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猫又と募金

にゃん!ここ数日noteを開いてなかったけども…アレだな。
なるべく続けるられるように、週1回の投稿ペースを目標としよう……

というわけで、note開いたら「#寄付について考える」という企画があるようだ……ふむ、今日のお題はコイツにしよう。

善意の皮をかぶるもの

主人:「昔、騙されて募金詐欺の片棒を担がされたことがある」

吾輩:「唐突なカミングアウトだな、主人よ」

主人:
「猫又のお前が『ボキン……ボキン……』と呟いていたら、誰でも気味が悪くて気になるだろうよ……骨を折る呪詛かと思ったわ」

吾輩:
「それは失敬……して、募金詐欺とは?」

主人:
「簡単に言えば、幼気な少年だった私と首謀者の友人が街頭に立って、その頃に起きた大きな地震に対する寄付金を呼びかけたのさ。手持ちの箱に数千円は集まっただろうか?活動の終わりに、私は本当の募金活動ではなく、遊び金を集めるためだったと知らされて、ひどく後悔に苛まれたものさ。私の分の金は正しい寄付金に当てたし、その後、その友人とは距離を取ったがね」(天の声:当noteの運営方針はこちら

吾輩:「ははぁ…なるほど。確かに少年であったなら、寄付する者も警戒心が緩むであろうな」

主人:「その通り。悪意とは善意の皮をかぶって近づいてくるものさ。
善意はとても利用しやすい。目的や行動が読みやすく、肚のうちが浅いからだ。意図がわかりやすいというのは、誰かを傷つける恐れが少ないはずなのだが、これが逆手に取られると、誰かを傷つける手段になる」

善行をおこなうには?

吾輩:「しかし"金"がからむと途端に自制心が働いて、『"金"なんていう汚いもので支援するなんて』という"金"アレルギーを持つ人もいるし、『偽善かも知れないけど』などと、わざわざ"偽善"という言葉を"言い訳"にしながら、恥ずかしそうに募金する人もいる。この慎ましやかなこの国の精神性が、吾輩はなかなか好きだね」

主人:「急に上目線な猫又になったな……。
私は善行を行うに際して、"慎ましすぎる"のは問題だと思っている。
さっき言ったように、悪意は善意のそばに潜みやすい。そして、潜んでいた悪意が目立ち始めると、潜ませていた善意の芽が摘まれてしまう……

『どうせこいつらも詐欺なんだろ』と距離を置かれたり、『詐欺にあったら嫌だから』と寄付に対して見向きもされなくなるのは、とても寂しいものさ。悪意の繁茂に、善意の芽が負けてしまったようじゃないか。(しばしば、よく見る光景だが……)

募金というのは「善行」だと思うのだが、
善行とは、正しい相手にきちんと届いて、初めて善行足り得る。

最初の小さな「善意」を持ったのなら、
そうして「募金」という「善行」を行おうとするのなら、
きちんと相手に届かせようとする強い意思を持つことも必要だ。

『活動実績がある団体か?(また本当にその団体か?)
『募金する目的が明確であるか?(また内訳の説明があるか?)

例えば、そういったところを気を付けた方が良いだろう。
西日本豪雨被災地へ簡単にできる支援方法・募金方法まとめ

悪意の根絶は不可能だ。
だから特に善行を行う際には、善意の影から悪意が邪魔すると仮定して、
それでも正しい相手に、善意の枝を伸ばそうとする、『善行を遂行する』という気高く強い意思は必要と思うな。それは誇って良い行動なんだから」

吾輩:「……このnoteを書き始めてまだ間もないけど、こんな熱い主人とnote見たことないよ。元気が良いなぁ、どうしたの?何か良いことでもあったの?(メメ風)」

主人:「ヤメナサイ……ほら、初回で言ったようにさ。Twitter始めて知り合いが少し増えると、西のほうに住んでる方々もいらっしゃるじゃない?
やっぱり気にかかるよねという……一日でも早く、被災された方々が安心できる状況になる事を祈るよ」

#エッセイ , #短編 , #小説 , #フィクション , #note初心者 , #寄付について考える , #善行 , #悪意 , #詐欺 , #吾輩は猫又

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