30年前のメキシコ日記


昔、旅行に行った時の写真ないかといろいろハードディスクの中を探していた。

すると、とんでもないものが見つかった。

今から三十年ほど前の旅行日記である。

最初の5日間だけであるが、若い時の自分が戻ってくる。

あまりにも長いので、noteとして紹介したい。


1日目 大阪から成田を経由して、ロサンゼルスで乗り換え、昼すぎメキシコシティーに着く。


メキシコシティーは雨であった。 薄暗い入国審査が終え、到着ロビーに出ると少年が寄ってきてタクシーはいらないか?と聞いてくる。

それを無視して市内に向かうバス乗り場を捜すが見当たらない。

後日知った事だが、空港の前の広い道路の向こう側に地下鉄の駅があったのであるが。

しかたなくタクシーで市内に行くことにした。

市内に向かう タクシーの中からの風景は暗いものであった。

窓には雨粒がついて、一層暗い雰囲気をかもしだしている。

しかし、想像していたよりも裕福な国のようである。

買い物もしている人達であろうか傘が歩道をうめている。

人は多い。

30分ほど乗ったであろうか、予約していたホテルに着く。

3000円ほどの値段にしては大きく小奇麗なホテルであった。

フロントの人の英語も分かりやすいし、部屋に案内してくれたボーイも愛想がいい。

日本を出るときに買ったマイルドセブンをチップがわりに渡すと非常に喜んでくれた。

部屋も綺麗で広く日本では10000円はするであろう。

スペイン風にまとめられている。

窓からの景色も高い建物が街に少ないせいか見晴らしがいい。

どうも長く飛行機に乗っていたせいか、それとも高地で空気が薄いせいかは分からないが体が疲れている。

しかし、部屋で休んでいるのも何かもったいない気がするので街にでることにする。

どこか、適当な喫茶店ででも見つけてコーヒーでも飲もうと思ったのである。

ついでに夜食事するレストランも探しておこうとも考えていた。

ホテルを出ようとしたらフロントの人に呼びとめられた。

もう一組日本人がこのホテルに泊まっているという。

その話をしていると、その話題の人達がロビーにおりてきた。

話をするとテレビ関係の人達で取材をしに来ているとの事である。
]
治安のことを尋ねるとお上りさんのような恰好をしていなければ大丈夫との事。

僕の場合旅行は普段着でという主義なので別に気にすることはないであろう。

一歩街に出ると、意外に人が少ない。

ホテルのある所は街の中心地にあたるから、たぶん雨のせいで人通りがすくないのであろう。

家族連れが楽しそうに話をしながら歩いている。

ポンチョを着ている女の人をよく見掛ける。

メキシコにいるという実感が湧いてきた。

少し歩くとレホォマ通りに出た。

この街のメインストリートである。

裏道に入ると屋台が多い。

立って食べる人は少なく持ち帰りが多いようである。

ホテルの近くには適当な喫茶店が見当たらないので、ホテルの中のレストランでコーヒーを飲むことにする。

客はアベックが一組だけだったので窓際の席に座った。

コーヒーはうまくない。

この国もコーヒーを作っているが、いいコーヒーは輸出にまわされて国内で消費するのは質が悪いという話を聞いたことあったが事実であった。

窓の外は相変わらず小さな雨が降っている。

このまま雨が続くのではないかと不安になってきた。

ロビーのほうを見るとアメリカ人の団体が到着したようである。

笑い声がひびき、急にあたりが明るくなった。

金を払って部屋に戻ることにした。体調がよくない。

しかし、まだ物価の感覚が身につかない。

タクシー代が10000ペソ、コーヒーが1500ペソ。 20ペソ1円だから0を一つ間違えそうである。

ベッドの上でうとうとして気が付くと外は暗くなっていた。

食欲も今一つだが、酒でも飲みながら何か食べようとホテルのレストランに行くと多くの客で賑やかであった。

ほとんどが地元の人達である。 少しきどった服を着ている人が多い。

テーブルに案内され、メニューが渡されたがスペイン語でよくわからない。

以前、フランス語のメニューを勉強したことがあったので、その記憶をたよりに注文する。

ただ、ワインの注文だけがうまくいかない。

いろいろな種類を置いてあるらしく、ハウスワインという意味がウエイターに分からなかったようである。

結局なにか相手が言うと、はいはいと返事をして決めてしまった。

スープを入れて3品頼み、ワイン1本を苦労しながら平らげた。

なりしろ量が多かったのである。 ウエイターもよく食うなぁと感心したことでしょう。

勘定は20000ペソ位であった。

残してしまった料理には少し後悔が残ったが。

気持ちよく酔ったので、風呂に入り明日のために早寝をした。


目が覚めるとまだ朝の4時であった。

もう眠れそうにないので、今日の予定を立てることにしてガイドブックに目を通していると地下鉄は朝早くから動いているようである。

朝食はバスセンターでとればいいやと思い、薄暗いうちから移動開始する。

今日も雨である。

道には人通りがほとんどなかったが、地下鉄の駅にもぐると人がパラパラ歩いている。

改札は自動改札であるが、駅のなかには多くの警官が立っている。

治安の悪さを感じる。

客層は若い者とインディオが多い。

日本人が珍しいのか、ちらちら僕の方を見る客が多く緊張してしまう。

パリのメトロを参考にして作ったと聞くが、本当によく似ている。

むしろ、こちらの方が綺麗かもしれない。

字の読めないの人が多いそうで駅ごとに印となる絵が大きく書かれている。

車内の案内もその絵が駅ごとに書いてあった。

途中で乗り替え北部バスターミナルに着くと人込みであふれていた。

雨のため外で店を開くことができないのか、駅とバスターミナルを結ぶ地下道にインディオたちが露店を開いている。

バスターミナルは日本の感覚では考えられない位大きい。

メキシコシティーのバスターミナルが4箇所に分かれているのを納得した。

もし一つにまとめたら迷ってバスに乗るどころではないであろう。

バス会社自体が個人営業の形に近いものが多く、一日5便という会社のカウンターも見受けられる。

国内交通をほとんどバスでまかなっているからでもあろう。とにかく大きい。

人種も雑多でまるで国際空港のようである。

しかし、ここも所得の低い人達が多いようである。

飛行機を除き、メキシコでは公共機関を金持ちは使わないようである。

