なぜ_並ばないのか

華僑心理学No.11 なぜ、中国人は、列に割り込むのか?

こんにちは、こうみくです!
先日、友人からこのような質問を頂きました。

このように、色々な場所で中国から来た人々が列に並ばない様子、割り込む様子を目にして、モヤモヤしたことがある方は多いでしょう。

小さい頃、筆者は華僑である両親より「中国は、発展途上で人口が多い。資源も限られている。だから、皆なにかを手に入れるためには、仕方なく、奪いあうしかないのだ」と教えられました。よって、人々は秩序よりもルールよりも、「我さきに」と、なりふり構わずに、前のめりに割り込んでいかなければならないのだと。

しかし、あれから20年経ち、中国のGDPは平均+10%/年近く成長を続け、世界第2位の経済大国となりました。国民の生活も、ずいぶん豊かになりました。しかし、この「列に並ばない、割り込みをする」という光景は、いまだに多く散見されます。

よって、列に並びたがらない中国人の背景にあるのは、人口や資源の問題だけでは説明できない、奥深い理由があることに気付きました。本日は、それについて解説していきたいと思います。


1.秩序の乱れ=社会的安心感&社会的信頼性の欠如


中国の始まりと言われる、紀元前2700年前の三皇五帝の時代から、最後の王朝である清が亡びた1912年まで、中国の歴史は、広大な土地の中で統合と分裂を繰り返した、戦争の歴史そのものでした。終わりなき内戦と共に、陸続きの遠方からやってくる騎馬民族の侵略に脅かされ続けた中国で、戦争に強制的に駆り出されていたのは、決まって農業に従事していた一般の民衆でした。そして、明、唐、清といった比較的長期的に安定していた時代でも、大半の時間において、民衆は重税や権力の乱用といった為政者による搾取に悩まされていたのです。

中国屈指の大文豪である魯迅が、「中国人は2種類しかいない。一時的に、安穏な日々を手に入れた奴隷と、奴隷になりたくてもなれなかった人々だ」と表現したように、歴史を振り返っても、中国の一般民衆は、安定した時代に権力者に搾取されるか、乱世に巻き込まれて血を流すか、どちらかの場合が圧倒的に多かったため、「権力者が定めたルール(法律)は、国民の利益のためにある」といった、法治国家としてあるべき社会的信頼感が、長年育まれませんでした。

そして、近代以降はどうかというと、1960年代には文化大革命とよばれる、権力者の一存によって多くの人々が理不尽に迫害された出来事がありました。現在は、以前のような汚職や権力の乱用は大分減ったものの、法律や社会制度の変更は、依然と国民投票を介さずに決定されます。よって、例え個人的に成功したとしても、いつ社会制度が変わって、自分のビジネスがダメになってしまうのか、財産を取り上げられてしまうのかといった不安感が、人々の心の中で蔓延し、社会的安心感の欠如に繋がっています。

このように、法律よりも権力者の一存で物事が動いてしまう、法治国家ならぬ人治国家としての歴史が長かったため、

「守るのは権力者との関係性であり、ルールではない」

「愚直にルールを守ろうとしたら、自分ひとりがバカを見る。」

「たとえ社会的秩序をかき乱すことになったとしても、状況が変わらないうちに、少しでも早く、自分の利益を確定させたい」

といった価値観が確立されたのです。


2.日本社会では社会的信頼感、社会的安心感が高い


もちろん、日本でも、戦争が続いた時代はありました。しかし、島国であるために、大陸に住む異民族からの侵略が比較的少なかったこと、約260年もの長きに渡って続いた江戸時代が比較的大衆に優しく平穏な時代であったことにより、権力者や社会制度に対するトラウマは、中国の人々ほど、根深く残っていません。

更に、明治維新以降、日本では憲法と法律がしっかりと整備され、世界的に見ても汚職が非常に少ない、クリーンな社会づくりに成功しました。(2017年度の世界腐敗認識指数のランキングでは180か国地域中、日本は上から20位)

そんな経緯もあり、「政府が制定したルールは公益のためにある。秩序とルールを守っている限り、社会が自分を守ってくれる」という社会的信頼感および安心感が、日本国民の間で健全に育ったのです。


