変わるものと変わらないものについて

最近朝早く起きることを諦めた。
初めて諦めたかもしれない、人生で。
考えようによってはいい経験かも。
どうやら直らないらしい。
夜更かし癖も、ロングスリーパーも。
これは変わらないこと。

対比としての変わることを書こうと思ったが、思いつかない。
多分変わっていることってのは変化が終わってから気付くものであるからだとおもう。
それか全てが変わっているから挙げきれないか、どちらか。

変わりたいこと。たくさんある。
そうして変わってきたんだろう。

変わりたいと願うこと。
これは人生の中で1番してきたことかも。
その変わりたいことの中の1割2割は変われてるんだろう、多分。
そうだといいな。

変わっていこう、少しずつ。
焦らなくていいよ。どうせ変わっちゃうし。(3度目の編集)

経済新聞を読んで思った、社会は変わり続けてる。良くも悪くも。

前に述べたがAIも変わり続けてる。進化し続けてる。

効率は良い方だと言う自負が二の足を踏む一つの原因になってる。
でもそんなのただの言い訳でしかなくて。
わかってるけど、ね。

今日はいい日だったのかな。
それとも良くない日?

そんな言い方はやめよう。
僕の日じゃなかった、そんな感じかな。

ただ徒然なるままに書いてここまできたけど、何一つ書きたいことが書けてない気がする。

何も感じないでしょ。

何も。

だって僕も何も考えてないもん。
手癖で書いてる。

自明の理でした、、残念!



って終わろうとしたけど、ちょっと待ってくれ。いま人生2度目の編集機能を使ってこれを書いている。人生1度目もこの記事でちょっとした文言を付け足したんだけど、そんなことどうだっていい。
一つだけ言っておきたいことが思いついた。
そのことだけで一つ記事を書くことはできるが、ついでなのでここに書き足すこととする。

この前あるカップルチャンネルの質問コーナーを見ていたのだが、そこで、『相手の許せないことはありますか?』と言う質問があった。
そこで男の方は『ない』と言っていたが、女の方は『あるけど許容範囲内』と言っていた。
それを見て自分の中ですっと解決した悩みのようなものがあった。
解決したというより解決の糸口が見えた、そんな感じの表現が近いような気がするが、まあそれはいい。
やっと言語化できるが、私は「自分の行いが他人に許されるかをずっと恐れていた」のだ。
こうはっきり言えるとすっきりとした気持ちになる。
そう言った悩みに私が私自身に提案する答えは『基本行いは許されるし、誤った行いをした時に間違っていると指摘してくれる友人を作る方に力を注ぐべき』だ。また、『自分の行いが許されるかどうかを恐れていても何も変わらないし、無意味である』ことも記しておきたい。

私にとってこの記事はまた不安になった時に帰ってくる、聖地のような文になるだろう。

記事、なんとか蘇生しました!
結果的に。

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