ここにいた白人の多くはアメリカの若者である。

スナックカウンターでハンバーガーと緑茶に似た紅茶(うまく説明できない)で朝食をすます。

そのあとテオティワカン行きのバス乗り場を探すがなかなか見当たらない。

たどたどしいスペイン語でなんとか探しあて、バスに乗る。早朝なので乗客は5、6名である。

町の郊外の住宅地域を抜けるとそこにはスラム街が広がっていた。

壁や屋根はどこで集めてきたのか、看板や古いトタンで出来ている。

日本の会社の広告が入っている看板もあちらこちら見える。

まるで、戦後すぐの日本の焼け跡住宅を見ているようである。

バスはその中を貫いている高速道路を100kmのスピードで走っていく。

1時間もしないうちにテオティワカン遺跡に着く。

開門まで1時間前であったが、係の人が中に入れてくれた。

誰もいない廃墟のなかに入った。

門番の人が飼っている犬が道連れである。

雨の降るなか遺跡の中心にある死者の道を歩いていく。

まわりの光景は石造りの風化した宮殿が続く。

20分ほど歩くと太陽のピラミッドが見えてきた。

世界で3番目に大きいピラミット。

多くのいけにえの上に立つピラミッドである。

そしてその先には月のピラミッドである。

まず、月のピラミットに登って遺跡全体を眺めたいと思った。

なんといっても人がまだ誰もいないのである。

昔のままの光景が見れるはずである。

急な勾配の階段を犬と一緒に登る。

かなりきつい運動である。

上に登って振り返るとそこには広大な遺跡群が広がっていた。

雨はあがっていた。

煙草をふたしながら、眼下に広がる光景をしばらく見ていた。

目に映る遠くの山々には緑は少なく、あかちゃけた大地がむきだしになっている。

この遺跡がここに出来た理由がよく理解できる。

まわりの山がちょうど遠巻きにこの街を取り囲んでいる。

遠くを列車が通っていったが、音はすぐ近くを通るように聞こえる。

反響がいいのである。

今、私が座っている場所で何人に生贄が神にささげられたことであろうか。

生きたままに人間から心臓をくりぬき、血を神に捧げる祭り。

現代人からみれば野蛮であるが彼らにとっては、太陽がなくなるかどうかの瀬戸際の祭りである。

日本にいるときに読んだ本の内容が頭のなかでよみがえってくる。

まわりに誰もいない。

だんだん不気味になり、ピラミッドを降りた。

ついてきていた犬はつらそうに一緒に降りようとしている。

犬にとってはどうでもいい歴史であろう。

月のピラミッドの横にあるジャガーの宮殿を見ていると突然人が現れた。

この雰囲気のなかだけにびっくりさせられた。遺跡の管理人であった。

朝の掃除である。

なにか言われるかと思ったが黙って私を見ただけであった。

宮殿の中の壁画も綺麗に残っている。スペイン人の破壊はインカほどではなかったようだ。

しばらく、空は灰色、建物も灰色というモノトーンの世界でさまよった。

次第に観光客もぱらぱらと見え出してきた。

体より精神のほうが疲れる。しかし、帰りたくない。

その気持ちを押さえ、遺跡を後にした。

帰りのバスが待ってもこないので、30分ほど近くの街まで、雨風にかわった天気のなか歩く。

さきほどの光景が頭のなかでくるくるまわって辛い道のりであった。

小さな街についてほっとする。

生ている人間を感じられて、ほっと安心した。

さきほどから私を苦しめていたものは、死んだ世界であったようだ。

満員バスに乗り、現代の都会に帰った。



午後の行動はメキシコ国立人類学博物館である。

ホテルから4kmほどであるので歩いていくことにした。

途中、太陽が見えたとおもうと、すぐ真夏に変わった。

先程まで寒さで震えていたのが嘘のようである。

上着を脱ぎ、シャツを腕まくりする。
中程のところでペセロと呼ばれている乗合タクシーで行くことに変更する。

目的の博物館はチャプルテペック公園のなかにあるので、入り口のところで降ろしてもらった。

乗っている間、運転手は私が日本人であるのを知り、お前空手できるか?と聞く。

柔道なら少し知っていると高校の時の授業を思いだし答えると、おれはテコンドオーを習って
いると運転手は自慢をした。

公園に入るとそこは若者の世界であった。

今日は土曜日であったのを思い出す。

日本の祭りのように道の両端には露店が並んでいる。

綿菓子、とうもろこし屋、風船などまさに日本の縁日である。

途中の美術館などに寄り道しているうちに博物館に行く道から外れてしまい、大きな池のほとりに出た。

地図で確かめると、まったく違うところに向かって歩いていたようである。

昼食がまだだったので、屋台でハンバーガーとコーラを買い、ベンチに腰をかけ食べる。

ハンバーガーのなかに挟んであるチレと呼ばれる非常に辛い味がいける。

これなら、食欲が少々なくても食べることができる。

暑い気候のなかで生活する人達の生活の知恵であろう。

タバスコをたっぷり振り掛けたようなものである。

まわりの光景はあまりにものどかである。

午前中の光景が嘘のように感じられる。

子供たちの歓声がひびき、池が太陽のひかりできらきら光る。

幸せな昼さがりである。

100円ほどの食事であったが、元気を取り戻すには充分なものであった。

目的の博物館にむけて歩いていると、人だかりがあった。

人達の視線の方向は空にある。

同じように視線をむけるとそこには足にロープを結び、空中をくるくる廻っている人達がいた。

真ん中に20mほどの棒を立て、その突端からロープが伸びて彼らの足に続いているのである。

ロープは人達がまわるごとに伸びる仕掛けになっている。

棒の頂上には一人の老人が座っておりオカリナのような音がする笛で曲を演奏している。

次第にロープが伸びて、廻っている人達の頭が地面につくところで一連の踊りのようなものが終わった。

時間にして10分ほどであった。

しかし、そこでは時間がゆっくり流れていた。

これは本で読んだことがあったがこんなところで見れるとは幸運である。

この祭りの踊りがあったところが人類博物館の入り口であった。

一流ホテルかと見間違えるようなロビーを通り中庭にでると、一本の柱に支えられた50m四方もある大きな屋根が目に飛び込んできた。

メキシコの人には失礼だが、こんなにすごいものがここにあっていいのだろうか?と感じてしまった。

その柱は直径5m程しかなく壁を伝わって水が流れ落ち、まるで噴水が大きな屋根を空に押し上げているように見える。

