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極限で似るものたちがつくる場/大江健三郎「四万年前のタチアオイ」と「茱萸の木の教え・序」をめぐって (1)

古谷利裕

0. 前置き/使用法

 荒川修作とマドリン・ギンズによって一九六二年に制作が開始され、七〇年にヴェネチア・ビエンナーレで発表され、七一年にドイツで最初に出版された「意味のメカニズム」という、まさに「意味」の「メカニズム」を追及する特異な作品がある。全体はテーマごとに十六のチャプターに分けられ、それぞれのチャプターが複数枚のパネルで構成されている。

 「Reversibility」と名付けられた九つ目のチャプターを構成するパネルの一枚に、三〇日から始まって一日で終わるカレンダーが描き込まれている。月の最初の日が三〇日の水曜日で、最後の日が一日の木曜日となっている。これが単純に逆行するカレンダーとは言えないのは、数字は逆行しているが曜日は順行しているからだ。つまり、この奇妙なカレンダーの提示は、同時に四つのあり得るカレンダーの姿を表現していると言える。(1)我々が通常使用しているカレンダー、そして、(2)日付も曜日の逆行するカレンダー(たんに時間の逆行を意味する)、さらに、(3)「意味のメカニズム」に描き込まれている、数字は逆行し曜日が順行するカレンダー、そして、(4)数字は順行するが、日、土、金、木…と曜日が逆行するカレンダー。潜在する四つの異なるカレンダーとその相互の関係を、この一つのカレンダーが表現しているとも言える。

 一つの例(カレンダー)が提示されることで四つの異なる可能性を示しているこの同じパネルの下部には、次の四つの疑問文が書き込まれている。「WHAT HAVE YOU FORGOTTEN?」「WHAT HAS BEEN FORGOTTEN?」「WILL YOU WERE?」「WILL YOU REMEMBERED?」あなたは何を忘れたの?、何が忘れられたの?、「あなたは存在した(過去)」することになるの(未来)?、「あなたは思い出した(過去)」することになるの(未来)?

 最初の二つの文については、「あなたが忘れる」から、「何ものかが忘れられる」へと文の主軸(能動・受動)が移動(反転)し、次の二つでは、過去形と未来形とが混在し、いわば「雨はやがて、上がっていた」(「雨は既に、上がるだろう」)という文と同様に(あるいは、パネル上部に示されたカレンダーと同様に)、時間の順行と逆行とが一つの文に共存することとなる。そしてこの四つの文は、先の二つの「FORGET(消失)」が四つ目の「REMEMBER(再生)」へ反転してもいる。だが三つ目の文の動詞は「FORGET」でも「REMEMBER」でもなく「BE(存在する)」である。だからこの四つの文はその相互効果によって、「忘れられた何ものか」の「何ものか」の位置に「あなた」がくるかもしれない(何ものかによって「あなた」が忘れられ、存在しなかったことになる)、という事態の予感を浮かび上がらせる。あるいは逆に、未来において「思い出された」ことによって再生する何かものかこそが、「あなた」なのかもしれない(「あなた」は思い出した=能動なのか、それとも思い出された=受動なのか)。

 つまりここでは、それぞれの文が何を意味するのかということが重要であるというより、四つの文たちが互いに、(中学の英語の練習問題のようにして)軸、意味、能動/受動、未来/過去などの反転という変換を通じて関係し合い、その関係が錯綜し響き合うことによって、一つの文では決してあらわすことのできない、四つの文の配置が創り出す別の時空が出現するということが重要なのだ。だから四つの文は、一、二、三、四と順番に並んでいるのではなく、一・一・一・一という風に並立的になっている。ここで浮上するのは主に、忘れたり思い出したりする主体であり、前へ向かったり後ろを向いたりする起点であるはずの「あなた」そのものが消失/出現する気配であり、その明滅が生じる場であろう。

 「意味のメカニズム」の「Reversibility」というチャプターは、その後、アラカワ+ギンズにおいて最も重要な概念の一つへと発展してゆく「反転(反転性)」という主題がはっきりと表れたおそらく一番初期のものである。つまり、反転という概念はその最初期から、世界を正/反、裏/表、陰/陽、順行/逆行のような単純な二項関係として解釈するようなことではなく、ある項から別の項への変換によって無数の発展(分離)を創り出すための技法であり、また逆に、複数の項たちの間に関係(結びつき)を見つけ出すための手掛かりでもあるものなのだ。既にあるものを分離、分解し、そして、新たな関係、結びつきを見つけ出し、生み出すためにこそ、「Reversibility」という概念が生み出される。

