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Sweet November

・11月。半袖で過ごす日があったりして驚いた。徐々に夜は冬の寒さを醸し出してきているので一安心。

・「なにもない、が、ある」という、田舎に泊まろう的なキャッチフレーズ。それが似合う1年として、このまま師走も駆け抜けていくのだろう。様々なことを考えたし、見えたものもあった。それを受けて大きく変化したこともあった。決してなにもなかったわけではなかった。

・なにもない、と思うのは、「あまり変わらなかった日常」というやつが訪れなかったからなのだと思う。たしかに少し寂しい。

・人と人の接触をなるべく避けるように推奨される時代。肉体ではなく精神の繋がりが試されるとでもいうのか。大変な時ほど、心を一つにして、と。

・コロナ第三波、とニュースは騒いでいる。第二波っていつ来てたんだろう。エリオット波動的に考えると、この第三波が一番大きくて、その後調整下落の第四波が入り、最後に第五波が来る。皆さまお気を付けて。僕たちはいずれ顔を失うことになるのかもしれません。

・今月初旬に終えたサーキットイベントを以って、年内のイベント出演は終了した。正直な感想を言えば「あわただしいサーキットイベントには向いていない」「ライブはなるべくやりたい」「状況もあるとはいえ、やはりライブが沢山したかった」といったところ。ただ、集客出来ないのではイベントを打つ意味も無いし、集客したとて所謂クラスターを発生させてしまっては元も子もない。「仕方ない」としか言いようがないのが歯痒い。

・ライブ配信は常々言っているように、僕には「あくまでライブとは別物」という捉え方がある。ベストなのは配信+有観客というスタイルだろう。今後はこれが発展していくことを期待しているし、各々のスタイルで楽しめる場面が増えたらいいなと思っている。ライブの可能性自体は広がったと思う。

・とはいえ、やはり「生」に対しての渇望は止まない。そこには代えられない価値がある。数年前、尊敬する方とゆっくりお話しする機会があった。その時に僕を見て、その方が掛けてくださった言葉に、未だに生かされていたりもする。一瞬が永遠になった出来事。こんなドラマや、感動は、対面だったからこそ生まれたと思っている。

・そもそも東京に出てきた理由は、東京を拠点に全国でライブをして回るアーティストになりたかったからだ。今でこそ住むのは何処でもいいと思うけれど、未だに都内の片隅で生活する自分は、あの日の憧れを生きているに違いない。

・会えない時間が愛を育てる、これは嘘だと思う。正確には、これは余裕を持って初めて成立する。目の前にある物事というのが、自分にとっての世界に他ならない。更には「連絡手段」が格段に発達し、モノは簡単に手に入る現代だ。インスタントな感情の積み重ねで生きなくてはいけない以上、純粋さを何処まで持っていられるのか。

・会う度に強烈な刺激を与え続けられたらそれでいいように思う。忘れられても。初めまして、のインパクトが毎回続くなら、それはそれでいい。育たなくていい。ゲージが振り切れたら育つも何もないわけだし。

・結局そうなると、良くも悪くも「忘れられない奴」になる。そうありたい。そういう人が僕の心の中には何人かいる。別に普段から意識はしないけれど、ふとした時に垣間見ると、その人らしい生き方をしていて、いつも何かを思わされる。

・日記を更新していない間にライブを2本終えるのみならず、レコーディングをしていた。ひとまず録音は終わった。このあとはエディットを経てミックス、マスタリングを行い音源が完成する。12月半ばに、今回録音した楽曲は完パケする予定。

・そして並行してミュージックビデオ撮影も行う。スパンを空けずに2本。今回のMVは過去作とはまた違うものになるし、撮影が少し過酷かもしれない。でもそれが楽しみだったりもする。

・そんなわけで今年の冬はしっかりと制作作業に充てている。そしてこれは第一フェーズに過ぎない。曲はまだあるし、制作しながら自分たちが更新されていく。急かすものが無い、この機会だからこそ、やりたいことを追求出来るのは嬉しいこと。

・そして結局、自分にとってはこれが一番得意なことなのだと知る。こうなったら生かされるしかない。自分の持つすべてに。きっとみんなそう。逃げたいのは当然か。僕は僕から逃げられない。

・親愛なる11月に毒された子供の末路。12月がはじまって、あっという間に終わる。この短い間でも、なにかを残せたらいいな。ただそれだけで、この1年がきっと有意義なものになるから。


fusetatsuaki

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