UFOが頭の上に浮かんでいるようである。

ここではとにかく太陽の石を見たかった。

ある場所は分かっていたが、はやる気持ちを押さえ、古代からじっくりとメキシコの歴史をたどることにした。

しかし、土器などはどこの国でもよく似ている。

そのまま日本に持ってきて博物館に展示していてもだれも違和感はかんじないであろう。

土偶などもまったく同じである。

太平洋を越えても人類の歩みは同じであると感動する。

ただ、メキシコの土偶にははっきりと性器がついており、女性男性の区別がつくところは日本とちがっているが、違いはそこだけである。

鼎などは3本足というところまで同じで場所がちがっても神に対して人間の発想の共通点に感心してしまった。

人類学の専攻の大学生に混じって、学校の宿題なのか中学生らしい子供たちが一生懸命説明書きを写している。

あいにく英語の説明文がないので本で読んできた知識だけがたよりである。

しかし、百聞は一見にしかずのことわざの通り、貴重な体験であった。

目的の太陽の石は偉大で、そして人間に何かを訴えているように感じられた。

そして当たり前のことだが、日本で見た写真と同じものが本当にあった。

バスでホテルに戻り、今日買い集めた本を部屋に置き、再び街にでかけた。

もうすでに夕暮れで街灯がつき始めていた。

今までみた街はメキシコシティーの新しい部分であったので、中世の面影が残る旧市街を歩くことにした。

歩いてみると、そこはヨーロッパであった。

石造りの建物はまさにそのものであり、ただ歩いている人達がメキシコの人である。

なにか期待はずれを感じ、その街の中心であるソカロから家路を急ぐ人達に混じってメトロに乗った。

行き先はどこでもよかった。

しばらく乗ると、地上に出た。

人込みに揉まれて、適当な駅で降りてホームから街を眺めてみた。

確かにここはメキシコである。

しかし、今日見てきた文明はどこに行ったのであろうか?

ホームのベンチにしばらく座っていると空腹を感じた。

そういえば、この町の一番の繁華街に行っていなかったのを思いだし、メトロを乗り継ぎ行ってみた。

そこもアメリカ文明の吹き溜まりであった。

やけくそで、まさにアメリカ文化というファミリーレストランで、フライドチキンをつまみにバドワイザーを飲み、明日はこのアメリカから逃
げだそうと決心した。

この近くにホテルを取らなかっただけでも幸運であったが。

ホテルに戻って、パブでメキシコのマルガリータを飲みながら聞いているとだんだん平常心もどってきた。

しかし、皮肉なことにこのカクテルもカリホォルニアで考えられたとの事。

中に入っているテキーラだけがメキシコである。

明日はオアハカである。

今日、ふと立ち寄った飛行機会社で手に入れた航空券を見ながら眠りにつく。



今日も4時に目がさめた。まさに老人の生活である。

そろそろ日本に電話でも入れておくかと思いフロントに行くと眠たそうな顔をして係の人が出てきた。

昨日に続き早くから動いているので、ここのホテルの人達は日本人は早起きと思い込んだであろう。

部屋からの直通の国際電話は使えないので、フロントに頼んだのである。

頼んでから20分ほどかかって日本に通じる。

電話回線はあまり発達していないようである。

電話の後、今日の予定をフロントに言っておくことにした。

今晩はオアハカに泊まるつもりなので帰らないと言う事を伝えようとしたのだが、なかなか理解してくれない。

部屋をそのままにしておくという事が理解できなかったようである。

泊まりもしない部屋代を払うという事をである。

私ももったいない気がしたが、荷物をフロントに預けるほどはメキシコ人をこのときはまだ信用していなかったのである。

昨日取れた飛行機の切符が6時発のものであったので、タクシーで空港に向かう。

こんなに早くから人が移動するのかな?と思っていたが、いざ空港に着くと結構人が多い。

チェックインを済ませ、セキュリティを通って搭乗待合室に入るとそこは別世界であった。

と言うのは、チェックインするロビーは殺風景で寒々した雰囲気があったのに、ここは絨毯が敷きつめられ、ブティックを始めいろいろな店があり、そしてなによりも昨日のバスターミナルとは客層が違うのである。

この時、初めてこの国の貧富の差の激しさを実感したわけである。

自分の恰好が恥ずかしく感じたほどここにいる人達の服装は華やかであった。

少し汚い恰好しすぎたかな?と後悔する。

1時間ほどのフライトでオアハカの空港に到着。

空港から町の中心まで乗合タクシーを使う。

さすがにここまで来ると英語が通じない。

スペイン語すら通じない村もあるそうである。

ここはインディオ達の州である。

相乗りタクシーは倉庫のような建物が並ぶ通りで僕を降ろした。

降りた時運転手がそばに寄ってきて、両替をしないかとの誘い。

この国で初めての闇両替である。

まだ、レートが分からないので断ることにし、ソカロは何方だともう一度確認する。

言われた方向にしばらく歩くと木がたくさん植えられている公園に着く。

緑の多い珍しいソカロである。

ソカロとは街の中心にある広場のことで、メキシコなどスペイン系の文化を持っている国では町を歩きはじめるのにはもっここいの場所である。

そして、先程倉庫と思っていた建物はこの町では普通のものである事に気が付いた。

壁にペンキで屋号を書いているものが多い。

**ホテルという具合にである。

まだ7時すぎで人影も少ないソカロで途方にくれてしまった。

なにしろ詳しい地図もないし、英語の分かりそうな人もいないし、ベンチに腰をかけ、一思案。

とにかく動こうと近くにいた警官に2等バスターミナルの場所を聞く。

ここからミトラ遺跡行きのバスが出ていると本に書いてある。

この国の警官の数は多い。

失業者対策のためとの話もある。

質が悪いから気をつけよと言う話も聞いている。

そこにいた警官も不信そうな顔で僕を見ていたが、話かけると笑顔に変わり、親切に身振り手振りで場所を教えてくれた。

かなり、複雑そうなので、また適当なところで誰かに聞けばいいやとその場所から歩きだした。

10分ほど歩くと、ジョギングをしている若者にあった。

この人なら英語が分かりそうだと声をかけると残念ながら駄目だと言う。

しかし、彼は僕に興味を持ったらしくいろいろ話かけてくる。

どこから来た?日本か。スポーツは何している?

