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極限で似るものたちがつくる場/大江健三郎「四万年前のタチアオイ」と「茱萸の木の教え・序」をめぐって (2)

古谷利裕


4. 二つの小説の間の相違と、反転的関係性について

 前節に示したように、二つの作品において正確に共有されている部分がある一方、この二作間には不思議なすれ違いが複数生じている。例えば、「四万年前…」においてタカチャンは語り手より一つ年下であったのに、「茱萸の木…」では同じ年齢だと書き込まれている。あるいは、語り手とタカチャンの性的な遊戯に関して、前者ではタカチャンの《不感症の癖》を直す実践として上京後に再開されたと書かれているが、後者で若い頃の語り手は逆に《タカチャンの病的な好色さ》を感じてさえいる。また、タカチャンが京都の大学で研究者をしていた時期に家庭教師をしていた生徒たちについて、前者で語り手は《一時期の彼女の仲間》という言い方で特定のセクトとのつながりを(胡散臭さと共に)匂わせているが、後者ではそのような匂いはまったくなく、知的で自立した女性として好意的に描かれている。四万年前のネアンデルタール人の遺骸に傍らに発見されたタチアオイについても、前者では死者を送る花というイメージなのだが、後者ではその植物はタチアオイに限定されず、死者を送るのではなく病者をいやす薬草全般というニュアンスが強くなる。前者でタカチャンが逼塞するのは伯父の家の倉であるが、後者では離れである。前者ではほぼ全面的に賞賛されていたY・Sさんだが、後者ではやや批判的な書かれかたもされる、等々。

 最初の相違については、「四万年前…」においてタカチャンはもう一人の妹であり、語り手を批判しつつも励ます存在であったが、「茱萸の木…」ではそのような実際家の役割は血縁関係のある方の実の妹に引き継がれ、タカチャンはむしろ小説家である語り手に近づき、「もう一人の私」というニュアンスになっていることと関係があるだろう(「茱萸の木…」ではタカチャンは何より「書く人」であり、まるで大江健三郎のように、画板に紙をクリップでとめてさえいる)。「茱萸の木…」で、語り手と実の妹の間に生じるタカチャンの書き残した茱萸の木のエピソードへの解釈の相違は、そのまま、「四万年前…」におけるKちゃんの小説についての語り手とタカチャンとの評価の違いに対応するだろう(だが同時に、タカチャンは、てんかんと抗てんかん剤と医師と歯磨き法を語り手の長男と共有することで、幾分かは長男の像と重なり合いもし、このように、似ているものたちは収斂することなく、さらに分岐し、連鎖してゆく…)。

 その他の相違についても意図的に逆向きのベクトル(反転)として仕掛けられていることが明白であるように思われる。「四万年前…」と「茱萸の木…」の細部は、正確に共有される部分を軸にして、いわば「雨はやがて、上がっていた」と「雨は既に、上がるだろう」との関係のように裏返しになっている。しかしそれは、単純に対立するのではないし、互いに批評し合う関係でもない。それぞれの細部がもう一つ別の細部へと意味を送り返し合い、意味が行き来するそのやり取りや力の錯綜のなかに、細かな衝突や振動、ズレ、反響を響かせるという関係であろう。つまり、「雨はやがて、上がっていた」と「雨は既に、上がるだろう」が対立関係にはないのと同様に、それらはマクロな対立を生むのではなく、ミクロな振幅を生むのだ。ちょうど、「茱萸の木…」に書きつけられる《いくつもの株が集まっている》茱萸の木の根方にはりめぐらされた空間のように。

 では、何故そのような複雑な錯綜体が形作られなければならないのか。おそらくそのことと、前節で述べた時間の遡行的波及と関係がある。時間の順行だけでなく、逆行という流れもあり得る世界。未来における正しさの証明が、過去に生きた者たちの生そのものを変質させ得る世界。そのためには、一→二→三→四と同時に、一←二←三←四が成り立つというだけでなく、例えば、一←二←三→四や、二←四→三→一等々の、あり得べき様々な組み合わせの可能性もまた、成り立つ必要がある。おそらくそれが、未来のある地点で証明される絶対的な正しさ(あるいは革命)によってだけ、殺された女性たちを救援できるのだと考えるタカチャンへの、語り手からの返答なのだ。四という時点で起こる絶対的な正しさの証明だけが、一の時点にまで遡行するというのであれば、もしその証明がなされなければ、あるいは「それは誤りであった」証明されてしまえば、永遠に「殺されてしまった女性たち」は救援されないことになってしまう。つまり、層構造において、一は四の下位となり、四は一の上位(メタ)となってしまう。

