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なぜ物理学科に進学したのかーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」㉒

東京大学では、入学時には全員教養学部(「前期教養学部」「駒場幼稚園」などと呼ぶ)に所属し、二年生の夏に学部を選択するシステムが採用されています。
このシステムのおかげで文系・理系の枠を超えて講義を受けることができ、さらには理系で入学した学生が文系学部に進学することもできます。

前期教養学部では、入学する科類によって進みやすい学部が決まっています。文科一類は法学部、文科二類は経済学部、文科三類は文学部・教育学部、理科一類は理学部・工学部、理科二類は農学部・薬学部、理科三類は医学部とおおむね相場が決まっており、それに加えて教養学部(後期教養学部)にはどの科類からでも進学できます。
当然、どの学部にも定員があるため、人気の高い学部学科は全員が無条件には入れるわけではありません。上記のあらかじめ定められた科類で優先的に定員が定められたうえで(「指定科類枠」)、若干名の他科類からの募集があります(「全科類枠」)。いずれにおいても、2年生の夏までの成績で志望者は順位付けられ、上から順番に定員が満たされるまでが進学を許されます。

学生側は、まずいくつか志望進学先を登録したうえで、各学部学科に進学可能なボーダーライン(「底点」)が発表されるのを待ちます。発表されたら、自分の成績とボーダーラインを照らし合わせて、志望進学先をそのままにするか、変更するかを選びます。その後しばらくして、第一段階の振り分けが行われます。この段階で7割程度の学生の進学先が確定します。確定しなかった学生のために、同じプロセスがもう一度行われ、第二段階で残りのほとんどの学生の振り分けが行われます。

このように、自分の興味ある学部学科に進むためには、成績が良くなければいけません。しかし、各授業の成績は実質的に相対評価であることも多く、その中でトップを張り続けることができるのは一握りの「天才」たちです。「天才」ではないことを自覚した人は、何とか滑り込むために戦略的に動くか(賢いタイプの人)、とにかく何とかなると思い込んで突き進むか(ギャンブラー型)するしかありません(私は後者です)。だいたい、進学振り分け(現在は「進学選択」という名称になってシステムも多少変わっているようです)のシステム自体、自分で「履修の手引き」を読み込んで理解しなければ、ゲームに参加することさえできません。大学において教育はサービスではなく権利なので(諸説あります)、「望む教育を受けたいのであればチャンスをつかみに来い」というスタンスなのでしょう。

さて、私個人の進学振り分けの頃の話もしましょう。しかし、大昔のことなので、実際にはほとんど覚えていません。※1

※1 だいたい2,3年もすれば人間はまるっきり変わってしまうので、事実と想像と願望が入り混じっているかもしれません。そういう一貫性の無さを、世間では「人間らしさ」と呼ぶようです。

自分がいつ科学に興味を持ったのか、全く自覚は無いですが、小学2年生のころには既に宇宙や天体の存在を知っていました。おそらく、図鑑や本、映画などで何気なく知識を得ていたのでしょう。ちなみに、少し話はそれますが、当時通っていた小学校(アメリカのキリスト教の私立校でした)の理科の授業で、一通り宇宙や天体のことを教わった後に、「でも、本当は全部神様が作ったんだからね」とまとめられて授業が終わりました。キリスト教徒ではない私にとって、このとんでもなく矛盾した発言は強烈な印象を残しました。(とはいえ、「じゃあ、神様が作ったんじゃないのなら、誰がどうやって作ったのか?」という問いには、誰も正解を持ち合わせていないので、「神様が作った」という答え(「神様」の存在に関する真偽を保留すれば)を受け入れる人の気持ちも分からなくはありません。)
話を戻します。しかも、私は当時から極めて人間嫌いな性格で、どちらかと言えば「オタク」気質だったのも相まって、科学との親和性が高かったのだと思います。さらに、いわゆる強迫性の気質もあり※2、「このおもちゃは鉄を曲げて作られている。鉄の板は鉄をかき集めて作られている。じゃあ鉄は何から作られているのか……」といったループ型の思考に陥ることがあったのも、要素還元主義が染みついていたのかもしれません。

※2 小学生のころ、車の模型が好きでよく遊んでいました。模型にはドアが4つ付いており、本物の車のように開閉できるようになっていました。ある日、奇妙なことに気づいたのです。一つのドアを開けた後、他の3つのドアも特定の順番で開けたり閉めたりしないと、何か「気持ち悪い」のです。そんな行為は誰にも命令されておらず、自分の遊びの中でも不必要であることは理解しているにも関わらず、その行為の必要性が身体的感覚として実感されたのです。なぜこのような性質が生じたのか、詳しい方にぜひ教えていただきたいとずっと思っています。

具体的に物理学に興味を持ったのは、高校2年生の秋のことでした。駒場で開催された高校生向けの公開講座で、当時ホットな話題であったヒッグス粒子や、超弦理論についてのレクチャーを聞きました。要素還元主義を突き詰めると未知なことだらけという点に興奮を覚え、素粒子の勉強をしたいと思うようになりました。東大に進学し理学部物理学科を志望するのも自然な流れでした。

希望すれば誰でも物理学科に進学できるのであれば簡単ですが、実際には進学振り分けで進学できない可能性もあるため、ダメだった場合に備えて第二志望を考えなければなりません。しかも、物理学科で学んだことが無い人間が、想像と偏見だけで物理学科を志望するわけなので、本当に希望に合うのかどうかを吟味する必要があります。

しばらく吟味した結果、最も有力な対抗馬は後期教養学部の哲学でした。
本来哲学はすべての学問を包含するので、ある意味当然の選択肢かもしれません。しかし、物理を独力で学ぶことは難しいと思ったため(ただ、これは哲学も多分そうなので、今考えれば判断基準として破綻していますが)、やはり理学部物理学科に進むことを決めました。

私は「ギャンブラー」型の人間なので、自分の成績がそこまで高くないのは自覚していましたが、とにかく第一志望を理学部物理学科のまま突き通すことにしていました。結果的には第二段階で、底点ギリギリで滑り込むことができました。きっと日頃の行いが良かったのでしょう※3

※3 興味のある学部学科の進学ガイダンスには必ず出席することをおすすめします。研究室のラインナップ(大学院進学を視野に入れているなら)、教員の雰囲気も分かりますし、同期になるかもしれないメンバーもどのような人が集まっているかが垣間見えます。


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。

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