野球か。俺はサッカーだ。

うまくなってプロになるつもりだ。

ミトラに行きたいって。

そうか案内してやろう。

まぁ、片言のスペイン語でよくここまで会話ができるものだと我れながら感心する。

彼が連れて行ってくれた所は市場であった。

その横にバスターミナルもあった。蠅が多く体にまとわりついてくる。

一種独特の臭いもある。

しかし、やっと旅行しているという気分がしてきた。

ここはまさに私が期待していたメキシコである。

彼と別れ、バスターミナルに入ると物貰いの年寄りや子供が寄ってきた。

手を差しだし、哀れそうな顔つきで話かけてくる。

すると、近くにいた男が寄って来てこれらの物貰い達を外に追い出して、僕に向かって、もう大丈夫だよって顔をする。

何かここには2種類の人間がいるようである。

階級がはっきりしていると言ったほうがいいかもしれない。

その男にミトラに行きたいと言うと、乗り場に案内してくれた。

切符はバスのなかで買えと言う。

その男が見張っているのでもう物貰いは寄って来なかった。

MITLAと書いたバスが来たので一番に乗り込む。

遠慮がちに一番後ろの席に陣取ることにする。

その後に綿菓子を棒にたくさんつけた男が乗ってきて僕の横に座ろうとしたが、僕と視線が合うとまた降りてしまった。

どこにでも外国人が苦手な人がいるのだなぁと気づく。

運転手が乗ってきたので切符を買おうとするが手を振るだけである。

しばらくすると荷物と客で満員になった。

東京のラッシュ並みである。

しかし、切符を買っている客が見当たらない。

そして、バスは発車した。

ゆっくりとしたスピードで町中を抜けていく。

途中でまだ客を乗せようとする。

不思議なことにもう乗れないと思ってもなんとか乗ってしまう。

町外れには、バラックの家々が続く。

先程の物貰いの人達はここに住んでいるのだろうか。

この町では自転車が流行っているらしく、新車と思われるものに乗って自慢そうに走っている少年をよく見掛ける。

サッカーチームの少年もよく見掛ける。

先程会ったジョギングの若者がサッカーをしていると自慢していた気持ちが分かった。

家庭がある程度裕福な証拠でもあるのだろう。

町を出ると一直線の道路になった。

これがパンアメリカン-ハイウエーであろう。

このバスのエンジンの限界ではないかと思えるくらいのスピードで走り出す。

郊外に出たと思うと前の方から人込みが揺れ始めた。

様子を見ると車掌が運賃を集め始めたようである。

後ろから集めるらしく、最初に僕の所にきた。

何か言ったのだが分かるわけないので、ミトラと言って2000ペソ(日本円で100円)を出した。

少なければ文句を言うはずである。

やはり、何か言ったので、ポケットをごぞごそしていると手を振ってもういいと言う。

なんかよく分からない。しばらくしてまた車掌が僕のところに来た。

お釣りがあったのである。

しかし、切符はくれない。

いや、無いようである。

誰も切符らしいものを貰っている気配がない。

よく、この乗客の数で間違えずに集金できるものである。

窓からの景色は乾燥したものが続く。土地もやせている。

この国の貧しさの原因はこの辺にありそうである。

途中の町で大部分の人が降りた。

ここで市が開かれているようである。

荷物もほとんど降ろされた。

いろいろな民族衣装を着た人達が行きかっている。

噂に聞くティアンギスと呼ばれる週一回の市に間違いないようである。

インディオの市である。

オアハカを出発してから1時間ほどで終点のミトラに着く。

白い家並みが印象的である。

鮮やかな民族衣装がさらに美しく見える。

しかし、バスを降りたのはいいが遺跡はどこにあるのだろう。

タクシーの運転手が2000ペソで遺跡までどうだいと声をかけてくる。

自分の足でと思ってしばらく案内板を探したが見つからず、不本意にもタクシーの世話になる。

5分ほどで遺跡に着く。

距離にして1kmほどである。

バスの料金とタクシー代を比較して???と思ったが、後の祭りである。

入り口で入場料を払おうとすると、今日は日曜だからいらないと言う。

そうか、今日は日曜なのだと変に納得してしまった。

ここの遺跡は日本に面白いところで関係する。

今は明治村にある旧帝国ホテルのモザイク模様はここの遺跡から借用したものである。

帝国ホテルを設計したアメリカ人、F.L.ライトが絶賛した遺跡であるからである。

なるほど遺跡の正面からの構図も、帝国ホテルを思い出させる。

遺跡の中に入る木のドアが閉まっていたが、ちょうどその時フランス人の団体がバスで到着してくれて、ガイドがそれを開けたので、その後について入ることにした。

中のモザイク模様はさらに素晴らしく、よくここまで細かくできたものだと感心する。

この文明を作った人達はどこに行ってしまったのだろう。

太陽が高く登ると一層暑さを感じる。ここは熱帯である。

日差しが強い。

家の壁を白くしている理由が分かった。

太陽の熱を避けるためである。

暑くなる前にオアハカの町に帰ろうと考え、タクシーで来た道を歩いて戻る。

途中で民芸品を手にいれた。

ここで手にいれた物が都会では0が一つ増えて売られていた。

とにかく物が安い。

たくさん買いたいが荷物になるのであきらめる。

残念だが、荷物が増えていろいろ他のものが見れないよりましであるからだ。

メキシコシティーからの荷物はカメラ一つであったので、バッグを買い土産をそのなかにいれる。

バッグも民芸品である。

少しは荷物を持っていないと今日のホテルが取れないかもしれないと不安になったからである。

バス停で待っていると反対方向のバスが止まり、車掌が僕を呼ぶ。

なにかと思って近寄ると来るときのバスの車掌であった。

とにかく乗れと言う。

他に待っている客は乗ろうとしない。

反対方向なのにいいのかな?と思って乗ると、しばらく走った後、Uターンして先程のバス停に戻った。

なるほど、特別に先に乗せてくれたわけである。

外国人には優しい土地柄である。

