見出し画像

大雨が恒例になった少し先の未来で、子どもたちはどう生きるのか。


7月6日に大雨警報で避難所が開設された。

今日、7月13日。
耶馬溪では大雨警報(土砂災害)により再び避難所が開設されている。

隣町の日田や玖珠では河川の氾濫により大きな被害が出ているらしい。
驚くべきはこれが台風ではなく、梅雨前線によるものだということ。「何十年に一度の大雨」という言葉を最近は頻繁に聞くようになった。


これから先、ますます異常気象が激しくなってくるかもしれない。
きっと、そう感じている人は多いと思う。

少し先の未来で、梅雨による大雨が毎年恒例になってきたとき、わたしたちはどのように生き残れば良いのか。そして、わたしたちはどう次世代を守っていけば良いのか。



自分が今回の大雨で強く感じたのは、
「自然をコントロールするのではなく、自然とともに生きることが重要なんじゃないか」ということ。


耶馬溪は地形的にも岩盤に覆われた渓谷が多く、雨が集まりやすい。
平成24年にも大きな水害が発生し、土砂崩れや落石(もはや岩)もよく発生している。都会からすれば、危険の伴う地域だと思う。

ただ、「危ないから」と里山を離れ、コンクリートで川を固め、人工的な安全領域をつくって安心してきたこれまでの時代で、里山は大きく荒廃してしまったのではないか。

山の木々は痩せ細り頼りないものばかり。
小さな土地でも棚田をつくり、水を張って、水源を確保していた土壌は、放置され固まってしまった。

竹林はどんどん領域を広げ、内部は折れた竹で塞がれてしまい獣すら入りづらい場所になってしまった。さらさらした竹の葉が敷き詰まった地面は、水が染み込みづらくなり、すぐに川へ流れていってしまう。

弱まった山が集中豪雨によって崩れ出す。
流された木々は大きなエネルギーとして橋や堤防を打撃する。(ただの水圧では壊れにくい)

それが集まったものが、コンクリート河川によってエネルギーを保ったまま一気に流れていく。河川の氾濫として下流域の町に牙を剥く。



全部、ツケが回ってきたんじゃないか?


異常気象も、洪水も、土砂災害も。


もとは、全部自分たちのこの暮らしが原因なんじゃないか。

今も大変な思いをしている人がいたり、災害ボランティアとして現地へ赴く人がいる。
それはとってもありがたいことで、自然という大きな存在を相手に今もなお戦っている人たちには最大限の敬意を払いたい。



でも、でも、
これから先を生きる子どもたちに、ずっと同じようなことをさせていくのだろうか?次の世代の子どもたちは、豊かに生きていけるのだろうか?



未来の子どもたちのために、いま、自分たちができることはなんだろうか。



そんなことを考えたときに、
自然と戦うのではなく、自然と共に生きることを選びたいと思った。

ときに牙を剥くこともある。
そのときに自然は危険なものとし、何も起こらないように制御しようとするのではなく、森と共に生き、自然の循環を手助けしながら、ときに何かあったとしても助け合えるコミュニティをつくっておこう。



自然の原理を理解した上で、その循環を活性化する補助者になれる動物は人間だけだ。

耶馬溪で、この里山の空間の中で、できることをやろうと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?