 反転という変換は必然的に分身を生み出すが、そこで生み出された分身は決して、単純な意味で私に似ているのではないし、「私の影」でもない。それは、私の代わりに私(の一部)を表象するような対象(モノ)ではないし、象徴的な一つの位置を私と奪い合う鏡像的な(弁証法的な)他者でもない。分身は、解きほぐすとともに結びつける変換行為(動き)のなかから零れ落ちる影なのだ。荒川修作は自作の「遍在する場・奈義の龍安寺・建築する身体」について、「あなたが動くことによって、あなたがつくり上げる生命が、あなたの外側にできる」場所であると言っている。これは、あなたが「動くこと」によって、あなたから「あなたがつくり上げる生命」が分離することでもあり、同時に、「あなた」と、あなたの外のものである「ある生命」が、あなたの「動き」を媒介にして関係する(あなたがつくり上げたこととなる)ということでもある(そしてその時、あなたはもはや「あなた」ではないかもしれない)。

 本稿は、ささやかな大江健三郎論として構想されている。ここでは、この作家としては主要な作品とは言えないかもしれない二つの短編小説を取り上げ、その二つをディプティックであるかのように読むことから見えてくるものを記述、分析したいと考えている。だがそれは、そこからこの作家の作品のあり様の重要な一部分を浮かび上がらせることが目指されてのことだ。二つの短編小説はどちらもタカチャンと呼ばれる女性を中心に語られる小説である。一つは、一九八六年に発表され、『河馬に噛まれる』に収録された「四万年前のタチアオイ」であり、もう一つは、一九九二年に発表され、『僕が本当に若かった頃』に収録された「茱萸の木の教え・序」である。タカチャンは、作家本人を思わせる語り手(僕・Kちゃん)の「もう一人の妹」として登場する。

 ここまで、アラカワ+ギンズの仕事について言及してきたのは、彼らの仕事が、このささやかな大江論の導きの糸となってくれると思われるからだ。次に引用するのは、アラカワ+ギンズの代表作といえる「養老天命反転地」という装置=公園の第一主題といえるような位置を占める「極限で似るものの家」という装置の「使用法」として書かれたものだ。以下の言葉を頭の隅に置いて、これ以降を読み進まれたいと希望する。

○何度か家を出たり入ったりし、その都度違った入口を通ること。

○中に入ってバランスを失うような気がしたら、自分の名前を叫んでみること。他人の名前でもよい。

○自分と家とのはっきりした類似を見つけるようにすること。もしできなければ、この家が自分の双子だと思って歩くこと。

○今この家に住んでいるつもりで、または隣に住んでいるようなつもりで動き回ること。

○思わぬことが起こったら、そこで立ち止まり、20秒ほどかけて(もっと考え尽くすために)よりよい姿勢をとること。

○どんな角度から眺める時も、複数の地平線を使って見るようにすること。

○一組の家具は、他の家具との比較の対象として使うこと。

○遠く離れている家同士に、同じ要素をみつけること。最初は明らかな相似を見つけ出し、だんだん異なる相似も見つけ出すようにすること。


1.「タカチャン」とはどんな人物か(説明)

 タカチャンが登場する最初の短編小説「四万年前のタチアオイ」は、連合赤軍を主題とする連作小説『河馬に噛まれる』の一篇として八五年に発表された。小説は、訪問団の一人として中国を訪れた作家本人を思わせる語り手が、そこでタカチャンについて《ふたつ夢を見た》と報告することではじまる。ここでタカチャンは、《僕の家族には、戸籍簿に記載されている妹のほかに、確かにもうひとりの妹としてあつかわれている人物がふくまれていた》と説明される。彼女は、《家族でもっとも光輝をおびた一員として、誰もが大切にし、誇りに》していたし、《はじめて僕の家にあらわれた幼女の時以来、ずっと僕にとって人生の教師の役割だった》とされる。