途中、来る時に止まった市が開かれている町に長く停車して、オアハカのバスターミナルに戻った。

そこでバスを乗り換えソカロに戻ると、ちょうど正午であった。

ソカロに面したホテルに泊まることにした。

窓から緑の多いソカロが見渡せるいい部屋である。

ソカロでは町のオーケストラが演奏をしている。

30人くらいの楽団で、みんな楽しそうに演奏している。

それを聞きながら昼食を取る。

旅のいい所の一つに昼間からビールを飲めるということがある。

ビールを注文すると必ずどの銘柄にするか尋ねてくる。

テカテというのを頼むとレモンが一緒に出てくるので、ついこれを頼んでしまう。

食事が終わると酔ったのか眠たくなる。

部屋に戻り昼寝をすることにする。

窓の外からはオーケストラの音が聞こえてきて、まさに天国である。

ふっと、頭の中が真っ白になる。

これが無我の境地と人は言うのであろうか。

初めての経験であった。

幸せの極致である。




眠りから覚める。かれこれ1時間ほど眠っていたようである。

窓の外を見ると、子供た ちが楽しそうにはしゃいでいる。

その横には母親であろうか編み物をしている。

気持ち のいい昼下がりである。

昼食をとった時は気がつかなかったが、いろいろな店が出てい る。

観光客相手であろうかインディオの親子が店を開いている。

町を歩くことにする。

ここは民芸品の宝庫と聞いている。

メルカードと呼ばれる市場 に一歩足を踏み入れると、雑踏と喧騒の世界であった。

町に動きがゆっくりしているだ けに、一種独特の雰囲気がある。

体育館のような建物で窓がなく、品物も天井近くまで 積みあげて、人がすれちがうのも辛いぐらいの道しかとっていないので、暗くでごみご みしている。

生活に必要なすべてがそろっている。

その中のものに結構土産物になるも のが多い。

たとえば、テーブルクロスなどは100円位でいいものにめぐりあえる。

同 僚の土産にと10枚買うと、店のおばさんはなぜこんなに買うのか不思議そうにしてい た。

まさか100円のテーブルクロスとは思わないであろう。

大きな刺繍もされている から少なくとも1000円位には見える。

食堂だけが集まっている部分もある。

食堂といっても屋台と言った方がよいカウンタ ーだけのものである。

同じようなものを売っているのだが、それなりに個性があるらし く、流行っている店とそうでないものがある。

肉料理が主である。

いろいろな臭いが混 じっているが、やはり主食のとうもろこしの臭いが強い。

別に腹は減っていなかったが、 適当な店に腰をかけ、これまた適当に注文すると、大きな皿に鳥肉が出てきた。

スー プの中に鳥の足が1本浮かんでいる。

そして、トルティージャと呼ばれるとうもろこし の粉を薄く円板状に焼いたものが3枚出てくる。

ビールも頼んでいたので、その横にそ れが並ぶ。

メキシコではビールにはコップが出て来ない時が多い。

おかげでビールのラ ッパ飲みの美味しさを知った。

まず、一口ビールを飲んで、スプーンで鳥の足に挑む。

なかなか食べにくいが、他に食器がないし、スープの中に手を突っ込んで、手で食べる というわけにはいかないのである。

肉にはあまり味が付いていないので、スープを口の 中に流しこみながら食べる。

味は薄いカレー味にタバスコを振り掛けた感じである。

ち と、選択ミスかなと思いながら、ビールを追加して残さず食べた。

ただし、トルティー ジャは残ってしまった。

タコスにも、このトルティージャが台になっているので食べた ことある人も多いと思う。

僕はどうもあの臭いに弱い。

完全に満腹になったので、腹ごなしに散歩をする。

道に面している壁はおせいじにも 綺麗と言えない家ばかりであるが、家の中をのぞくと、中庭はどの家も花で飾りつけて いる。

中庭を大事にするスペイン文化の影響であろう。

それにしても、もうすこし外に 金を掛けたらいいのにと思う。散歩していても、同じ色の壁だけがずっと続くだけだか ら、退屈する。

港町の倉庫街を歩いているようである。

旅行社を見つけたので入ってみる。

明日予定しているモンテアルバン遺跡に行くバス を尋ねるためである。

そこにいた女の人は英語が分かる。

メキシコに来て英語のありが たみを痛感している。

英語を聞くとほっとするのである。

英語の苦手な私なのですが。

話を聞くとどうもツアーを使わないと行けないようである。

どうせだから、明日8時発 のものに予約を入れておく。

ついでに、インディオの民族ダンスを見せてくれる場所も 尋ねる。

この町に来たもう一つの目的である。

遺跡の石にも描かれている古来からの踊 りにも関係しているものである。

本来、7月に行われるオアハカ州各地から民族衣装で 集まった人々によって踊られるものであるが、観光客相手に毎日どこかでやっていると ガイドブックにはある。

聞いてみると、僕が泊まったそぐ近くのホテルであると言う。

予約はそこで直にしてくれとの事であるので、帰りに予約もしておいた。

ダンスショーが始まるまでしばらく時間があるので、ソカロで時間を潰す。

とにかく、 1時間ボケーとしていたのである。

しかし、その間数十回声を掛けられたが。

面白い もので暇そうな人間には声をかけやすいのであろうか。

ほとんどが物売りのたぐいであるが、なかには、アメリカの若い女性もいた。

みんなここにいる人達は暇なんだなぁと 感じる。

いや、暇を楽しんでいるようにも感じるが。

ほとんどの大人はソカロの中央で 演奏しているオーケストラに耳を傾けながら、ぼーとしている。

元気に動き回ってるの は子供たちだけである。

まだ開演まで時間があるが、いい席を取りたいので例のホテルに行く。

半数ぐらいの 席がもう埋まっていたが、予約していたお蔭でいい席を取っておいてくれた。

テーブル に案内されると、若いカップルと相席である。

今晩はと挨拶をして座ると、どこから来 たか?と尋ねられる。

メキシコに来て感じることだが、僕を日系アメリカ人と間違える ようである。

