堀江さんへ

華僑心理学番外編: 堀江さんへ

こんにちは、こうみくです!

先日は、堀江さんよりこのようなコメントを頂きました。

そこで、ご真意を伺うと、

とのことで、まとめると、

①筆者の主観的な発言に疑問
②「パクリの意識が低い」といったことは、個人間の意識の問題であり、国籍関係なし
③タイトルだけを見た人に対して、変なバイアスを誘ってしまう可能性があること

であるかと思います。

つきましては、本日は、堀江さんへの回答とともに、筆者がどのような意図で書いているのか、この連載の目的についてお話ししたいと思います。

1.本連載の意図=中国を好きになってほしい

この連載をはじめた意図、それは正直なところ、「中国を好きになってほしい」という気持ちです。いち中国人として日本に20年間以上暮らしてきた中で、いろいろな日中間の誤解や意識のズレを感じる場面が多々ありました。そして、中国に好感をもっていない多くの方と接する機会がありました。

「どうすれば、みんなにより中国を好きになってもらえるのだろう?」という疑問は、中国から日本に移住し、転校先でいじめられていた小学校時代からいままで、約20年ものあいだ、考え続けてきたテーマです。

考え続けていく中で、筆者は、とある国に対する好感度は、その国に対する理解の深さに比例するということに気付きました。もちろん、理解が深くなればなるほど、ポジティブな一面だけではなく、ネガティブな側面も多く知ることになります。しかし、不思議なことに、ネガティブな部分を知ることによって芽生えたネガティブな感情以上に、ひとは愛着が湧くということにも、気付きました。

従って、中国を好きになってもらうためにも、筆者は、中国の良いところと悪いところ、その両方を敢えて、正直に、中立的に伝えるようにしていきたいと考えました。


2.客観的な情報だけでは、ひとの心を動かさないし、記憶に残らない

世の中には、綿密な調査をもとに作成された、客観性が高い資料がたくさんあります。評価が高い論文、大手調査機関が出しているレポート、更には国家統計など。中国というテーマに限って言うと、インターネットで探せば幾らでも出てきて、アクセスも難しくもありません。

しかし、客観性が高ければ高くなるほど専門性が増し、一般的なひとに読まれにくくなるというデメリットがあります。

簡単な例として、「中国人は、日本が嫌いなんでしょう?」という日本人の友人に対して、著者は数えきれないほど説明を試みました。

ここで、筆者が気付いたことは、客観的な情報だけ、主観的な意見だけのどちらか一辺倒でも、ひとのこころは動かせず、納得感が引き出せないということです。客観的な情報だけでは、もともとその領域の専門家でない限り、あまりピンと来ずに、頭に残りません。反対に、主観的な情報だけでは、心もとないと感じてしまいます。

更に、中国というワードに対して、関心がある日本人に限っていえば、下記のような分布になっているかと思います。

この一般層の「中国について興味はある。好きでも嫌いでもないが、正直、なんとなくネガティブな印象はある。」という方々が求めているのは、むずかしすぎず、でも学びがあり、じぶんが抱いている中国に対する疑問が晴れる情報だと思います。

そして、それはすなわち、客観的な事実+現場感がある当事者による主観性が織り交ざった情報であると、筆者は思います。

中国という領域で言えば、中国籍であり、中国人としてのアイデンティティを持ちながら29年間、中国の親戚両親友人に囲まれて生き、現在中国在住である筆者は、それなりに「現場感がある当事者」としての情報発信するに資する立場であるかなと、考えました。

よって、すべての記事において、筆者は敢えて、必ず、主観的な視点や、個人的な体験談を織り交ぜるようにしております。


3.バイアスをかけることになるのではないか?という指摘に関して

「とはいえ、主観的な視点が間違っている可能性もあるでしょう?」
「その場合、余計なバイアスになってしまうのでは?」

という疑問を持たれるかと思います。
正に堀江さんにご指摘いただいた点でしょう。

この点は、「中国を好きになってほしい」という思いの実現のために、「主観的な情報」を伝えていくという方法をとるうえで、わたしが強く注意しなければならないことだと思います。

にもかかわらず、今回は堀江さんのご指摘の通り、誤解を生みかねない表現を、特にタイトルでしてしまったことは、心から反省しております。

そこで、タイトルを下記の通り変更することにいたしました。

今回の件に限らず、広大な中国という国、14億人という中国人を語る際に、唯一の正しい正解というものはなく、さまざまな視点が存在すると考えています。


なるべく正確にと意識しておりますが、中国人の国民性、文化論、価値観、社会トレンドは、もともと絶対的な正解はないため、マジョリティな意見ではない場合もあるでしょう。またお叱りを受けることもあるかもしれません。

それでも、わたしが主観的な観点から語るのは、(繰り返しになりますが)、日本の人たちに中国に対する理解を深めてもらうには、たったひとつの正解ではなく、中国という国をとりまくさまざまな事実・視点を伝えること大切だと思うからです。


そして、たいていの場合「中国が嫌い、こわい」といった漠然とした感情的な嫌悪感・不安感は、情報不足および単一的な視点から生まれる誤解が原因となっているのです。


4.個人間の意識の問題なのか、国民性の問題なのか

最後に、「中国人は、なぜパクるのか?」というエントリーに対して、堀江さんの「個々人の意識次第であって国籍で語るべきではない」という指摘に関して、考えました。

真似る(≒パクる)という文脈において、街で出回っている模倣品や、企業意識や個人間の意識など、何度も思いを巡らしても、少なくとも現段階においては、やはり中国の方が日本に比べて、真似ることに対する抵抗感は低いだろうという、筆者の「主観的な」観点は変わっておりません。

それに至る理由としては、各々の社会の発展におけるプロセスによる影響もあると考えており、これは、エントリー内でも言及しております。従って、中国であれ、日本であれ、どこの国も成長段階で必ず見受けられる現象であるという認識です。

それでも、あえて価値観的な側面などにフォーカスをしたのは、読者の方々が恐らくまだ知らない、中国に対する多面的な捉え方を、多様な視点を、お伝えしたかったからです。

筆者の文章によって、日本の皆さんの、中国・中国人へのもやもやとした疑問がなくなり、本当の意味で好きになっていただけるよう、これからも書き続けていきたいと、考えております。

つきましては、今後も引き続き、堀江さんをはじめとする様々な方のご意見を真摯に受け止めていきたく存じます。

今回は、このように、考えを整理する機会を頂けましたこと、誠にありがとうございました。

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