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「見た目」に縛られる女たち ー最終回 問題への応答とあとがきー

問題への応答

さて、ここまでの例を見たうえで、冒頭のマツコと村上の会話で明らかにされた美醜の問題を考えよう。

1、男の武器は財産。女の武器は美貌。

オルフェスのCMのようにイケメンとブサメンで女性の態度が変わるというような出来事は実際よくある。本来男にとっても美醜は大切なのだが、社会的に見た目以外の部分で権力が持てるよう吹き込まれているため、男性は財産があり社会的に高い位置の肩書を持っていれば女が寄ってくるのも事実だ。

女はどうだろう。マツコのいう「男の武器は財産、女の武器は美貌だった長―い歴史」のなかで、レヴィ=ストロースによれば女はコミュニケーションのための贈与に使われるモノのひとつであった。女はモノだ。生まれた瞬間から父の所有物、結婚したら旦那の所有物。誰にも選ばれず結婚しなければ父の所有物のまま、父が不在になれば価値はない。産んだのは母なのに所有するのが父なのはなぜか。母も夫の所有物だからだ。夫の所有物である母が産んだモノは夫のモノである。そしてその市場価値の基準が、見た目に委ねられている。なにもしなければ老いとともに刻々と下がっていく。見た目が悪くても安いのだから買う人はいる。手軽に手を出せる百円ショップと、頑張らないと買えないブランド品。使えないことはない売れのこりのワゴンセールの割引品。

ペニスを持たない時点で、モノであることからは逃げ出せないが、自分はどれになりたいのか選ぶ自由はある。品定めするいやらしい視線に嫌気がさして陳列棚を抜け出して、誰にも見られない場所に隠れて何も食べずに死を待つのか。自らの理想を追求し誰もから注目される代わりに一生買い取られることのないマネキンになるか。その商品は買い取られた後も、品定めの視線から抜け出すことは出来ない。レジを通ったかどうかは関係なく、社会で生きていこうとする限り勝手に値踏みをつけられる。離婚すれば中古品。老いれば賞味期限切れ。消費者は癒しになるもの、自らの子供をつくるための道具、暮らしを楽にするためのものを求める。見た目が重要視されるは当たり前ではないか。

2、女性の美の努力は元を辿れば男の目線のため

これまで挙げた例を見れば、美の在り方は人によってそれぞれだ。しかし美を求める根源的な理由はどうか。「モテたいから」努力するのはもちろん男の目線のため。「欲情されるのが嫌だから」痩せようとするのは男の目線のせい。「圧倒的な美で権力を手にしたいから」整形するのは男の優位に立ち憎悪を解消するため。きっかけは全て男に起因するのだ。

3、状況を打破するには男が変わる必要がある

根源は男性にあるのだから、この関係を崩すには男性が変わらなければいけないことは間違いない。が、それは残念ながら不可能だ。マツコは「男は自分の成熟とともにお母さん(おそらくここでは歳をとった女性の意)も愛せるようにならないと」といったが、男はエディプス期に父に母を奪われて近親相姦の禁止を命じられる。それ以降母を連想させるような年老いた女性への欲望は抑圧される。AV女優に現代風の名前や変わった名前が多いのは、視聴者の母と同じ名前にならないための配慮だと言われている。

美を追いかけるのに疲れたら、どうすればよいのだろう。ラカンによれば「女は存在しない」。ペニスを持たないかぎりは、女を剥がし続けて残るのは「男ではない何か」だ。「何物でもない何か」は、男となり女を所有することもできず、女として美醜で値踏みされることもない。さて、これのなにがいけないのだろう。女でない私は、私ではないのか?否、私だ。横澤夏子さんのこの言葉で筆を置くこととしたい。

「美人だからモテる、ブスだからモテない」というそうした事実が、この世界のすべてを覆い尽くしてしまうことは決してない。なぜなら...美という評価基準も結局は絶対的・普遍的なものではなく、それに囚われることがいかに無意味で空しいものであるかを教えてくれるからである
(「個人的なもの」と想像力 横澤夏子 草書房刊)

あとがき

そうはいっても、美の魔力は捨てがたい。書き終わった今もわたしは美に囚われたままだ。しかし収穫はあった。自分は男好きだと思っていたのに、書いているうちに男性への憎しみと怒りが止まらなくなってしまった。じつは男に嫉妬しているのだ。これが無意識との出会いだろうか。研究としては、本来、摂食障害や整形はそれだけで1冊書かれるようなテーマであるのに短い論文にいくつも盛り込んでしまい、それぞれの考察が薄くなってしまったように思う。春の論文と卒論では、より深い知識を身に着けてリベンジしたい。



※この論文は2017年の夏に書いた論文の再掲です。


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