 そうではなく、証明には至らない、二や三の時点の出来事も、もしかしたら証明の失敗として訪れるかもしれない四の時点も、はるかな過去のマイナス四万の時点の出来事さえもが、互いに反映し関係しあって、様々な組み合わせ、様々な図像を描き、描き直しながら、それらすべてが一の時点へと波及するとすれば、それらがある時に描き出すある図像によって、一の時点での生が救援されることがあるのではないか。そして、一の時点での女性たちの死(あるいはタカチャンの怪我)もまた、二や三や四やマイナス四万たちとともに、作り出され作り直される図像や関係を構成する項の一つとなり、他の何かを肯定する力の一部となり得るかもしれない。その時に、一や二や三たちを互いに結び付け関係づける媒介は、ある上位の原理が下位の事象を制御するといった階層構造でも、A+B=CであればC-B=Aであるという形のソリッドなロジックでもなく、「雨はやがて、上がっていた」と「雨は既に、上がるだろう」が互いの間に水平的に生じさせるような反転的な関係性(共鳴)であるはずなのだ。様々な項を、手袋をひっくり返すように、あるいは、似ていないものの間に類似を発見(創造)するように、共鳴させ、関係づける、そのような反転的な関係性こそが必要なのだと。

 「四万年前…」にも「茱萸の木…」にも、《性格》という言葉が多く使われるし、その頻出について自己言及もされる。それがタカチャンの性格であり、それが妹の性格であり、それが伯父さんの跡つぎの嫁の性格である、という風に。性格とは、それがAという人物の時間経過による変化、A`→A``→A```を経ても持続されるものであるが、それはA`とA``との関係(連続性)を根拠(ロジックや同一性)によって正当化するものではなく、類似の発見(創造)によってそこに連続性が見出されるという時にいわれる言葉ではないだろうか。

 実際、大江健三郎多くの小説に共通する「性格」である、時に場面という概念を解体してしまうかのような錯綜した記述は、小説の進行と出来事の時間の進行という二重の進行を分離させるだけでなく(そのような分離は「語り」一般にみられるだろう)、出来事の進行とも小説の進行とも違う、潜在的な第三の進行というものを読者の頭のなかに植えつけてゆくように思われる。未だ発見されていない別の関係性、別の図像が発見されるかもしれないという徴候を示すようにして。未だ発見されていない関係を発見(創造)することを読者に対して促し、誘いかけているかのような、そのような複雑さとして、複数の進行の錯綜として、大江健三郎の「文体」は立ち上がってくる。錯綜の密度は、未だ発見されていない潜在的な関係を、発見へと押し出すためのポテンシャルとなる。共通の軸(タカチャンの言葉)から、二つの異なる関係性(小説)が生み出されるのと同様に、一つの小説から、未だ見つけられていない潜在的な別の関係を発見するために、再度、再々度、読むことが誘われる。

 その文体は端的に時間を解体するという傾向をもつ。しかしそれは、時間の無化でも否定でもない。一→二→三→四という進行においては、四の時点で一の間違いが証明されてしまうと、一の間違いが確定してしまうし、あるいは、二と三の間にある事件-断絶によって何かが決定的に失われてしまえば、三から二への遡行が不可能になってしまう。時間の解体はそのような強い力をもつ時間の進行に対する抵抗であり、別のあり様の探求としてあるように思われる。いわばそれは、無重力ではなく、重力のなかで行われる、それに抗する反重力的運動性ともいえるだろう。


5. 極限で似るものたち

 最後に、二つの小説のクライマックスの、非常に美しい対照性についてみることで、このささやかな論考を閉じようと思う。

 「四万年前…」において、タカチャンのイメージは女優のY・Sさんを通じて呼び込まれるが、それを呼び出すのは、曾祖父も祖父も父も五十前に亡くなったという語り手の、五十歳を前にした不安である。五十歳を目前とした語り手の不安が、かつて《人生の教師の役割だった》タカチャンのイメージを求める。かつてのタカチャンは、Y・Sさんについてタカチャンが語るその言葉を体現するような《言ひ出せるなり、という勢い》をもつ人物であった。そもそもタカチャンの出自がY・Sさんのモデルとなった人物の歌う「歌の力」であったとすれば、それも当然のことだが。しかしならば何故、Y・Sさんのようでもあり得たはずのタカチャンが、《不幸な亡くなり方をなさった》と勘違いされ、《不幸な生き延び方もあるのだ》と言われるような人物となってしまったのか。

