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加速器実験当日の1日ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑦

加速器実験の目的
ある粒子の状態を変えたり、別の粒子へと人工的に変えたりするために、加速器が使われます。通常、単独の研究室で加速器を保有していることはなく、大学や研究所といった施設が保有する加速器を共同利用することが一般的です。

ビームタイム(研究者に割り当てられる実験時間)は、実際には前日から始まります。
重イオン加速器であれば、元のイオンを加速するイオン源、線形加速器やサイクロトロン、実験者が設置した標的、さらにそれらを繋ぐ輸送系をすべて連携させる必要があります。そしてたいていの場合、それぞれの要素に専門のスタッフがいます。実験の前日、標的や装置を施設のビームラインに接続したあとに、イオン源や加速器、輸送系の調整を始めます※1

※1 イオン源・加速器の調整をどのタイミングで行うかは、施設により異なります。
ビームタイムの前に完了する場合は、実験者が準備を終了してから実験を開始するまでの夜間にかけて調整が行われます。一方、すべての調整をビームタイムにふくむ場合は、その分だけ余分にビームタイムを確保しなければならず、実験者はいつ実験を開始できるか明確には決まっていません。


所定のビーム(加速器で加速されたたくさんのイオンが、真空中を強い指向性を持って飛んでいる流れのこと)が標的前まで輸送されていることを確認できたら※2、実験開始です。
もっとも単純な実験の場合、この最初の標的そのものが観測対象です。標的の周囲に設置された検出器を動作させ、データを取得します。ここまでの一連の工程はすべて遠隔で操作しています。
万が一前日の作業でミスがあったり、実験中に機器のトラブルが起きたりした場合はすぐに実験を中断して対処しなければ、その分の時間が無駄になってしまいます。「何かがおかしい」とすぐに気づけるように些細なデータまで監視し、場合によってはその場ですぐに復旧ができるような、見やすい制御プログラムを作ることも重要でしょう。

※2 ビームを特徴づける量には、エネルギー・カレント・エミッタンス、の3つがあります。エネルギーはビームを構成する各粒子の運動エネルギーです。カレントは「単位時間当たり流入する粒子数」あるいは「単位時間当たり流入する電荷」で、標的粒子との間の反応量を決めます。エミッタンスは、ビームをある断面で切った時の位置分布および横方向の運動量分布を特徴づけるベクトル量で、ビームが標的上の狙った位置に正確に当たるかどうかに関わります。実用上は、より直感的なビームの位置分布を使うことも多いです。ビームラインの随所に、これらを測定できる「ビームプロファイルモニター」が設置されています。ここはあまり気にしなくても大丈夫です。

多くの場合、標的で生成した粒子をさらに下流に送る、「二次ビーム」が存在します。二次ビームを二次標的に当てるまでの過程は実験者の仕事です。加速器の調整と同様、装置の状況を注視しながら慎重に進めます。

標的が厚く、融解の恐れがある元素の場合、特に注意が必要です。一次ビームが標的内部で止まる場合、すべての運動エネルギーが標的に熱として付与されます※3。標的から真空槽の壁面への輻射や伝熱による放熱量よりも入熱量が上回ってしまうと、標的の温度はどんどん高くなるため、熱電対や放射温度計などの温度計で標的温度を見ながら調整を進めていきます※4

標的の融解が避けられない場合は、ビームラインの途中に薄い膜(真空窓)を張ることで蒸気が逆流してしまうことを防ぐことができますが、今度は真空窓の熱も問題になるため、より注意すべき項目が増えていくのです。

※3 これは例えば素足でスライディングをすると摩擦で足が熱くなるようなものです。足を一瞬だけ床にこすりつける場合と、完全に停止するまでスライディングする場合を比べれば前者の方がより熱くなるはずです。ただ、摩擦力による発熱量は速度におおむね比例するのに対し、物質中に注入したイオンが止まるまでに発生する熱は(低い速度範囲においては)速度の二乗に反比例することが知られています。
つまり、「止まる寸前にもっとも摩擦熱が発生する」というイメージです。

※4 薄い標的でもカレントが高ければ熱が問題になることがあります。例えば、CDのように標的を円盤状にして常に回転させることで熱を逃がすことができます。


ある24時間体制の実験のスケジュール

24時間体制の実験で担当部分を2人で回す場合の生活の例


24時間以上実験が続く場合は、シフトを組んで実験を行います。一部の人は昼夜逆転生活を強いられます。そのような極限状態での活動のためか、必ず一つや二つ機器の不具合や操作ミスに見舞われ、すべてが想定通りに終わることは稀です。そして、重要なことは、放射線を扱っているため、一歩間違えれば事故につながりかねないということです※5

万が一実験中に装置トラブルがあり、ビームラインの近くで作業しなければならなくなった際にも、通常よりも放射線量が高くなっているため、可能な限り短時間で作業を終わらせられるような工夫が必要です※6

満足に実験が完了することは稀ですが、夜間の実験を終了し地上に戻り朝日を見ると、不思議な充足感があるものです。



※5 加速器実験で起こり得る放射線事故としては、人間の被曝よりも放射化物の外部漏洩の方が可能性は高いでしょう。加速器施設は最初から大量のコンクリートブロックでの遮蔽や入室制限システムが完備されているため、ルールを守っていれば人体に著しく影響が出るような被曝は起こりえません。一方、真空系から放射性同位体を室内に排気してしまったり、汚染試料を室外に持ち出してしまったりするなど、漏洩の問題は人的ミスによって起こりえます。
※6 この際の放射線は、加速されたビームが真空槽の壁面や標的に衝突したときに励起されてしまった原子核から生じます。加速器や原発で働いていなくても、そもそも私たちは天然放射線に日々晒されており、特にレントゲン検査や飛行機への搭乗によって日常的に被ばくする機会は多々あります。どのくらいの被ばく量で人体にどのような影響が生じ、放射線作業の法令をどのように定量的に定めるかについては、第二次世界大戦後の広島・長崎の記録が重要な根拠となっているそうです。


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。


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