姿をホログラムのように現出させる「神話」の創造ではないか。小説はまさに、こういうことを書くための「器」としてあるのかもしれないと感じた。
(了)

初出 「新潮」2019年7月号


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