 ここに、もう一つ作品の外との対照関係を見出すとすれば、それはまさに連作『河馬に噛まれる』の主題である連合赤軍事件であろう。つまりタカチャンは(作品の外との関係においては)一方で「寒い朝」に出自をもつが、もう一方で連合赤軍の殺された女性たちに出自をもつのだと考えられる(それは、三節で取り上げた二つの場面のそれぞれに対応する)。タカチャンの挫折は彼女たちの挫折の反映であり、《不幸な亡くなりかた》と《不幸な生き延び方》の間にいる晩年のタカチャンは彼女たちの幽霊でもある。そのようなタカチャンが、もう一方で「寒い朝」に出自をもつということは、作家が、殺された女性たちの中に「寒い朝」を歌う吉永小百合と同種の力をみていることを意味するだろう。「四万年前…」で、同じ根をもつにもかかわらず対称的な存在(反転像)としてタカチャンとY・Sさんが置かれるということは、Y・Sさんもまた殺された女性たちと対置され、響き合う関係のなかに置かれるということでもある。

 この小説はまず、語り手の不安がタカチャンのイメージを「頼る」という形で滑り出す。その頼りがいのあるイメージがY・Sさんと重なっている。しかし次第に小説は、その救いを求める対象であるタカチャンの不幸を語ることになり、タカチャンの救いこそを求めるように展開する。この小説を書く(語る)ことによってタカチャンを救援しようとする語り手の位置は、冒頭の夢のなかで語り手を励ますタカチャンの位置へ転移し、それによって二人は重なる。冒頭、タカチャンの夢から《存在の芯》を燃え上がらせるほどの昂揚とともに目覚めた語り手は、夢のなかのタカチャンの言葉をメモした後、《自分の躰を抱きしめ》《その自分が尾を口にくわえた円環蛇のかたちをとっている気持ちで》再び眠る。ここに意味ありげに書きつけられた《円環蛇》という言葉が、この小説だけでなく、六年後に書かれることになる「茱萸の木…」という小説を、そして、この二作の関係性をも表現しているように思われる。しかしこのウロボロスは一見円環を閉じるようにみえて、その始点と終点は重なりながらも上下にズレることで、いわば螺旋状に展開してゆくものなのだ。なぜなら、反転(類似)は共鳴ではあっても同一化ではないから。二人は互いの位置を反転的に入れ替えるが、それはたんに位置を交代し、それによって互いの鏡像性を確認することに留まるものではなく、そこからさらに別の反転へと開かれてゆくものなのだ。

 タカチャンの夢を見た翌日の午後、語り手は七世紀半ばに放棄された古い城跡を訪ねる。

…とくに保存のよい高い土壁に囲まれた奥院の、龕の窪みのあきらかな土の塔をめぐってゆくと、啼声のみ聞こえる土鳩の羽毛が舞いおりて来る。土壁が方形に限る空をあおいで、胸もとに湧いてくる自分の声を聞いた。---これはまったく翡翠の色じゃないか、タカチャン、それも僕らが二度と現世ではめぐりあえぬほどの!

 語り手は、土鳩の存在を告げる声と羽毛を感知するが、その実体は見ない。その後、本来無限定な広がりである空が土壁によって枠取られることで方形が形作られるのを目にする。つまり空-虚の部分がフレームによって実へと反転し、翡翠として捉えられる(この翡翠は「茱萸の木…」へと転移して青い勾玉となるだろう)。その翡翠の色の鮮烈さが、虚実の安定性を揺るがし、認識の地盤を揺るがし、ある状態を準備する。

 その後語り手は、城跡の西の縁の高い位置から広く深く切れ込む河岸段丘を見下ろす。垂直にそそり立つ対岸は自分と水平の位置にあり、そこからは砂漠がまっすぐに広がる。見下ろす土地では、畑が広がり、羊の群れが草をはみ、逃げる仔馬を若者たちが追う。川面が銅鏡のように暗く光る。