 語り手とタカチャンは《父親が亡くなる年まで三年ほど》ひとつ家に暮らし、語り手は大学に入って上京した後も、同じ年に上京した《もうひとりの妹のアパートへ、しばしば転り込んだ》(タカチャンは語り手より一つ年下だが語り手は一浪している)。語り手とタカチャンは高校のはじめの頃から互いを《性的な遊び》の対象とする関係をもっており、上京以降も、語り手が神経を衰弱させて《憂い顔》でアパートに《緊急避難》しに行くと、タカチャンは《すぐさま性的なふざけあいを誘って》きたとされる。また語り手は、経済的に豊かな《伯父》の保護下にあったタカチャンからその点でも助けられていた。

 大学卒業後のタカチャンは、《高等学校の臨時の教師を短期間ずつ》やることで、《大学以来の男友達》との同棲生活を経済的に一人で支えていたが、伯父の紹介に従って、《松山の県庁に出向している自治省の役人》と最初の結婚をすることになる。しかしこの結婚は上手くゆかず、離婚後に《学生時代の同棲相手》と二度目の結婚をし、京都の私立大学の人類学の研究チームに所属し《イランのクルディスタン地方の洞窟で発掘された、ネアンデルタール人》の研究をすることになる。だがここで《造反する学生ら》による騒乱の折に《押し倒されて頭部に大怪我》をしてしまい、その後遺症で精神に障害をもつようになり、研究をつづけることを断念し、二度目の結婚も解消して、故郷の伯父の家の倉を改造した病室に(語り手の実の「妹」を唯一の対話の相手として)孤独に引き籠ることになってしまう。そもそもこの小説の冒頭の語り手の夢は、その前夜に、たまたま同じ宿泊所に居合わせることとなった、以前タカチャンに家庭教師をしてもらっていたという日本人観光客の一人から、なぜ《不幸な亡くなり方をされた妹さんのこと》を小説に書かないのかと問われたことがきっかけの一つとなっている。タカチャンは、妹でもないし亡くなってもいないのだが、しかし、《不幸な亡くなり方同様に、不幸な生き延び方もある》のだと。四万年前のネアンデルタール人の死体の傍らに手向けられるかのように置かれていたタチアオイのイメージとともに幕を閉じる本作は、まだ亡くなってはいないタカチャンへの追悼という色彩を濃く帯びている。

 タカチャンについてのもう一つの短編小説「茱萸の木の教え・序」は、「四万年前…」の六年後、九二年に発表されている。ここでは、タカチャンが亡くなって千日経ったという旨の伯父からの手紙が《昨年の暮》に届いたという地点から書き出され、小説全体がそのまま、タカチャンの遺稿集である「茱萸の木の教え」という小冊子の序文であるという体裁をとっている(しかし本当に序文であるなら《…この文章は、その本の序としてのものである》などと自己言及される必要はないはずだが)。この小説に登場するタカチャンと「四万年前…」のタカチャンとが同一人物であることは疑いなく、それは生い立ちやエピソードに連続性があるというだけでなく、二作にタカチャンの言葉がまったく正確に反復されてもいる部分があることからも明らかだ。だがそこには無視出来ない相違もみられる。例えば、前作ではタカチャンは語り手より一つ年下だったのが、本作では同年齢とされ、つまり「もうひとりの妹」ではなくなってしまっている(その代わりに本作では実の「妹」が大きな役割を担う)。

 非常に錯綜した書き方がなされているとはいえ、「四万年前…」は基本的に、永く縁遠くなってしまっていた一人の女性を、夢に導かれることによって語り手が回想するという構成に(ほぼ)なっているが、「茱萸の木…」では、伯父や妹の手紙、妹との電話での会話、タカチャン自身に手によるテキスト等、様々な他者の証言が引用され(る、という体で)交錯し、全体としても架空の本の序文という体裁をとるなど、より錯綜した構成になっている。つまり、「四万年前…」における語り手の回想に、伯父や妹の証言やタカチャン本人のテキストが付き合わされることによって、別の広がり、別の位相が付け加えられる。いわば「批評的に書き換えられている」と。だが本稿では、1があったところに、後から2が重ねられた(上書きされ、修正された)というのではなく、「四万年前…」と「茱萸の木…」とを並列させて、この二作の関係、二作の響き合い、二作の間にある水平的な関係から見えてくることを探りたい。


