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日本人得点王にもなった、172cmのピヴォ。フィジカルだけではない、活躍の秘密。シュライカー大阪⑩相井 忍

これまでのシュライカー大阪の選手インタビュー記事はこちらにまとめてます。

相井 忍のプロフィール

大阪府門真市出身。O型。普段は「ボーとしていると言われる」と人から言われるという。4才離れた妹と4人家族で育った。現在は、小4の男の子と小1の女の子、二児の父親でもある。

チームの中で特に仲が良いのは「ショウ(今井)」。好きな漫画は「昔よく読んでいたのは、"ろくでなしブルース"と"スラムダンク"」。休日は自身がコーチを務めるチームの練習に行ったり。

好きな言葉、座右の銘、尊敬する人は「出てこない・・・」。小さい頃は「Jリーガーか、K1選手」が夢だった。行ってみたい国は、高校の頃に行ってみたいと思った「青の洞窟」があるイタリア。ストレス解消法は「自然に忘れるまで我慢する」。

好きな料理は"野菜炒め"、"肉"。嫌いなのは「トマト、生の玉ねぎも無理です」。

フットサル以外の趣味は「全然ないです・・・」。試合前のルーティンやこれと言ったストレス解消法は「つくっていない。それができない時に不安になるから」と言う。「空手の先生の教えでもある。『1対1なので、悪い状況でも勝つために、そういったことを考えないように』と教えられた」

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小4から中2までは、空手の日本チャンピオン

小さい頃は「とりあえず家に居ない」子で、「ずっとでボール蹴ってました」と言う。「練習が週1回しかなかったから」「負けず嫌いだったので」早速、相井節が飛び出す。"負けず嫌い"なのは、相井の試合中のプレーやボール外の場所でもよく現れている。

後は「そろばん週2回、空手を週2回。親にやらされていた」と言う。

空手では「小学校4年から、(中2で辞めるまで)ずっと日本一やったんすよ」「中学校までは空手の方がいい成績を残していた。中2の時に『サッカー1本で行きたい』と親に言って、空手を辞めた」と言う。アンディ・フグやピーター・アーツらが活躍していた"K1"を目指す気持ちもあったが、「背が小さかったので、現実的に『無理やな・・・』と思ってスパッとあきらめました。痛いし。(笑)」

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弱小だった、水島FCでサッカーを始める

サッカーを始めたのは保育園のスポーツ教室(体操とサッカーがあった)がキッカケ。

サッカーチームは「弱小。門真で8チーム中7番目くらい」だったという。ポジションは「右サイドハーフ」。プレースタイルは「足が速かった。走る。キックが上手だったのでセンタリングを上げる役割」で、ゴールなどは「全然」だったという。

6年生の時、知事杯で「ベスト8かベスト16に行った」のが、(チームとしては)記録であり、大躍進だった。「うまい子、3人でサッカーやってました(笑)」と振り返る。

ただチームのメンバーには意識が低い子が居る訳ではなく「みんな一所懸命で、よく走っていた。下手でも、ミスしたから責めることもなく、みんな楽しくやってましたね」

水島FCの練習は"リフティング"に始まる。「3年生の時から、右左交互で200回できないと、練習に参加できなかった」。練習時間は3~4時間あったが「できなかったら、4時間ずっと(リフティングを)やらされる。できないと練習に入れないので、練習が無い日も、リフティングの練習をした。すぐにできるようになったので、問題なかったですけど・・・」

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中学、高校では1年生からメンバー入り。全国ベスト8に進む

中学校では門真スポーツクラブ(現ガンバ門真)に所属。「セレクションはなく、門真のうまい子らが集まるチーム」だった。そこでも、1年生からメンバーに入り、中2の時、クラブユースで全国大会出場。ベスト8でFC東京に敗れた。この時は「右サイドバックや、右サイドハーフ」をこなした。

「中3の時は、全国大会が決まる関西予選の決定戦で、フレスカ神戸とPK戦になって、僕が2番目に蹴って、外して負けました。(笑)」「ミズホ(稲田 瑞穂)とか(当時から)よく知ってます。あいつはガンバ大阪で、僕はガンバ門真だったので・・・」

高校はガンバ大阪のユースの練習にも通っていたが、入団はならず。10月から(高校を)探して、大阪産業大学の付属高校に進む。勉強は「学校の中では普通より上」で、「ノートは書いていた」が「授業は聞いてなかった」という。

サッカーでは、高校に上がっても1年からメンバー入りを果たす。ポジションは"左サイドバック"に移った。「中2の時に(右足の)半月板をケガして、復帰した後も、恐くて左で蹴っていた。もともと蹴れないことも無かったので。それで、両方蹴れるようにもなった。まだ高校入学前の練習試合で『右サイドバックしかできない」と言う子が居たので、「じゃ、俺、左やるわ。蹴れるし』と左サイドバックをやったのを、監督が左利きと勘違いして、左サイドバックになった」

大阪のインターハイ予選で「ハーフラインからのフリーキックを右足で蹴った時、めちゃくちゃ(監督に)怒られて。その時に『僕、左利きじゃないです』」と、告白・説明したという。

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