3.後れを取ることに対する、強烈な恐怖感

日本の近代史は、明るい近代への幕開けである明治維新から語られることが多いですが、中国の近代史は、黒歴史そのものであるイギリスにぼろ負けしたアヘン戦争からスタートします。そこでは、太古から栄え、世界の中心であると誇っていた中華民族が、西欧諸国に軍事的・文明的に後れを取ってしまったが故に、如何に悲惨で悔しい思いをしたのかという事実を、何度も何度も、丁寧に丁寧に、教えられます。

すると、子ども心ながらに、他者より後れを取ることは侵略されるスキを与えることであり、尊厳を失い、全てをうばわれることであると覚えます。同時に、そんな大惨事になったとしても、正義も、大義も助けてはくれないものだと、心に深く刻まれるのです。

また、日本では、幼少時代に両親から「他人に迷惑をかけないこと、仲良くすることが一番大切」と教えられる場合が多いですが、中国では、「生きていくためには、他人に勝つことが一番大切」だと両親に教わります。

このように、中国では、子ども時代に学校、そして家庭で受けた教育によって、他者に後れを取ることは、抱えきれないほどのリスクを孕んでいるということを、骨の髄まで叩き込まれるのです。

一方で、著者は、仕事や帰省の関係で飛行機に乗る機会が多くありました。中国の国内線に乗ると、目的地に到着するアナウンスと共に、みな一斉に立ち上がって、少しでも早く降りたいと、出口へと駆け込みます。当初、著者は、中国の人々は、単純に時間に対してシビアなのだと思っていました。

しかしあるとき、「天候の関係で、着陸が1時間遅れます」といったアナウンスが流れたことがありました。時間にシビアな中国人ならば、さぞかし怒りの声が機内に響き渡るだろうと予想していたところ、意外にも、誰一人文句言を言うこともなく、みな、礼儀正しくじっとして待っていたのです。

そのときに悟ったのが、中国人のせっかちさの正体は、「大勢の中で、自分が後れを取ることによって、自分だけが損をすること」に対する恐れだったのです。よって、離着陸が遅れるといった、皆で仲良く一緒に不利益を被るといった場面に対しては、非常に辛抱強く、寛容なのでした。


4.社会課題は、ビジネスのタネと捉えるのが中国流

いくらせっかちが国民性であると言えど、もしも中国の人々が、皆がそろいにそろって、秩序を乱すような行動を繰り広げれば、公益が損なわれて、結果として誰もが損をしてしまいます。

そこで、近年では、秩序の乱れとせっかちな国民性を逆手にとったサービスが、続々とヒットしました。

例えば、快递(Kuai Di)と呼ばれる特急で荷物を届けてくれる、高速宅急便サービスの市場規模は、2014年から2017年の近3年間で+143%と爆発的な成長を遂げました。

(北京市内を走る快递の配達車)

また、スマホで注文した食事を自宅まで届けてくれるフードデリバリー市場も、2014年~2017年の3年間で+141%成長し、2018年末には2547億元(4.08兆円)の市場規模に到達する見込みまでに拡大しました。

(フードデリバリーのバイクと配達員)

近年では、スマホで注文すると3km範囲内に30分以内で配達してくれるスーパー、盒马鲜生(Hema)をアリババが展開し、デリバリー&予約注文のみでの販売を行うコーヒーショップ、Luckin Coffeeがスターバックスを押し退ける勢いで急成長しています。スーパーや空港での無人カウンターの普及率も、筆者の肌感覚では、日本と非にならないくらい、普及が進んでいます。

これらのサービスの共通点として、お客さんを並ばせないどころか、わざわざ向こうから家まで届けてくれるのです。しかも、ものすごい速さで。

よって、中国では、「人々が列に並ばない、割り込む」という社会課題に対し、「人々に教育して、並ばせるように仕向けること」ではなく、「そもそも列に並ぶ必要がある機会を極力なくすこと」によって、解決しはじめているのです。

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2011年東大震災が起きた時、非常事態の中でも暴動がおこることなく、秩序正しく行動する日本人の姿を見て、中国の人々は大変感動しました。ネットの掲示板では、「我々は、日本人を見習わなければいけない」といった、反省の声で溢れかえりました。

筆者は、日本人の秩序正しさ、礼儀正しさは世界に誇る素晴らしい資質であると誇りに思っています。同時に、自らの欠点すらもビジネスチャンスに変えていく中国人のたくましさ、技術とビジネスによって社会課題を解決に導く様子も、とても学びが多くて興味深いと、注視しています。


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