2.「作品」と「その外」との関係について

 だが、二作の関係をみてゆく前に、この作家の小説に特有の、作品とその外との関係についてざっとみておきたい。他の作品同様、ここで取り上げる二作においても、小説は作家本人を思わせる語り手によって語られ、作家の実際の血縁関係を反映していると思われる登場人物があらわれる。おそらく現実に特定の根拠をもたない登場人物であろうタカチャンは、作家の実際の親族を反映する関係のなかに、血縁はないが何かしらの事情によって組み込まれた存在として登場する。その出自は不明であり、「茱萸の木…」で、茱萸の木の下に棄てられていた棄て子だと語られもするが、語り手の母は、伯父が《そう言い張って》いるだけだと言い、真偽は明らかではない。

 タカチャンをめぐる二つの小説において非常に重要な役割を担うのが、女優のY・Sさんという存在である。《Y・Sさんは若いころからタカチャンのつねにかわらぬ情熱の対象であった》。タカチャンが生み出された小説である「四万年前…」の冒頭のタカチャンについての二つの夢を語り手が見ているその時、隣室では訪問団の一員であったY・Sさんが眠っており、語り手は夢の翌朝のベッドのなかで隣室から聴こえるY・Sさんの咳の音を《懐かしいもののように聴いて》いる。つまり遠い故郷の村で病気で臥せっているはずのタカチャンのイメージが、隣室のY・Sさんの咳の音と重なっている。タカチャンとY・Sさんのイメージは重ねられると同時に裏表であり、Y・Sさんは「タカチャンがこうであり得たかもしれなかった存在」として作中にいる。

 ところでこのY・Sさんは吉永小百合を想起させる。「四万年前…」に書き込まれるY・Sさんの歌う歌の詞《いじけてないで、背筋を伸ばして、北風のなかに、春までいよう》は、正確ではないが吉永小百合・和田弘とマヒナスターズの「寒い朝」(の三番)に対応している。だとすれば語り手がタカチャンに呼び出されて日劇に映画と実演を観に行くという、両作に共通する重要な場面で二人の観た映画は六二年公開の『赤い蕾と白い花』であるはずだ。また「茱萸の木…」でやや批判的に言及される、《とくに人気をあつめた役柄》が『夢千代日記』の夢千代であることは、放送時期と作中の時間を考えても間違いない。吾良や篁など、実在する(した)人物を想起させる登場人物は珍しくないが、彼らは有名であるとはいえ、語り手と直接関係のある人物であり、一人の独立した人物として登場する。だがここでY・Sさんは、語り手とは直接関係があるわけではないいわゆる「有名人」であり、しかもタカチャンの影(あるいはタカチャンがY・Sさんの影)であるかのように互いの代補となっているという点で特異だ。次に引用するのは佐伯孝夫による「寒い朝」の三番の歌詞。

いじけてないで手に手をとって/望みに胸を元気に張って ああ/北風の中に呼ぼうよ春を

 語り手は、この歌詞を直接引用せず、自らの記憶を頼りに《いじけてないで、背筋を伸ばして…》と書きつける。だが語り手は、記憶にあるこの歌詞の一部が、タカチャンが《僕を批評し、かつ励ました常套》の言葉である《いじけている・いじけてないで》とぴったりと重なることから、タカチャンの存在によって捻じ曲げられた不正確な記憶ではないかという危惧をもっている。しかし作品の外に存在する「寒い朝」と突き合わせてみると、むしろ、危惧を抱いている部分が最も正確である(間違っているのは「(…)胸を(…)張って」が「背筋を伸ばして」なっている部分だ)。勿論、この危惧と間違いの位置の食い違いは作家による意図的な操作だろう。

 さらに、「茱萸の木…」では、タカチャンの《もっとも嫌がる生き方のモード》が《いじけている》で、その逆が《元気を出す》であると書かれる。つまり、タカチャンという人物を特徴づける基本的モード(性格)、《いじけてないで》《元気に》が二つとも「寒い朝」の詞に書き込まれている。それは、タカチャンのイメージがY・Sさんの歌詞の記憶に反映して記憶を捻じ曲げているのではなく、逆に、「寒い朝」のイメージこそがタカチャン(の性格に)に正確に反映されている、ということを意味するだろう。Y・Sさんは小説の構成上では不在のタカチャンの像を招き寄せ際立たせるための、タカチャンの反転像のような「役割」である。しかし、タカチャンという人物はそもそも「寒い朝」から(「寒い朝」を歌う吉永小百合から)生まれたのではないだろうか。歌詞が正確に引用されないのは、正確な歌詞こそがタカチャンの「出生の秘密」をはっきりさせてしまうからではないか。

