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シュライカー大阪・檜山 昇吾のゴレイロ論。『本能でやらない』『準備ですべてが決まる』『キーパーこそ、子どもの頃に、フットサルを』

伊藤 雅範監督に誘われ、バサジィ大分へ

大学を卒業して、進路に悩んでいる時だった。

伊藤 雅範監督に「フットサルに慣れるのには、誰でも、最低でも3年は絶対にかかる」と言われた。

それでも「やっていくうちに、代表も狙えるレベルだと思っている」と、バサジィ大分に誘われ、『3年以内に、代表に呼ばれるようにやりたいな』と思い、"フットサルの世界"に飛び込んだ。Fリーグの2014/2015シーズンだ。

最初は「やってみようかな、ぐらいの、軽い気持ちだった」と打ち明ける。バサジィ大分の練習会に参加した時も、ひざ当て、ひじ当てが必要だともわからず、村山 竜三から一式を借りて、練習に参加したような状態からの"始まり"だった。

それでも、"フットサル転向"1年目から試合出場の機会を得た。

村山 竜三の負傷退場に代わって出たFリーグデビュー戦の相手は、絶対王者・名古屋オーシャンズ。バサジィ大分が3-2、1点をリードした状態で送り込まれた檜山は、残り時間を無失点で凌ぎ、チームの勝利に貢献。いきなり"大役"を果たした。

昨年(2018年)の12月には、フットサル日本代表候補のトレーニングキャンプにも初招集された。それでもここまで、順風満帆だったワケではない。"遅咲き"と呼ばれるように、むしろ、"苦難"の時期も長かった。

【インタビュー】遅咲きのGK檜山昇吾。代表初招集をつかんだ理由は「突き詰めてやり抜く」精神
https://f-sal.com/watch/5666/

紅白戦にすら出してもらえなかった時期を乗り越えて

「紅白戦になると、全く出してもらえなかった」と、檜山は言う。

バサジィ大分入団直後の話だ。「伊藤さんの紅白戦は、短い時間で、3・4分しかやらない。ゲームごとにメンバーを変えて、メンバーを言うんですけど、僕は全く呼ばれない

自分から毎回「キーパー交代無いですか?」と聞きに行っていたと言う。「練習が始まって、ストレッチして、ボールを回して、とアップしていって、ゲームが始まると、僕の練習は終わり。みたいな感じでした」「人数も少なかったので、(余っている人もおらず)ひとりで"シャドウ"をやったり。そんな毎日が1ヶ月ほど続いた」。

それでもモチベーションは下がらなかったという。「始めたばかりなので、こういう世界ではある意味当然。『何もできないのに、紅白戦のレベルを下げるのに、使えないよ』ということなのかな、と自分なりに考えていました。伊藤監督が呼んだから使うとか、そんな甘い話じゃない。まずは紅白戦に出してもらえるように頑張ろう、と」

そうして、最初は1分程度から、紅白戦に出してもらうところから始まり、試合も伊藤監督の「スタートから使わないと意味が無い」「試合に勝っているから代わるとかあるけど、意味が無い」という考えのもと、プレーオフを決めた後の試合から、少しずつ時間を伸ばしつつ、試合に使ってもらえるようにもなった。

「2シーズン目まではすごく良かった」

しかし、3シーズン目から苦しんだ。青柳選手兼コーチが抜けたことで、「フットサルを始めて3年目でもう"一番上"という立場になった。今もまだまだと思っていますが・・・、まだフットサルすらちゃんと理解できていないのに、自分より若いキーパーたちの面倒も見ないといけない状態になった」

ケガもあり、復帰後は思うようなパフォーマンスに戻ることができなかった・・・。

2018/2019シーズン、シュライカー大阪に移籍して、"復活"を果たせたのは、「キーパーコーチ・定永 久男の存在が大きかった」と言う。

フットサル日本代表に選ばれた理由は?

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