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092話:英國J&FJ Baker社ロシアンカーフ1

2年ぶりの更新になります。ご心配や応援の温かいメッセージを沢山頂きありがとうございました。Baker社ロシアンカーフの靴ではトゥキャップに割れが発生する事象、メダリオンが裂けて作り直しになる事象が重なり何度も作り直しをすることになりました。

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また、この革は大変高価にもかかわらず使用できる箇所が限られていました。約45万円分購入して使い、引き渡せた靴は8足のみ。ホーウィン社のシェルコードバンより原価が高くつき、オーダー時のオプション価格2万円は正直やってしまった感が。損失分で1足ビスポークできそうなぐらい‥と、愚痴を言うのはそのへんにしておきます。

それはそれとして割り切り、この革に向き合った折角の機会でもありましたので、靴を履く人・革小物や鞄を使う人・作る人・売る人そしてJ&FJ Baker社のためにも同社のロシアンカーフについて、まとめておきたいと思います。

1.ロシアンカーフとは

1786年に沈没した船から1973年に引き揚げられた皮革。Wikipediaを参照すると以下のような記載があります。

ロシアンカーフ (Russian calf) は、1700年代の帝政ロシアにおいて生産されていた、トナカイの原皮を材料とする高価な皮革。(中略)幻の革と呼ばれるほど希少性が高い。これは、ロシア革命の前後辺りの時期にそのなめし製法の詳細(なめし剤・道具・工程など)が失伝し、2008年現在、工程の再現及び再生産がほぼ不可能視されているためである。(中略)市場に流通している少量のロシアンカーフは、英国近海で沈没した帆船から引き揚げられた200年以上昔の物であるが、引き揚げられたロシアンカーフ全量が良好な状態と言えず(傷んで使えない部分も多かった)、使用可能な現存量に限りがあるという点でも希少性が高い。(中略)全面に確認できる一辺5 - 6mmほどの菱形パターンが外見的特徴。

これが、オリジナルのロシアンカーフの一枚革ですね。

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1786〜1973年までの間プリマス湾の海底で眠っていた時についた風合い、中世の時代そのままの製法の革だけが持ちえる枯れたエイジングを見せます。私も所有して何足か靴にしましたが革の繊維は200年の間に強度が落ちていることもあり、常に強い負荷がかかる靴よりも、革小物や鞄に向くと思っています。今では靴としては使用せず、所有しているロシアンカーフのほとんどを、革作家のthree2fourさんに預けていますので、ご興味がある方は問い合わせてみて下さい。

2.英國J&FJ Baker社ロシアンカーフとは

エルメス社の依頼をきっかけに、J&FJ Baker社が沈没船から引き揚げられたロシアンカーフを解析・研究し、6年の歳月をかけて復刻した革になります。オリジナルはトナカイの原皮を用いているとも言われますが、同社は地元デヴォン州の子牛を用いているようです。

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ただの復刻に留まりません。例えば原皮の脱毛は手作業で行ったり、オークバーグ、柳、白樺と3種類のタンニンに漬ける。手作業で白樺油を含む幾つもの天然オイルを手作業で辛抱強く刷り込ませるなど、文献や解析の結果明らかになったプロセスを可能な限り再現していることが特徴です。

詳しくは公式を参照して下さい。

3.銀割れの問題について

製作途中、トゥキャップの革の銀面が割れて、何度も工程をやりなおしたり、靴の作り直しをする事態が発生しました。色々試しましたが、この革は表面に引っ張り力がかかると割れやすいです。

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この問題について、J&FJ Baker社に問い合わせてみました。やはり銀面が割れることがあり、熱は特にダメとのことでした。

The Russian leather we produce is pit-tanned with willow, birth and oak bark.  This allows the fibre structure to remain tight so it will wear well and have a good textile strength.  However this does sometimes cause the grain to crack if over stretched, and particularly if heat is used. 

4.J&FJ Baker社のロシアンカーフは弱い革なのか?

同社は、革の強度には特にこだわっているタンナーで、HPにも"superior tensile strength"「優れた引張強度」の言葉が何度も繰り返されています。問い合わせの際も、銀面は割れることもあるが繊維強度は強いとの回答でした。

そうした姿勢から、いくらロシアンカーフを復刻するとはいえ強度を無視した革を作るようにはどうしても思えなかったのです。

それにロシアンカーフの製法の説明を参照しても、オーク・柳・白樺の樹皮から抽出されたタンニンと魚油をブレンドしたなめし液のピット槽に、14ヶ月も漬けられています(通常のピットなめし革は1−2ヶ月)。最高級の馬具に使われるハーネスレザーでも6ヶ月程度であり、尋常ではない期間。これは世界中のビスポークメーカーがこぞって使用する同社のオークバーグソールよりも長い期間になります。なぜアッパーにつかうカーフ革にここまでの手間をかけるのでしょうか。。。

Made form young English locally sourced Ox hides, J&FJ Baker & Co Ltd have undergone the development of replicating this historic leather. Pit tanned for some 14 months in three types of tree bark (Oak, Willow and Birch) and a minuscule amount of fish oil. A final dressing of dubbin and birch oil has resulted in a mellow, luxurious, distinctively smelling, well rounded, old fashioned looking piece of leather.