 もし、タカチャンという存在が先にあり、そのイメージを際立たせるための反転像として特定の女優が「現実」から借りてこられるのならば、誰でも知っている国民的な女優は(ブレイクやフレイザー等と同様に)匂わされるのでなく実名で登場して(引用されて)もよいはずだし、(ブレイクの詩等が引用されるのと同様に)「寒い朝」の詞が直接引用されてもよいはずだろう。

 ここでは、作品の外にある吉永小百合の歌が作品内にタカチャンという双子を生み、そのタカチャンが自らの反転像として、作品内に吉永小百合の影であるY・Sさんを呼び入れる、ということが起きているのではないだろうか。作品の内外という境界を越えて吉永小百合とタカチャンとが響き合う時、吉永-タカチャンの関係の反映として、作品内にタカチャン-Y・Sさんという関係が生まれる。分身が関係を生み、そこで生まれた関係が、その関係自身の分身を作品内に投影するようにしてもう一人の人物を生み出す。関係は、そのようにして増殖していった、のではないか。

(更に言えば、タカチャン-Y・Sさんというペアが一体化することで、後の「サクラさん」や「ウナイコ」が生まれるのではないか。)

 しかし当然だが、虚構作品とその外部との関係を一義的な反映に還元することはできない。例えば仮に、語り手(Kちゃん)を作家本人の反映とし、Y・Sさんを吉永小百合の反映とすると、タカチャンと語り手が日劇にY・Sさんの映画と実演を観に行くのは語り手が芥川賞を受けた二年後とされるのだが(つまり六〇年となるはず)、『赤い蕾と白い花』が上映され、その主題歌「寒い朝」が発表されたのは六二年であるから、二年のズレが生じる。辻褄を合わせるためだけならば、受賞の二年後を四年後に書き換えても大した影響はない。しかしここに、吉永小百合-(タカチャン)-Y・Sさんという系列とは別の原理(作品とその外との関係)が作品内に働いているからこそ、このズレがそのまま残されているのだと思われる。

 タカチャンは、日劇の後語り手をガード下の呑み屋に誘い、結婚するつもりであることを報告する。結婚相手は《東大の法学部出身ということを死ぬまで忘れないタイプ》だと軽蔑をこめて語られ、結婚生活の困難は目に見えている。彼女は、無理な結婚をしてまで、語り手の前から消えようとしているかのようだ。そして、六〇年(芥川賞受賞の二年後)とは大江健三郎が結婚した年でもある。つまり現在まで持続する作家自身の結婚生活のネガとして、破綻することが目にみえているタカチャンの結婚が配置されるとは言えないだろうか。あるいはタカチャンは、作家が幼いころからずっと自らの内に育んできた性的幻想の作品内への転写でもあり、それは作品の外にいる作家が実在する女性と結婚するにあたって姿を消す必要がある、と。タカチャンは作家自身のネガ(あるいは双子)でもあり、作家の幻想的分身のネガでもあり、ここに、大江健三郎-(タカチャン)-Kちゃんという、先とはまた別の(作中と作外との)反響関係が生じてもいる(この関係は「茱萸の木…」で更に展開されるだろう)。ある虚構-作品と(とりあえず「現実」と呼び得る)その外とは、共鳴しながらも完全には重なり合わない。あるいは、虚構はその内に、複数の「その外」と同時に関係を含むことによって否応なく錯綜し、そこに破綻も生まれるが、その錯綜によってこそ、虚構-作品は、自身の独自のフォルムと強さをもつことになると言えるだろう。


3. 二つの小説に共有されるもの

 「茱萸の木…」という小説が「四万年前…」の上書き(批評)としてあるのではなく、二作があくまで同等に、水平的にあるということの一つの根拠として、両作において同等の重さをもつ共有された二つの場面(その場面におけるタカチャンの発言)があるという点が挙げられる。この二つの場面は両作において正確に反復されており(逆に言えば、この場面以外では両作の間にズレや齟齬が複数ある)、この二つの場面をどのように関係させる(関連づける)ことが出来るのかということこそが、両作を通じた課題としてあるようにさえ思われる。