日本からと答えると必ずびっくりされる。

この時もそうであった。

しばら くして僕の知っているスペイン語が出尽くしたので、困っていると男の方が英語でいいよと言う。

女の方は英語はだめなようである。

英語は彼にとって第二外国語なので僕と いい勝負である。

急に、リラックスして話せるようになる。

なぜ、メキシコに来たのか? とか、どこに行ったか?どこに行くつもりか?といろいろ尋ねてくる。

遺跡めぐりを していると話すとますます僕に興味を持ったらしく、メキシコ以外に行った所を聞いて くる。

ヨーロッパの話などして、イタリアの話になり、イタリアのどこが良かったか? という所まで突っ込んでくる。

フイレンツェやベニスの事をしばらく話すと非常に機嫌 がよい。

そして、アメリカには行ったか?と聞くので、歴史のない国には興味がないと 答えた。

これが、最高のキーワードになったようである。

今まで自分のことを話さなか った彼が急にいろいろと話し出したのである。

内容は簡単に言うとこんな様子であった。

彼の父親はドイツ人で母親はイタリア人である。

今はスイスのチューリッヒに住んで いる。

以前、メキシコに旅行したときにカンクンのユースホステルで今横にいる彼女と 知り合って結婚した。

今回の旅行はバケーションを兼ねての里帰りである。

明日はいよ いよメキシコシティーにいる彼女の家族と再会できるので楽しみである。

日本の音楽に は興味がある。

レコードも何枚か持っている。

そして、名刺を渡された。

そこにはミュージシャンと書かれていた。

ここまで話したところでショーが始まった。

ヨーロッパのフォークダンスと衣装は華 やかなのは似ているが、ここの踊りの方が動きが早い。

また感情的でもある。

恋愛、求 婚を題材にしたものが多く、踊りのなかに物語があり、見ていてその筋がよく分かる。

10グループぐらい入れ代わり登場した。

男が女を追っ掛けるところなどは、お互い真 剣に逃げ、そして追い掛け、まるで本当のカップルが出来るのではないかと錯覚したぐ らいである。

女の顔が真っ赤に恥じらう姿は今でも印象的である。

この踊りを見れただ けでもメキシコに来た価値がある。

素晴らしいあっという間の2時間であった。

この時 ほどビデオを持ってきていたらなぁと思ったことはない。

おどりの感想を言い会っている間に話はさらに発展し、明日の夜メキシコシティーの彼 女の実家に招待するということまでになった。

明日がぼくの**回目の誕生日というこ とを知ったからである。

明日のお互いの飛行機の便を確認しあい、その夜は別れた。

今 日の酒代も彼がもってくれた。

断ると彼女はブルジュワだからと言われたので、ありが たく御馳走になった。

ますます不思議なカップルに思えた。

ショーのあったホテルを出ても自分のホテルの部屋に帰ろうという気分になれない。

あまりにも興奮してしまって、この気分をいつまでも味わいたいと思い、近くにあった バーに入る。

大好きなカンパリソーダを何杯もおかわりして、今日の踊りの世界で遊ん だ。



夜中に目が覚める。

アメリカの馬鹿学生どもが酒を飲んで、ホテルの前の広場で騒いで いる。

怒鳴ってやろうと、窓を開けると、他の客も目を覚ましたらしく先に怒鳴られて しまった。

しかし、僕が先でなくてよかったと思う。

なにしろ、悪口のボキャブァリー が少ないから、すぐ話が終わってしまう。

怒鳴った客もアメリカ人らしく、かなり長く 怒鳴っていた。

その後はまた静かになる。

今日もいい天気である。

朝が気持ちいい。

緑を見ながら朝食と洒落こむことにする。

ソカロに面しているホテルだから、近くにカフェテラスは不自由しない。

僕が最初の客 である。

ソカロの緑を見ながら、コンチネンタルスタイルの朝食である。

ヨーロッパか らの観光客が多いせいであろう、ちゃんとコンチネンタルとメニューにある。

しばらく すると客もぱらぱら増えてくる。

それを目当てに新聞売りがやってくる。

楽器を演奏す る少年も準備を始めている。

ここのソカロにも楽器の演奏をして、チップを貰って生活 をしている人が結構いる。

昨日は、素晴らしいギターの演奏家に出会った。

かなり待っ て食事が届く。

別にイライラしなくなっている自分に気がつく。

生活のリズムがこの国 に合ってきたのであろう。

ふらふらっと老人がやって来て、テーブルの上のパンをくれ と言う。

いいよって言うと当たり前のような顔をしてもって行く。

楽器弾きの少年も音合わせが終わったようでバイオリンとギターの演奏を始める。

こりゃひどい。

音楽とい うものではない。

まだ、習い始めたばかりであろう。

しばらく笑いを堪えて聞く。

まあ 、のんびりした光景である。

朝のさわやかさがさらに気持ちがよい。

老人は早起きと言 われるが、人間を長くやっていると、自然に朝のさわやかさのありがたみが体で分かる のであろう。

部屋に戻り、荷物を整理し、チェックアウトする。

荷物はフロントに預け、昨日の旅 行社の前で集合を待つ。

時間になるとガイドがやって来て、ツァーの客を集めバスに案 内する。

客の話声を聞くと、英語、スペイン語、フランス語までは聞きとれた。

少なく とも、4カ国の混成ツァーである。

雰囲気から見るにメキシコ人はいないようである。

いたとしても2、3人のようであろう。

バスは町中を出て、山を登り始める。

急な坂道である。ガードレールがないので、ひ やひやものである。

30分もしないうちにモンテ・アルバン遺跡に着く。

本には丘の上 とあるが、結構高い山の上である。

ガイドの連れられて1時間ほどの説明があり、その後は自由行動となった。

しかし、説明と言うより授業という感じである。

客とガイドが 論争を始め、さらに別の客がそれに加わる。

ガイドも大変であろう。

客のほとんどが考古学に興味を持っており、専門家もいるようである。

かなり突っ込んだ話のようである。