このようなタンナーが狂気ともいえる手間をかけた革が弱いはずがないので、確かめてみました。ハサミで切り込みをいれ破れやすい状態で強い力をかけて見る方法で。そうすることで、床面側の網状層の強度を知ることができます。

結果、いくら力を入れて引っ張っても、破れる気配はありません。(通常のカーフは破れるのに‥)同社の回答どおり、確かな繊維の強度を確認することができました。靴として使用しても破断して履けなくなることはないと確信しています。ロシアンカーフの復刻や、エルメス社も採用していることに注目されがちですが、この革の真価は中身である床面側の網状層と強靭さにあるのかもしれません。

5.なぜ銀割れが起こりやすいか?

2つの要因があると考えています。

1つは、14ヶ月もの尋常ではない期間タンニン槽に漬けこまれ、銀面側の乳頭層にタンニンがえげつない量入り込んでいること。タンニンには強い収れん作用があり、薄い銀面側の乳頭層の繊維を凝縮させます。その度合いが大きすぎることで、硬くなり急激な力に対して割れやすくなったのではないでしょうか。

水に湿らせると凝縮された銀面側の乳頭層(画像の下側)が大きく膨らむことを確認できます。(右側が水に湿らせたロシアンカーフです)

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また、同じ厚みの革を同じ面積切り出し重量を比較しましたが、7gに対しロシアンカーフは11gと1.5倍もの重量。いかに多量のタンニンが革に入り込んでいるかがわかります。

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タンニンは溢れ出すほどで、水に漬け始めた瞬間から色が移り、数分後には濃く入れた紅茶の様になるほど。

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もう一つは、中世の製法を踏襲し、手作業でオイルを刷り込ませていること。通常、革を製造する際に油分を加える必要があります。それには界面活性剤をもちいて水分と油分を乳化させた液に漬け込むことで、均等に加えることができ革としての性質が安定します。

ただ、ロシアンカーフの製造では手作業で加脂しているので、安定的に銀面側に油分を残すことが難しく、結果的に表面が割れやすくなるのではないかと推察しています。

6.どのようにすれば、銀面割れのリスクを低減できるのか?

タンナーの視点で端的に言えば、近代的な手法でコストを落とし効率的に製造することです。以下の要素では、左側であるほうが、より銀面が割れるリスクが高くなりますが、時間もコストもかかります。中世さながらの手法でもあります。その点、ロシアンカーフは全ての要素において分が悪いです。

タンニンなめし > クロムなめし
原皮を鞣し液のピット槽に漬けて鞣す > 鞣し液と原皮をドラムで回して鞣す
手作業で油を加える > 界面活性剤を活用して油を加える
長期間なめし剤に漬ける > 短期間なめし剤に漬ける

J&FJ Baker社には銀面割れについて、色々とクレームや問い合わせが来ているようで、私はこの狂気的ともいえる手間をかけた鞣しをやめてしまうのではないかと危惧しています。仮に漬ける期間を3−4ヶ月まで短縮し、界面活性剤でオイルを添加した方が、ずっと安定してクレームも起きにくいでしょうし。

ただ、それではJ&FJ Baker社のロシアンカーフが持つ、風合い・オーラが消え去ってしまうのではないかとも思います。ここまで非効率で問題が生じてしまう製造を続けることでしか成せない革作りは確かにあります。

(使用者側として、銀割れのリスクを低減し、綺麗に使える方法については、別の機会にまとめたいと思っています。やはりキーは水分油分を銀面側にしっかり与えることになります。)

7.最後に

規格外の情熱、手間、コストをかけたことが直接的な要因でクレームになっているのは、何とも悲しい話。

この革は綺麗に履くには向かないのは確かで、その用途ではHorween社のハッチグレインや、HAAS社のユタカーフなどのほうが適しますし、より求めやすい価格で手に入れることができるでしょう。(もちろん両方とも良い革です)

ただ、中世の風合いをリアルに残した革の風合い。表面だけではなく中身の床面側の網状層まで作り込んだロシアンカーフは、J&FJ Baker社唯一無二だと思っています。使用し続ければ、ところどころ割れながらも、革としての強靭性を保持し続ける枯れた、博物館に展示された革製品のようなエイジングを見せてくれることでしょう。ドレスやカジュアルより、毎日愛用して傷も愛していくワーク好きの方に特に向くかもしれません。

銀割れなどの問題は出てきており、オーダー会でいきなり全員に展開してしまった点は反省しなければならないと思っています。まずは革の特徴を丁寧に説明しつつ、少しずつ展開すべきでした。作る人、売る人も、使う人とロシアンカーフの関係を幸せなものにするために、少しでも本noteが参考になると嬉しいです。

タンナー側の事情や、なかなかロシアンカーフについて悪い印象がついてしまったことから、今後取り寄せるかどうかは難しいところもありますが、私はJ&FJ Baker社が作るロシアンカーフが大好きで、引き渡せなかった靴の一部を引き取りずっと愛用していきたいと思います。

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