 その一つは、語り手が芥川賞を受賞した二年後に、タカチャンに呼び出されて日劇に女優Y・Sさんの映画と実演を観に行き、タカチャンがY・Sさんの歌と演技における《希望》について意見を述べる場面。もう一つは、既に病に冒された時期のタカチャンが、上京して語り手の家に宿泊した時、「連合赤軍」の事件において、殺された女性と殺した女性指導者を《ともに救援する組織をつくりたい》というヴィジョン語る場面。この二つの場面は、二作を通じて同等の重さをもって重なり合い、両作の二つの中心を形作っており、二つの小説はこの二つの場面(におけるタカチャンの言葉)に対する異なる二つの返答のバージョンとしてあるのではないかとすら思われる。

 まず前者について。この場面で両作を通じて正確に反復されるタカチャンの発言を引用する。

ここには希望が歌われているのよ、Kちゃん。あなたの小説と、歴史観の水準でそこがちがう!
Kちゃんが小説家になるとはなあ、そんな積みたてをなしえぬ職業、将来を思うとつまんないでしょうが! 学者になる方向でがんばり続けていたならば、生活の分くらい私がみついでやったのになあ
そう、その言ひ出せるなり、という勢いが、あの子の台詞のしゃべり方にも、歌のうたい方にもあると思うわ。言ひ出せるなり、という力そのもので、あの子は自分の表現をして、つまりは希望をつたえてるのよ

 三つ目の引用の《言ひ出せるなり》とは「古今和歌集」の「仮名序」のはじめの部分からきている。その部分は「四万年前…」に語り手の暗唱として引用される。前節で述べたことを受けるとすれば、ここで言われる《言ひ出せるなり、という勢い》によって他ならぬタカチャンは生まれたのではないか、とも思われるのだが。

大和歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれにける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり

 ここでタカチャンは、彼女が信奉するマルクス・レーニン主義からくる素朴な芸術観に基づいて、小説家などという《積みたてをなしえぬ職業》を軽蔑し、ましてや《自殺を肯定する》かのようにも読める小説を書きもする語り手への批判として、《言ひ出せるなり、という勢い》によって《希望をつたえ》ようとするY・Sさんの歌を彼に見せつける。勿論、小説家である語り手は、このような素朴な意見を簡単に納得はしないであろう(『赤い蕾と白い花』の原作者である石坂洋二郎の小説を肯定的には捉えないだろう)。しかしそこにある《希望をつたえ》ようとする歌に、一定の説得力、押し込まれるような力を感じることも否定できないのではないか。そしてその力は、《いじけてないで》《元気に》振る舞う、幼少時代から学生時代までのタカチャンのイメージ、語り手がそれによって青年時代の鬱屈から救われつづけたイメージと重なるものなのだ。つまり語り手は、自分としては簡単には呑み込めない種類の素朴さ(と、それを源泉とする性的魅惑)によって、実は支えられてきたのだという負い目がある。

 もう一つ、両作で正確に反復される言葉がある。結婚するという彼女に、語り手が《タカチャンにはありとあらゆることをやってもらってきたなあ》と《それまでの彼女の配慮のすべてについての礼》を言った時の返事。しかしこの言葉は、そのようなイメージとしてあるタカチャンの最後の言葉であり、この言葉とともに輝かしい存在であるタカチャンは語り手の前から消える。

性的な事柄をいうのならば、ああしたことはなんでもないのよ。こちらでも好奇心がなかったなら、なにひとつしなかったんだから、おあいこよ。それじゃ、Kちゃん、いじけないで、今後ともしっかりね

 このような、《いじけない》前向きの《希望》を語るタカチャンは、一度目の結婚の失敗と、それにつづく頭部の大怪我による研究生活の断念によって決定的に失われてしまう。しかし、タカチャンはそれでも《希望》を失わない人物として描かれている。その希望が、(時間として)決して前向きのものではなくなるにしても。抗てんかん剤の副作用に苦しむ病床のタカチャンに、語り手が長男のことでお世話になっている《M先生》を紹介し、そのために上京し語り手宅に宿泊したタカチャンが、語り手とその妻を相手に語る件が、二つめの場面だ。もし健康が許せば、「連合赤軍」で殺された女性たちと殺した女性指導者をともに救援する組織をつくりたいと言うタカチャンに、殺されてしまった人のことをどう救援するのかと問う語り手の妻。それに、タカチャンは次のように答える。