ここはまだ完全に発掘調査が終わっていない。

ひょっとすると、金銀財宝がまだまだ 出てくる可能性があるので、ついつい発掘中のところで足が止まってしまう。

それにし ても暑い。

乾期なので空気も乾燥していて喉が乾く。

数本ある木の下に逃げ込んでいる 人も多い。

午前中に来て良かったと思う。

午後の暑さでは見学どころでないであろう。

ピラミッドの上に登ると、360度のパノラマである。

オアハカの盆地が全て見える。

色は赤茶である。風が気持ちいい。

バスを降りた所に休憩所があったのを思いだし、喉の渇きを癒しにそこに戻る。

コー ラを頼んでお金を払うと、おつりがないと言う。

2、3度要求したけれど、おつりをよこす気配がない。

他の人の様子を見ると、やっぱりおつりを貰っている気配がない。

ま ぁ、どうせ2,30円と思い、あきらめてテーブルで飲む。

ここの建物は最近できたよ うである。ここ以外に建物はない。

もし、日本にこれだけの遺跡があれば、門前町がで きるであろう。

まだまだ観光化されていないようである。

メキシコは国家事業として観 光に力を入れ始めたと聞く。

このような遺跡が各地に散らばっているのだから、きっと 成功するであろう。

建物の外に出ると、インディオのおばさん達が土産物を道に広げて売っている。

値段 を聞くとべらぼうに安い。

休憩所の中にあった土産物店も安かった。

日本で売ったとし たら10倍の値段をつけてもすぐに売り切れるであろう。

買いたいのをじっと我慢する。 黒陶のパイプだけを100円で買う。

ジュースをビニール袋に入れて売っている。

美 味しそうだが、まだ下痢をしたくないのでこれも我慢する。

結局ここに2時間ほど滞在してオアハカの町に戻る。

ソカロにある緑がオアシスのように感じた。

ビールを飲みながら昼食でもと、手近な レストランに入りテーブルに座ると隣に日本人らしい青年がビールを飲んでいる。

色が かなり黒いので、こんにちはと日本語で言うと日本語が戻ってきた。

相席になって話相 手になってもらう。

この一年南米を旅行していろいろ中米を見ながら日本に帰る途中と いう。

南米の話をいろいろ聞くことにする。

彼の話の中で特におもしろかったのは、女、 泥棒、けんかの話である。

まず女の話をすると  よく南米では若い女性と知り合いになるのである。

しばらく付き合うと当然二人になれる所に行こうと相手から誘いがかかる。

この時の決断が楽しいと言う。

先に地獄がある か、天国があるかの運命の別れ目であるからである。

地獄とは、行った場所には頑強な 男たちが待っている。

天国はみなさんが想像した事である。

いろいろ悩んでエイと決断 すると言う。

泥棒の話では  とにかく治安が悪い。

あの手この手で盗みを働く。夜などブラジルでは歩けないと言う。

あるホテルに滞在している時の話である。

そのホテルは本館と別館とに分かれていて 100Mほど離れているという。

夜遅くまで、本館で友達と酒を飲んでいて自分の部屋 がある別館に帰るときに二人組の強盗に襲われ、パンツ一つにされてしまった。

翌日は あぶないから4人で本館から別館に移ろうとすると、今度は6人組に襲われ、二日連続 で裸にされてしまったという。

強盗に襲われたらとにかく手向かってはいけないという。

命まではとらないから。

現実に手向かって殺された人間も知っているという。

けんかの話では  バーで飲んでいると日本人が珍しいものだから、話かけてくる男が多い。

一人の男と話 していると、また別の男が話しかけてくる。

すると、初めに話していた男が、この日本人は俺と話しているのだから、どこかに行けと言う。

そうすると二人の間にけんかが始 まるわけである。

どちらかがグロッキーになるまでの徹底したけんかだそうである。

仲裁しようとしても、そうなった時はもう遅いという。

その他、行って面白かった場所とか、交通面などいろいろ次は南米行きを計画している 私にとって貴重な話をしてもらった。

突然、彼がオッと声をあげた。

僕の横にはもう一人日本人が立っていた。

ふたりは以 前会った事あるようだ。

ふたりの話しを聞いていると、ブラジルで知り合ったそうである。

それから、ずっと会っていなくてまたこのオアハカで会ったのである。

二人ともこの偶然を非常に喜んでいる。

その後3人で改めて乾杯をしてまた話を始める。

この二人 に共通しているのは、小柄で痩せていて、話し方がのんびりしているという点である。

ゆっくり話すものだからなかなか話が前を向いて進まないのである。

そういえばお互い職業も名前も聞いていなかったなあという事に気がつき、自己紹介をする。

なんとこの 二人の間でもされてなかったのである。

先に会った人はデザイナーで一年の間南米を回 り、民族衣装を見て日本での服のデザインするときに参考にするそうである。

あとから の人は大学生で、日本を出て、トルコから始まり中東から東南アジアを通り、オースト ラリアから南米に渡ったという。

目的は女という。

そろそろ金がなくなったから、日本 に金を稼ぎに戻ろうかなと考えているという。

この大学生からは女の話しをたっぷり聞 いた。

確かに性格がさっぱりしているからさぞかし女にもてたろうと思う。

女の話しの時に、大学生がデザイナーの人にあの女どうなった?と尋ねる。

ふたりの話しから想像 するにデザイナーさんはチリで女に惚れられ、あなたの子供が欲しいと言われ、作って しまったそうである。

アレアレこうなると僕の価値感ではついていけない。

まあ、とに かく楽しい二人である。ふたりの会話を聞いていると???となることが多い。

たとえ ば、こうである。

大学生   今日、ドルからペソに両替したよ

デザイナー すごい。ちゃんと生活している。

大学生   ははは

デザイナー よし、僕は今日シャンプー買おう

大学生   そうそう、一日ひとつは何かしないとね もう一つ

デザイナー ホテルどんな所に泊まっている?

