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ヨシダさん

大学受験に失敗して最初の年に通った美術予備校の同じ科の中にヨシダさんという同い年の女の子がいて、新学期のつい1ヶ月前まで入試直前講習会でぼくと一緒だった大分から来たカジモトが同じく浪人して、なんとなく話しているうちに女の子同士友だちになったというので、ぼくと青森から来たシラタというこれも同い年と、ヨシミヤという長髪のひとつ年上の男たちとで一緒につるんだ。といっても外での付き合いはカジモトとぼくと家の近かったシラタ以外はまったくなくて、学校内でお互いの絵を見たり自由参加の夜間デッサンに参加したりしていただけだった。その当時のぼくの通っていた予備校は、油絵科にかんしていえばその数年前の一時期芸大への合格率が群を抜いて圧倒的で、あそこに通えば芸大とはいわずとも私大くらい入れるという幻想とも勘違いとも知れないものを抱いた人たちでごった返していて、事実同じ油絵科内でもあまりの人数にウエスト組・イースト組と分けられて別々の棟に入れられていたもんだから、顔は見知っていても名前の分からない人話したことのない人はいくらでもいた。たぶん、300人前後はいたんじゃないかと思う。それだけ人が多いと毎朝のモチーフセットをするのは助手の二人だけではとても手が回らなくて、安価なバイト料で、主に一浪の学生たちが助手の手伝いをしていた。アトリエの掃除をしたり石膏像やガラスやらをセットするだけのたいした仕事内容じゃないから、画材や生活費の足しにというので希望者を募る時には結構集まっていた。ぼくも一時期だけやっていたおぼえがあるけれど、のちに他のアルバイトを見つけたのでその仕事は辞めてしまった。ヨシダさんは家が千葉で、家に帰ると家事の手伝いがあるからという理由で他のアルバイトはさせてもらえなかったらしくて、ずっとモチーフ係の仕事を続けていた。

ぼくたちはウエスト組で、どちらかといえばイースト組に比べて泥くさい印象があった。いつもスケッチブックを持ってやって来るイースト組の2浪の人が、「西高東低」をもじって「西低東高」と言っていたのを覚えている。一学期の6月くらいまでは講師たちもなんとなく様子見のように自分の受け持ちを決めたりせずにあれこれと生徒を入れ替えたりしていて、7月に入ってからちゃんとしたクラス分けをして指導に入るという具合だった。その時に、カジモトとぼく、シラタとヨシダさん、ヨシミヤというふうにべつべつのアトリエに入った。

夏の講習が終わって二学期が始まるとシラタが来なくなってしまった。担当の講師が心配して電話をかけてみると、どうやら実家に帰ったきり東京に戻ってこないらしかった。講師はぼくたちがいつも一緒にいるのを知っていたから、電話してどうしたのか聞いてみてくれと頼んできて、実家の電話番号を聞いたカジモトが電話をしてみると、対応に出るのは母親ばかりで、もう戻りたくないとそれしか言わないと言うばかりで理由は分からないと言っていた。

その年の受験には皆失敗した。

ぼくはとヨシミヤとヨシダさんは油絵科に残り、カジモトは日本画科に進んだ。水彩画をやるにはカジモトの絵はがさつ過ぎると思っていたのでどうして日本画なんかと聞いたことがあったけれど、曖昧な説明をされただけで結局理由はよく分からないままになった。ぼくは奨学金制度で授業料の30%を免除してもらった。ヨシダさんもヨシミヤも自分のアトリエ内で新しい生徒と友だちになったりして、4人揃って会う機会はほとんどというか、記憶している限りではまったくなかった。そもそも他の3人に会うこと自体が稀だった。ヨシダさんは、相変わらずモチーフ係の仕事をしているらしかった。

最初にその話を教えてくれたのは転科したカジモトだったと思うが、ヨシダさんがモチーフ係の仕事をさぼっていることが他の当番の人たちからひんしゅくを買っているということだった。遅刻をしてもタイムカードだけはちゃんと押していたり、掃除の段になってもホウキを持ったままアトリエの隅でぼんやりしてなにもしないという内容だった。あんなに大人しくて真面目そうな人なのにどうしてと二人で話していたんだけれど、結局カジモトにもぼくにも理由は分からなかった。やがて同じ話を助手のオオハラさんからも聞いたけれど、どうしてそんなことをするのかということについては誰にも分からなかった。ただ、なんとなく皆から敬遠されているという雰囲気があるみたいだった。

それからしばらくして、ヨシダさんと同じアトリエで描いている生徒がどうにかしてくれよという言い方でヨシダさんの話をしてきたことがあった。皆して絵を描いている最中に、アトリエの隅でしくしく泣き出して気が滅入るということだった。突然泣き出してどうして良いのか分からないからアトリエから抜け出してきたと言っていた。ぼくはぼくでヨシダさんにはまったく会うことがなかったから、なにがどうしたのかなんて分かるわけがなかった。

本館二階と5号館がぼくたち油絵科のアトリエの入っている建物だった。本館地下には世界堂ほどには物は揃っていなかったけれど授業中になにかなくなればそこに買いに行く程度には事足りる「アール」という画材屋があった。

それを秋頃のことだったと記憶しているのは長袖の服を着ていたような気がするからで、だけど当時は真夏でも長袖のシャツを頑に着ていたから夏の頃のことだったかも知れない。朝の授業前に足りない画材を買いに行って、本館の階段を上ってアトリエに戻ろうとしている時だった。上からヨシダさんが降りてきていて、目があった。ヨシダさんを見るのはそれが半年ぶりくらいで、挨拶をするのはもっと久しぶりだった。ヨシダさんは気弱そうにおはようと言って、なんだかとても居場所がなさそうな顔をしていた。ぼくは係をさぼったり突然泣き出したりした話を聞いていたので、あまり良い印象を持っていなくてオウとかなんとか適当な返事をしてそのまま通り過ぎてしまった。ぼくがその時の情景を覚えているのは、ぼくが通り過ぎようとする瞬間に次の言葉を待つみたいにしてヨシダさんが階段の途中に立ち止まっていたからだ。

その年の受験もぼくは受けた大学に全て落ちた。

それからぼくは奨学金の試験にまで落ちたという理由で年間通してではなく入試直前の講習会だけ同じ予備校に行った。その時に、後に大学で同級生になる坊主頭のウエダをパテーションで区切られたとなりのアトリエにはじめて見かけた。ヨシダさんはいたのかいなかったのか、覚えていない。

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