殺された人たちにもね、彼女らのめざした革命運動が、彼女ら自身死ぬほかないところに押し出した局面までふくめて、なにもかも正しかった、絶対に正しく、人間的に美しくさえあったと、証明することによってですよ。本当に原理的なマルクス・レーニン主義者ならば、それを証明することができるはずでしょう? 身体さえよければね、その介添えのために働きたいわ

 この言葉は先に引用した、小説家などでなく学者を目指すならば生活費をみついだのにという言葉と響き合い、彼女があくまで実行ではなく《介添え》する人であると自覚していることを示すだろう。だがそのようなことよりも、この言葉には、語り手だけでなく読者もまた、簡単には呑み込むことが難しいものが含まれているであろう。「四万年前…」が書かれたのがバブル期であり、「茱萸の木…」が書かれたのがソ連崩壊後であることを考えれば、この違和感はさらに大きなものとなる。このような言葉を語るタカチャンは、もはやY・Sさんと重ねられるイメージから大きく逸脱してしまっている。だがその大きな違和感とともに、この言葉にはある抗い難い強さが込められていることも否定できない。

 違和感の大きさと、しかしそこに強さを感じてしまうこと。この矛盾がこの言葉に力を与えている。このような言葉は、タカチャンが自分を、《希望》を歌うY・Sさんの傍らにではなく、殺されてしまった女性たちの傍らに置くことによってはじめて可能となるはずだ。ここでタカチャンは既に半ば死者の側にいる。革命運動はもはや目指されるものではなく、《彼女らのめざした》と過去形で語られるのだ。革命そのものが目指される(《希望》される)のではなく、革命運動が正しかったと《証明する》ことが目指されている。その証明はなによりも《革命》そのものによってなされるということかもしれないのだが、しかしそうだとしても、先と後の二つの場面における二人のタカチャンの《希望》の間には、ある決定的な、後戻りできない喪失が刻まれてしまっていることに変わりはない。おそらくその喪失のリアリティこそが、簡単には呑み込めないこの言葉に力を与えている。

 それはともかく、このような形でなされる「殺された女性たち」に対する救援は、未来に成し遂げられるはずの「証明」が、過去に向かって遡行的に作用することなしにはあり得ない。失意のうちに既に死んでしまった人にも、その正しさ、美しさが事後的に証明されれば、それは過去に遡って作用し、死の意味を変えるだけでなく、彼女たちの生そのものをも変える、と。そう考えなければ、たんに死者の名誉回復でしかなく救援とはならない。たんに、未来において過去への解釈が書き換えられるだけではなく、未来における変化が過去そのものへと響き、過去そのものを変える。時間が一→二→三→四と進むだけではなく、四の時点の出来事が一←二←三←四と逆に伝わってゆく、この両方の流れがなければならない。タカチャンがここで語っていることは、たんにマルクス・レーニン主義の正しさということだけではなく、このようなこと(時間の双方向性)についてなのだ。

 「四万年前…」と「茱萸の木…」に共有されるタカチャンの言葉は、それを「書いている」語り手に対し拒絶も納得も無視も出来ない異物として、であるからこそ、様々な場面での語り手自身のあり様を「試す」かのような言葉として作用している。だが実は、このタカチャンの言葉は、必ずしも語り手の態度と相容れないというものではない。革命やマルクス・レーニン主義に対する態度は異なっているとはいえ、ある決定的な喪失、断絶、があったとして、喪失以降のこちら側の行為が、その喪失以前の向こう側までも届き得る《救援》となることができるのか、という主題は、語り手とタカチャンの間で共有されている。なにより、語り手がタカチャンについて語る(書く)ということそのものが、タカチャンの不幸な人生の《救援》となること、つまりタカチャンの生そのものを事後的に変化させることを目指してなされているのではないか。

(2)へつづく 

初出 「早稲田文学」2011年4号

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