幻の国を雲間に見上げるように、しかし実際には自分が、陽のあたる高みの土塁に足を踏まえて見おろしている、上下の引っくりかえしにはじまって、なにもかも転倒している世界の、そのトバくちに立っているようにぼくは夢想した。様々な経験に痛めつけられ精神に障害を発し、不幸な死に方をした人間よりも不幸にいまは生きている、四国の森の倉のなかの病室のタカチャンと、いま中国の新疆省を旅して、交河故城から広大な窪みの風景を見おろしている、ともかくは自由な自分。その相互関係が、まるごと引っくりかえっているような、もうひとつの世界。そこへ至る道を覗き込んでいるのではないかと、夢想の展開するところへ向けて、僕は耳をすまし眼をみはるようであったのだ。

 まず、ある限定によって虚実が反転し、その限定がふいに解かれた広大な広がりのなかで上下が反転することで、タカチャンと語り手との位置が反転する。このことはまた、冒頭の場面で語り手がタカチャンを頼り、タカチャンの夢を見ていたという事態の反転も誘い、今、語り手がタカチャンに頼られ、タカチャンによって夢みられているのではないかという反転の感覚をも導く。実際、この小説は《去年の秋の終わり、僕は…》と回想の形式で書き出されているのだが、引用部分のやや後、同じ場面で、《そしていま僕は、シルクロードの西陽が…》といま、そこにいるかのように記述が混乱している。つまりこの場面は時間の秩序の外にある(語り手が自分の語りのなかに入り込んでいる)。そしてこのような事態は、夢のなかでタカチャンが語り、語り手を《存在の芯とでもいうべきものを燃えあがらせんばかりに昂揚》させた言葉がそのまま、今、タカチャンへと向けられた救援の言葉として返されているかのような感覚を生む。ここで最初の「Kちゃん」という呼びかけは、「タカチャン」へと書き換えられる。

---Kちゃんよ、はじめと終わりには「全体」があるでしょうが! そこから「個」はあらわれるし、そこへ帰って行って「個」でなくなるのでもあるのでしょう? その繰り返しである以上、ともかく「全体」という基盤はあると、Kちゃんも五十年生きて確かめたのよね。それならば、なにを思い煩うことがある? 自分の「個」が再生できるかどうか、なぜ知っておきたいの?

 ここまでみてきた以上、ここで言われる「全体」は、いわゆる世界の全体性のようなものとはややニュアンスが異なるものとして読まれるべきであろう。それは、あらかじめ予定調和として保障されている、誰もがそこへ帰ってゆく母なる「全体」ではなく、極限で似る無数のものたちが、互いに互いを反転させ合うことで、分離し、関係を解体すると同時に、新たな関係を結んでゆく、そのような錯綜する動きの総体のことであるはずなのだ。タカチャンが、殺された女性たちの救援を本気で望むのであれば、どこかで別の何かによって、タカチャンの救援もまた望まれているはずなのだ。ここで言われる「全体」とは、世界のそのような行き返しや折り戻しの動きの束のことであるはずだろう。

 そしてまた、「四万年前…」のこの場面も、もう一つのタカチャンのための小説である「茱萸の木…」へと行き返し、折り戻されてゆく。それは中国大陸の無限定な広がりに立つ語り手から、伯父の家の畠にある茱萸の株の折り重なりという、ごく小さな限定性の前に立つタカチャンへと反転される。茱萸の木や株は、外へ向かう大きさではなく、内へ向かう密な複雑さこそが強調される。それは《数えで八つの私の身長の高さ》しかないが、《こまかな葉をいちめんに繁らせ》《いろんな実がさかんについて》《いくつもの株が集まって》いる。重なり合う株の密度は、《奥に引っかかり干からびているモグラ》を棒でかき出すことすらできないくらいだ。子供時代のタカチャンは、自分がその根方に棄てられていたとも言われる密な《茱萸の繁みの迷路に眼を遊ばせ》ているうち《自分が空想していることか実際に見ていることか、あたらしい感じ方のなか》に入ってゆき、そこに《クモの巣の幼虫のようにも小さな人》のヴィジョンを見ることになる。《そこで成長し、働き、結婚し、子供をつくった後、老年にいたって死ぬ。それがこちら側の世界の何百倍ものスピードで行われる。自分もまたそこにいる》。目の前に縮小された世界全体のモデルがあらわれる。

