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すべての物事は数式で表せるというけれど<後編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑲

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(少しだけおさらい)

”なぜ”をひたすら続けると

数学でも物理でも、「なぜ」という問いをひたすら続けていくと、どこかの段階で堂々巡りに陥り、どう考えても答えの出ない問いまで行きつきます。そのとき、理論の連鎖の源流に当たる命題を、「原理」や「公理」という名のもとに「正しい」、と仮定するほかに方法がありません。これは科学の限界であるとともに、美しさでもあります。つまり、いくつかの「原理」や「公理」だけを仮定すれば、個々の事象は自然な演繹で導かれるという、いわば「なんでも理論」を構築出来るような枠組みになっています。
当然、実際にはそう簡単には行かないわけですが……。

ここからは数学を使って確認していきます

この美しさは、実際の例で確認するのがもっとも分かりやすいでしょう。そのためには物理の言語である数学を使わずには不可能ですので、ここからは上級者向けだと思ってください。
物理における原理として真っ先に思い浮かぶのが、「最小作用の原理」でしょう。漠然とした概念なので、具体例に言い換えましょう:

テーブルに乗っているビー玉が、点Aから点Bまで運動するときに辿る経路は、この運動を特徴付ける作用 S という量を最小化するような経路である。

さて、高校で物理を学んだ人なら、言わずと知れたニュートンの運動方程式※1 F = ma から出発することでしょう。確かに、この式を覚えてしまえばテーブルの上のビー玉の運動は辿ることができます。

しかし、そもそもニュートンの運動方程式はなぜ成り立つのでしょうか?
加速度aは、速度vの時間微分であり、位置xの二階時間微分です。
これが、本来ビー玉とは無関係な外力Fに比例していて、しかもその比例係数がちょうどビー玉の質量mになっているというのは、果たして当たり前のことなのでしょうか?

※1:ここでは、スカラー量とベクトル量の識別のため、ベクトル量は太字で記述します。

最小作用の原理


こういった疑問点をすべて一つの指導原理に集約したのが、最小作用の原理です。
作用Sという量は、ラグランジアンLという量を時間について積分することで得られます※2。ラグランジアンの定義も抽象的ですが、もっとも基本的な場合では運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの差で定義されます※3
テーブルが完璧に水平だった場合、ビー玉は何も力を受けません。したがって、系※4はビー玉の動く速さvだけで特徴づけることができます。ポテンシャルエネルギーはどの位置でも等しいため、ラグランジアンは運動エネルギーそのものになります。

※2:「作用」や「ラグランジアン」は、「速度」や「質量」などと違い、明確な物理的意味を持ちません。
※3:運動エネルギーは、言葉通り物体の運動に伴うエネルギーであり、古典力学の場合は速さの2乗に比例します。ポテンシャルエネルギーは、重力や電磁気力などに「どれくらい影響を受けているか」を表し、例えば重力のもとでは地表面からの高さに比例します。
※4:外界と独立したひとまとまりの物理的対象のことを「系」と呼びます。数学の「集合」のように、あまりにも基本的なため厳密に定義することが難しい概念です。

$$
L = \frac{1}{2}mv^2
$$

この時、作用は

$$
S = \int L dt = \frac{1}{2}m \int v^2 dt
$$

となり、その作用が最小となる点は、多少速度 v が変わっても作用の値が変わらない点(停留点)になります。したがって、

$$
\frac{d}{dt}v = 0
$$

が導かれます。

これはしごく当たり前の結果のように思われるかもしれません。
それもそのはず、最小作用の原理はニュートンの法則を再現するように構築された枠組みなので、そこから導かれる結果の多くは、既に観測事実として知られていることになります。


「事象を数式で表す」とは&まとめ


自然科学において「事象を数式で表す」とは、「いかに自然現象を記述できるか」という問題であり、きっとあらゆる学問に共通するであろう、「常識の再構築」に他なりません。ただし、哲学で問題になるような「『私』とは何か」「なぜ人を殺してはいけないのか」といった「常識」は多くの人がすでに答えを知っている(わけではないが、知っているつもりになっている)のに対し、自然科学における「常識」は「物質を構成する最小単位とその性質は何か」「なぜ時間は過去から未来にしか進まないのか」といった、答えが自明ではないことが多いものです。

現在教科書に載っている自然科学の「常識」(と、少なくとも今は思われているもの)も、今のところもっともらしい説に過ぎません。
数学という抽象的な言語の世界でその常識を再構築する中で、実は常識が誤っていたと分かるたびに、自然科学は一段ずつ深化するのです。


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。

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