大学生   7000ペソで、きたない所

デザイナー ほう、安い。僕は8000ペソもする。

どこ?そのホテル。

注)1円=20ペソ

3時間くらい同じレストランで話していたようである。

もう飛行機の出発時間がせまっ ている。その事を伝えるとリッチだなぁと言われる。

さぁ、どっちがリッチか?悩むと ころである。

ホテルに帰り、荷物を受け取って、空港にタクシーで急ぐ。

タクシーの中で彼ら二人 のことを思った。

彼らはもう日本で生活できないであろうと。



オアハカの空港に着くと、がらんと人気が少ない。

あと、1時間余りでメキシコシティ ー行きの飛行機が出るというのに、人はパラパラ見掛けるくらいである。

チェックイン のカウンターも開いていない。

煙草が切れたので買おうと思ってポケットを手を突っ込 むと小銭しかない。

メキシコで小銭というと数十円くらいの価値しかないので、物を買 うときは紙幣が必要である。

銀行は閉まっているし、煙草を売っている店でUSドルを 見せても、それではだめだと言う。

仕方ないので取って置きのテクニックを使うことに する。

あまり使いたくない方法であるが、ヨーロッパ旅行中に覚えたテクニックである。

その時は偶然であったのだが。

数軒ある店でおばさんが店番をしているのをまず捜す。

そして、おばさんが後ろを向 いたときに、おじょうさんと声をかけるのである。

振り返る姿はおばさんの上機嫌の顔 となるわけである。

それに追い討ちをかけて、困ったような顔をするのが、もう一つ必 要である。

間違えたという事を相手に分からせないといけないからである。

よっぽどの 事でないかぎり、その後の頼み事は聞いてくれる。

今ではお嬢さんという単語は僕が、 その国に行ったらまず覚える言葉となっている。

その後のドルからペソへの交換は公定レートと同じもしくはよいもので換えてくれた 次第である。

無事、煙草を買った後で、昨日約束していたカップルがやって来た。

どうせ時間通り に出るわけないから、コーヒーでも飲もうと喫茶店に入る。

彼女が僕たちのチケットを チェックインしている間に、彼から彼女に聞かれてはまずい事を聞く。

それは、彼女の 妹は絶世の美人で彼女より妹の方がいいということである。

そして嬉しいことに妹は日 本の大ファンであるという。完全に期待してしまった。

大学生というから、若いし、・・・。

チェックインする時に、僕の荷物の少なさに呆れられてしまった。

小さなショルダー 一つだったからである。

このショルダーだってここオアハカで買ったものだというとま すます呆れられた。

荷物はメキシコシティーのホテルに預けてあると言ったのだが、ま ぁ、感心された。

治安の悪さを知っているからであろう。

飛行機は約1時間遅れで出発する。飛行機に乗っている間、中はがらがらだったので 席を移動する。

それは2人がいちゃつき始めたからである。人の目を気にしないのは、 フランス並みである。

2000万都市の夜景が見えてきて、無事到着。

バゲージクレームを抜けると、彼女 の両親、おばさんが熱烈歓迎である。

当然、私にではなく、国際結婚でスイスに行って いた彼女をである。

そこで、彼らに紹介され、家に車で向かう。

住所を聞くと、街のど 真ん中である。

日本で言えば、新宿の伊勢丹付近である。

すごい所に住んでいるなぁ、 と期待していたが、到着した所は人通りが少ない所であった。

車は道路に駐車してもい いらしくが、いつも自分が止めている場所に別の車が止まっていると憤慨している。

そして、案内された家がビルの最上階であった。

エレベーターはついてなく、階段の 感触からして、5階だったような記憶がある。

しかし、こんな所でもパティオがあった のには感心する。

トイレに行った時、窓から見えた。

居間に案内されて、もう一度自己 紹介する。

旦那が通訳である。職業を言った時は?てな顔をしていたが。

日本のレコー ドを持ってくる。

見てびっくり。琴、尺八などのたぐいである。

う~ん、ここではまだ 日本はこの程度の理解かと考える。

しかし、ステレオ(日本では旧式のセパレートの物 )でそれをかけてくれるが、マリアリッチの方がいいと言うと、家族が集まって、これ がいい、いやこっちの方がいいと議論が始まって、結局父親の意見が通り、それになる。

その父親はまだ封の切っていないレキーラと塩、そして、バッタの空揚げを持ってき て乾杯しようと言う。

コップは2ccくらいの小さなワイングラスである。

原液のまま 注いで、一気に飲む。

飲みっぷりが良かったのか父親は上機嫌で、次々注いでくれる。

塩をまず口の中に入れて、それから飲む方法を教えてくれる。

こうすると美味いという。 ソルティドッグの出所を知ったようである。

バッタの空揚げも、この酒に合う。

量は 食べれないが。スイス人の旦那は僕が平気で食べているのを感心して見ている。

よく、 食べれるなぁ、私は駄目だと言う。

結構、酔ったところで食堂に呼ばれる。

メニューはチレソースで煮込んだ肉、日本で もよく見掛ける黒豆の砂糖煮、トルティージャの焼いたものと、油で揚げたもの、オレ ンジジュースである。

あの辛さ、あの甘さ、僕はこれから少々の味の極端なものでも食 べれると自信をつけてしまった。

飛行機の中でも簡単な食事が出ていたので、あんまり 食べれなかった。

お替わりをしろとみんなが勧めてくれるけれど、お腹の中はいろいな 物が喧嘩している状態でもう食べれない。

しかし、こうすればもっと食べれると、トル ティージャに挟んで食べる方法など教えてくれるので、もうすこしだけ食べる。

旦那が 助け船をだしてくれて、食事は終わりとなる。

しかし、噂の妹がいない。

尋ねると、ま だ大学に残って研究していて、これから、迎えにいくつもりであると言う。

みんなに漢 字の授業をしばらくして、お暇することにした。

家族総出で家の外まで送ってくれる。 タクシーを止めて、値段を値切ってもくれた。

タクシーの乗った後、街灯だけがついている町並みを見ながら考えたことは、幸せと はなんだろう?ということだった。

今日は、僕の誕生日。

いい思い出が出来 た。

いい思い出を持っている事が、それに近いのではと思った。

ホテルの人も、まるで 自分の家に戻ったように迎えてくれた。

オアハカはよかったか?とか困ったことはなか ったか?と尋ねてくれる。

フロントの人はオアハカの出身である。

オアハカとはメキシ コのインディオの故郷でもあった。

その夜も、ホテルのカフェでソルティドッグを飲み ながら楽しい思い出にひたる事ができた。



残念ながら、ここで終わっていた・・

もっと読みたいのだが、もう今はない。


30年前の自分に出会えた。



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フーテン

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