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「豊かな将来のためには我慢して仕事をしなければいけない」という人生観を持っていた

「この仕事、嫌いなんだな」
そのことがはっきりとしたところで、「じゃあ、すぐにでも仕事を辞めるか」というわけにはいかないかった。そんなにあっさりとした性格なら、うつ状態になるまで自分を追い込んだりするわけがない。

なにせ、自分の目の前にはやらなければいけない仕事が山積みになっているのだ。一度引き受けたものを途中で投げ出すわけにはいかない。これらの仕事は、なんとしても最後までやり遂げなければならなかった。

しかし、自分はこの仕事が嫌いなんだと自覚してから、ますます、仕事をするのが苦痛になった。ストレスを強く感じるようになったのだ。会社に行くのが苦痛。休日出勤も苦痛。それでも、仕事はしなければならない。それが仕事というものだから仕方がない。そう思っていた。

将来のために今は我慢するしかない

そんなある日、例の問題の仕事を手伝ってもらっているグループ会社のエンジニアの方と世間話をすることがあった。

その人は、僕よりも10歳近く年上だったと思う。僕が入社した直後に、はじめて先輩について現場に出た時に、一緒に仕事をしてくれた人で、僕はいろいろなことを彼から教わったのだ。

その時からのお付き合いなので、気心が知れているということもあって、何かのきっかけで彼の娘さんの話になった。

当時、彼は40歳前後で2歳の娘さんがいると話していた。
「仕事は大変だし、正直言って面白くもないこともあるけれど、娘の将来のためにも、今は我慢して仕事をするしかない。」というような話をしていた。

「そうですよね。お嬢さんのためにも、自分のためにも、今は我慢しなくちゃいけないんですよね~」
なんて、答えていた。

僕自身、仕事が面白くない、好きじゃないということを認めざるを得ない状況だったので、この話にはとても共感を覚えた。

そうなんだよな。将来のために、今は我慢して働かなくちゃいけないんだ。僕だって、いつか嫁さんをもらって、家を建てて、子供を育てて、いい学校に入れて、いい人生を歩ませてあげてあげなければいけないのだ。そして、我慢して定年まで勤めあげて、引退してようやく悠々自適の老後を迎えて、いい人生が完成するんだ。だから、少々仕事がつまらなくても嫌いでも、今は我慢しなければいけないんだ。それが人生というものなんだから。

人生は我慢するものと思っていた

当時の僕は、人生は我慢しなければいけないと思っていた。それが当たり前だった。だって、子供の頃からそう言われてきたし、それが大人になるっていうことだと思っていた。

子供のうちは、無邪気に好きなことだけをしていればよかったのだけれど、中学生くらいになってくると、将来のために受験勉強をしなければいけなくなった。当時は、学歴社会だったから、とにかくいい高校に入って、いい大学に行くことがいい人生につながると考えられていた。

やりたいことを我慢して、遊びたい気持ちを押さえて、興味のない勉強を、何の役に立つのかわからないようなことを必死で暗記して、偏差値をあげることばかりを考えていた。興味がない勉強をすることほど苦痛なものはない。それでも、将来のために、我慢してやらなければいけないことだったのだ。

そして、大人になるということは、子供の頃のように夢のようなことばかり追いかけていないで、地に足をつけて、好きでもない仕事をして安定的な収入を得ることが出来るようになる。そういうことだと思っていた。

そして、そのずっと後に、ようやく自由な老後がくる。
老後にたっぷりと資金をためておくために、現役時代は我慢して仕事をするのだ。それが、当たり前の人生だと思っていた。そして、多くの人が僕と同じように思っていたことだろう。それは、この国では常識なのだ。

だから、彼が「2歳の子供のために、今は我慢をしなくちゃ。」という言葉は、全くその通りだと思ったし、人生ってそんなもんだと思った。

ところが、この雑談からしばらくして、僕のこの人生観が180度ひっくり返る大事件が起きることになる。そして、僕はますます追い詰められていったのだ。

(つづく)




自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!