未来のためにできること

 未来のためにできること…私にもあるかなと、ふと考えてみた。まず未来っていつのこと?何年後?何千年後?そもそも何の未来?考えてみたら、未来のことなんて、少しも考えてないことに気づく。目先の日々の解決に必死だな。それに究極、死んだら分からないからなって思ったり。
 子どもが生まれてからは、この子たちが困らない未来は何か考えるようになったかな?困らないってお金?生き抜く力?迷惑をかけない生き方?
 ただ、一番下の子が50になったとき、自分はもう平均年齢をとっくに超えて、50になる我が子の姿は見られないかもしれないんだなと考えたことがある。そう、意外に一緒にいるって短いもんだ。
 子どもたちに自我が出るようになると、小さい子を育てるのとはまた違った難しさが出てきた。ガミガミ怒って従わせようとする。あぁあの時の私の姿が見える。理解力の低かった私は、どうしても時間の計算ができなかった。私の母親もガミガミ教えてくれた。一緒だ、あの日の母親が私だ。思い出したあの日から変わろうと努めた。
 できるだけ笑顔を子どもに見せる。心から微笑んで、苦しみのない姿を見せる。一緒に悩んだり、考えたり、宿題をしたり、自分が子どもだったときにして貰いたかったように、いつも朗らかな姿を見せる。それしかないかな、そんなことしか思いつかないな。
 次男とランチの約束をした。いつも一対一でお出かけできないから行こうねって。すごく嬉しそうで、こっちも嬉しくて。そういう小さい喜びを積み重ねたら、きっと未来の子どもたちはみんなで幸せになれると思う。
 私の母方の祖母は、「子は宝よ」っていつも言っていた。認知症になってもそのことは変わらず言い続けてた。宝物は決して粗雑に扱うことはない。大切に守って、決して傷つけない。
 大きな事はできないけど、人様のことも助けられないけど、私には私にしかできない未来のためにできることは有る気がしてきた。

#未来のためにできること

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