茱萸の木のなかに、私がこの世界の進み行きの、豆粒のような人たちによる加速された眺めを見た時、その中心には、ほかならぬ自分の生の全体が見えていたのだ。そこに始めから終わりまでが現にある以上、これからの自分の未来のこととして他の選択はできないとわかっている。(…)なにか巨大なものが、この茱萸の木のなかに世界の進み行きを照射している。その圧倒的な力を押しかえすことはできない。ただ見ないでいることができるだけだ。

 これはタカチャンの死後に語り手の元に届けられた、タカチャンによって書かれ、タカチャン自身の意思によって破棄されずに残された文書の一部である。よってこのテキストの真偽には複数の解釈があり得るが、それは置いておく。

 「四万年前…」の語り手が、限定付け(フレーミング)による虚実の反転、さらに限定が外されることによる上下の反転を通じて、自分とタカチャンの位置を反転させ、さらに夢のなかでタカチャンから与えられた言葉をタカチャンへと返すという反転が起きたように、ここでも、茱萸の木の複雑で密な感触に集中することで自分の周囲の空間が粗くて空疎なものとなって遠のき、それが、内(空想していること)と外(見えていること)を反転させ、大(世界全体→自分)と小(自分→世界全体=茱萸の木)を反転させ、事後的に世界を俯瞰する視点が生じ、それによって老人が既に終わった生涯を振り返るように、幼年がこれから起こる未来を俯瞰するという時間の逆行(反転)が起こる。

 だがこの反転は、ここからまた更なる反転(共鳴)が生まれるようなものではなく、逆に、彼女の見たヴィジョンが彼女の生そのものを上位の階層から制御するメタレベルとなり、その生涯を決定論的に固定してしまうことになる。つまり茱萸の木が彼女の生の同一性の根拠となってしまう。だから当初、タカチャンは自身の生のすべてがそこに《現にある》ことを知りながら、《すこしだけ未来にはみだした》部分以外は見ないようにしていた。しかし《十四、五歳の冬のある日》に、自分のその後の《惨めな生涯》のすべてを見てしまう。

 ここにも、《革命運動》が《なにもかも正しかった》と《証明すること》によって女性たちを救援しようというタカチャンの「性格」が反映されているのではないか。そして、それへの語り手による疑義もが…。つまり、一→二→三→四を一←二←三←四と反転させるだけでは、結果(四)が原因(一)のメタレベルとなって上位から制御するという関係を、ロジックによってより強力に固定させてしまうだけなのだ、と。

 では、語り手は、どのようにしてタカチャンをそこから救援しようとするのか。それは、《タカチャン》から《お孝さん》を発展させ、《茱萸の木のヴィジョン》を《「茱萸の木の教え」通信》へと発展させることによってである。もし仮に、一・二・三・四という出来事が、既にすべて運命として決定してしまっており、変更することは不可能であったししても、そこに一→二→三→四あるいは一←二←三←四という関係(順行と逆行)とは異なる別の関係を発見し、創造することは出来るはずなのだ。一が(一)や「一」へと発展し共鳴し、二が(二)や「二」へと発展し、そしてその(二)がまた別の{二}へと発展し、その関係が再び二へと遡行する時、その二は、一→二→三→四という流れのなかにある二とは別の意味をもち、別の生をもつことになるのではないか、と。

 京都の大学で研究者をしていた頃のタカチャンは、家庭教師として何人かの女性の指導者でもあり、彼女たちはタカチャンを《お孝さん》と呼んでいる。お孝さんは、その後も教え子たちと連絡を取り合い、茱萸の木のヴィジョンを(自分を中心としてではなく、彼女たちのために)用いた「茱萸の木の教え」通信を通じて、彼女たちが人生の重要な岐路に立っている時に支援した。そこには、不幸な結婚をし、不幸な事故によって、研究者としての生活だけでなく社会的な生活のすべてを奪われてしまったタカチャンと、同一人物でありながら、別の関係のなかを生きる《お孝さん》がいる。そして現在、かつて茱萸の木の教えを得た彼女たちは、社会のなかで、自立した女性としてそれぞれの局面で活き活きと生きている。その事実こそが、殺した女性も殺された女性もともに救援することに繋がるのではないか、と。この女性たちの生がタカチャンへと折り返され、タカチャンを中継点として、殺し、殺された女性たちへと折り返されるという形で。反転は、原因-結果の関係を固定するのではなく、別の反転へと発展し、そして折り返されることによって、その反転そのものを肯定する。

(了)

初出 「早稲田文学」2011年4号

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